Nicotto Town


としさんの日記


「山男とサーファー」1『植村直巳先輩に捧ぐ』


序章


俺の無二の親友が先日死んだ。台風の迫った、八月の荒れ狂う海に出て、あいつは波にのまれた。人は自殺行為だと言う。正気の沙汰ではないと言った。本当にそうだったのだろうか。                                                      俺には海の事はよく分からない。俺が最も愛するのは山だ。俺が山を愛するように、あいつは海を愛していた。                                             俺は山の怖さを良く知っている。美しきゆえに、魔性の牙をもつ山の二重人格を。あいつも海のもつ二重人格を知り抜いていたはずだ。                               人はよく、山男が「なぜ山に登るのか」と問われた時に、「そこに山があるからさ」と答えるものだと思っているらしい。”あたらずと雖も遠からず”で、なるほどそれも答えのひとつかもしれない。山があるから登る、と答えた山男は、登ったことのない人間に説明するほどの暇はなかったようだ。
                                                                 あいつも、人が自殺行為だと言って止め、あるいは嘲笑する中を、静かに微笑してサーフボードを担いでいったに違いあるまい。微笑の中にも、ギラギラと燃え滾る炎の光を、瞳の内に秘めているあいつを知ることのできる人間は、仲間だけである。                   牙を剥き出しにした山に登る時、俺は常に死を覚悟する。といって、山に死にに行くわけではない。絶対に戻って来ると確信して行くのである。そこには、ちっぽけな人間を拒絶する大自然に対する挑戦と、あいつらを完全に征服してやるという野望が渦巻いているからである。手強ければ手強いほどいい。山々の咆哮が、清純な処女(おとめ)を強引に陥落させたあとの泣き声に聞こえる時がある。あいつらがそれを許さないならば、代償として俺の命で償おう。俺は常にそう想い続けてきた。これからもそうだろう。あいつは俺と同じような想いを海に賭けた。ただそれだけのことである。
                                                                              冬山の単独登はんは、ある意味で自殺的行為に違いあるまい。予測しがたい冬山の表情は瞬時として留まるところなく、刻々と移り変わる。頼れるものは己の体力と、装備のみである。アイゼンとピッケルとザイルと、俺は彼らを信用するほかはない。                どうか無事に帰らせてくれと何ものかに祈っている、その時の俺の呟きを、平和な街の灯の下で過ごす人々に、もし聴こえるようなことがあれば、彼らは「だから言ったではないか」と口を揃えて言うに違いあるまい。あいつもまさしく俺と同じ立場だった。                 

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2010/08/30 21:00
jessicaさん、こんばんみ。
いつもギリギリ、当たっているね。
そうだね、自殺未遂しているからね。
どこのサイトのブログでも、おいらの人生60歳で終えるって書いているからね。
ご心配ありがとう。いい人生だったと思える終わり方したいな。
その気持ちは変わらないよ。
コメントありがとう。
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2010/08/30 06:19
いつも ギリギリのトコロで生きてる気がする・・・
何故 自分を そこまで追い詰めるのか・・・

アナタも 幸せになっていいんだよ

生意気発言してすいません・・・

亡きお友達に敬意を表して・・・
ご冥福を ココロよりお祈り致します・・・



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