Nicotto Town



護られし者 (中篇)

あの男を対象にした重点捜査の打ち切りを突然上から聞かされた時、僕は
耳を疑った。

捜査本部長に詰め寄った刑事達(僕の先輩はいなかった)の後ろに僕も付いたが、
本部長は捜査方針変更の決定を告げるばかりで、その理由についてはいくら
問い質しても答えが返って来なかった。


「独身で、子供好き」

このプロファイリングにより周辺の該当者の中から地取りで不審人物を洗い出す。

上が打ち出した新方針での捜査が開始され、その段階で捜査本部長を中心とした
上層部はあの男に注目した。

当時、幼稚園の送迎バスの運転手をしていた宝部 尾左務 事件当時43歳

週末に誘拐場所となったパチンコ店に訪れる事が多かった店の常連客だった。

過去の4件の事件には、いずれも週末に発生していると言う共通点があった。

過去の前科、前歴は無い。

捜査会議で宝部を最重要参考人とした捜査を進める方針が告げられた。

自宅周辺、勤務先等への聞き込みが開始され、行動がマークされたが、有力な
証言、幼児愛好等を示す行動等は殆ど何も出て来なかった。

先輩は元々、上の歓心を買う事に熱心なタイプで功名心の強い本部長とは
ウマが合うし、宝部を挙げる事に意欲的だったけど、空振りの日々が続く事
に変わりは無かった。

それでも上層部、特に捜査本部長は宝部に固執した。日を追うにつれその執着
振りには陣頭指揮者としての面子が強く見えた。

我々が身辺を洗い始めてからしばらくして、宝部は職場から解雇を言い渡された。

それを知った、本部長は先輩と僕を宝部の勤務先だった幼稚園に派遣した。

先輩は園長に解雇に経緯について尋ね、粘った末にようやく辛うじて園児への
接触の仕方に問題があったと取れなくも無い趣旨の発言を引き出すこと事が
出来た。

その程度の事を持ち帰って、色めき立つ程に実のある物が出てこなかった。

1年以上、殆ど何も成果が上がらない事に、上層部は焦れ、指揮下にある者達は
疲労感を深め、次第に上への不満を募らせる様になって来る。

捜査本部の空気は次第に良好とは言えないものに変わって行った。

そんな折、科警研(科学警察研究所)にDNA型鑑定と言う新しい鑑定技術が
導入された。

上層部はこれに期待を寄せた。

宝部の捨てたゴミの中から彼のDNAの付着した物を回収し、犯人のDNAが
検出されている、被害女児の衣服と共に提出して、鑑定を依頼した。

やがて出された鑑定結果は(2つのDNA型は一致する)というものだった。

上層部は狂喜した。

宝部を連行し、取調べの結果、犯行を自供した。

(科学捜査の勝利!)(執念の捜査が実を結ぶ!)そんな文字が紙面を躍った。

僕は調書を巻く為に、連日狭い部屋の中で彼を目の前にして長い時間を
過ごした。

(この男には気が弱いと言う以上に、自我というものに対して必要な要素が
あまりにも不足し過ぎているのでは無いか?言い換えるならこの男には
あの事件を起こせる能力そのものがそもそも無いのでは無いか?)

僕は宝部を目に前にしてずっとそう感じ続けていた。この男の知力がそれ程
迄に低いと言う訳では、無いのだが、そう感じる程に、彼には何かが大きく
欠如している様な気がした。

「引っ張りさえすれば、ヤツは必ず落とせる」

本部長や先輩はそう言っていたが、それはその通りだった。しかしこの男が犯人
であるとしたら、この男に長時間の間、それを隠し否認を続ける事が出来た
だろうか?そもそも事件後に平静を繕い続ける事がこの男に出来るものだろうか?

しかし自供の他に、(鑑定結果)が出ている以上、最早異論を差し挟む余地は
無かった。

結局、宝部は84年と87年の事件についても犯行を認め、90年の事件で
起訴される事になった。

本部長は3件の立件を期待したが他の2つの事件については供述内容に
非合理的、飛躍的な部分が多く起訴は見送られた。

僕は調書を巻いた一人だけど、アレに検察が頷く訳が無かった。

「アイツを死刑にしちゃうのは幾らなんでも可哀想だよ」

ある日刑事の一人が誰に言うとも無く、呟くのを聞いた。

「警察庁長官賞」の金星に本部長は各所でもてはやされた。
 
・・・

1996年(平成8年)7月 灰神市・灰神警察署内

「灰神市深森地内パチンコ店における幼女略取誘拐容疑事件捜査本部」

「今から流すのは、事件当日、矢津子ちゃん(4歳)失踪直前の店内防犯カメラ
の映像です。

この映像には事件関与が疑われる不審な男が店内を徘徊している様子の他
矢津子ちゃんに接触する様子等も映し出されています」

説明が終わった後、モニター画面が明るくなった。

僕は固唾を飲んで画面に見入った。

モニターに防犯カメラの映像が映し出される。

両脇にパチンコ台が並んだ狭い通路を帽子を被ったサングラスの男が
カメラの方に向かって歩いて来る。

その男の姿を見た瞬間、僕は強い衝撃を受ける事になった。

外股歩きでこちらに近づいて来る小柄な男の姿を僕はかつて毎日の
様に目にし続けていた。

帽子を被りサングラスをした所で僕にそれが誰なのかわからない筈が
無かった。

画面が切り替わり店内の隅に置かれたベンチに座っていた矢津子ちゃんの
前に男が現れて矢津子ちゃんの隣に座り、出口の方を指差しながら矢津子
ちゃんの耳元で何かを囁いている場面が映し出される。

僕は画面に映る光景を呆然と眺めながら、気が遠くなって来るのを感じた。

すぐ隣で険しい表情を浮かべている先輩も当然気付いた筈だ。

・・・

会議が終わった後、先輩と僕は藻黒署に戻る為に出口に向かった。

「さっきのビデオに映っていた男、あれは間違いなく虹鬼だったと思います」

出口から外に出て、駐車場に向かう時に、僕はそれを口にした。

虹木克美、鞠子ちゃん事件の時、一時もっともクロに近いと思われて
いた男。

先輩が表情の欠けた目つきで僕を見た。

「今回のヤマ(事件)が起こった事で上の方はだいぶゴタついている様だ」

「そうでしょうね」

僕は答えた。

「今度のヤマは、内容、発生状況から考えて、前のヤマと同一犯だと言う事が
十分考えられる。もし、そうだとすると」

先輩はそこで口をつぐんだ。

「ひょっとしたら鞠子ちゃん事件にも関係しているかもしれませんね」

僕は思い切ってそれを口にした。

「もし、万が一にもだ、今言った事がその通りだったとしたらどうなる?」

「僕らは犯人を誤認し冤罪を起こした事になりますね」

僕らは署の駐車場に停めた車の前まで来ていた。

先輩は立ち止まり、そして言った。

「それだけでなく、それによって新たな事件を引き起こし、犠牲者を
出してしまった事になる。そうなれば県警始まって以来の、いや
世間を大きく揺るがす程の警察の大不祥事だ」

「・・・」

僕はすぐには言葉が出て来なかった」

先輩は体の向きを変え、じっと駐車場の外に見える灰原市街の風景
をじっと眺めていた。

「今、俺たちの手元にあるのは下手に触れればどんな大爆発を起こすか
わからない厄介なシロモノだ」

先輩は言った。




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