Nicotto Town


ちゅんたの絶望日記


祖父と煙草

今日は母方の祖父の命日、本当の意味での一周忌。やはり朝、仕事前に墓参りに行ってきました。

花は大量に用意されていたので、僕は少なめに昨日用意し、そして祖父が大好きだった銘柄の煙草を用意して行きました。

もの心ついたときから、母方の祖父母とは暮らしていました。父より長い時間を一緒に過ごしてきました。沢山のことを教えてくれたのが、祖父でした。世話焼きで信念の人、そういう人でした。

祖父が健在の頃は農業をやっていて、夏はニンジン、冬はほうれん草やカブを作って、僕はいつもくっついて歩いては、子供ながら遊び半分ではありましたが、農作業を手伝ったものです。

僕が車好きなのは祖父の影響でしょう。祖父の運転するスカイライン(のちに高速で事故って廃車になったらしいですが・・・)やら、トラックに乗って、あちらこちらに連れて行ってもらったのを覚えています。鍾乳洞を観に行ったり、ハツタケというキノコを採りに行ったり、肥料を大きな工場まで買いに行ったり、僕がケガをして自転車で学校に行けなくなったときは送り迎えをしてくれたりと。

祖父はマニュアル車しか運転しなかったので、僕が初めて運転した車もマニュアル車でした。

本当にヘビースモーカーで、いつも煙草を吸ってました。ニコニコしながら、煙草をくわえている祖父の姿が、今でも思い出されます。よく、1カートンの煙草を買いに、お使いに行ったものです。

農作業中のケガなどしょっちゅうでしたが、頑固というか我慢強いというか、病院になかなか行かないのが玉にきず。確かに身体は頑丈でした。骨は太いし筋肉はついているし、僕などその正反対です。

色々大病も患いました。中でも腸閉塞になったときは、長時間の手術をして腸の3分の2を切除したこともありました。入院中、僕は学校に行く前に新聞の朝刊を病院に届けるのが日課でした。

ヘビースモーカーだったこともあり、何度も脳梗塞で倒れたりもしました。ある時など四肢が麻痺して動けなくなっているのに、救急車を呼ぶと言っても「大丈夫だから」と笑って断るので、僕は怒ったものです。

でも、ある時から様子がおかしくなりました。アルツハイマーを発症したのです。その事に気づくのに、僕ら家族は遅きに失しました。叔父が病院を探して診察を受けたときには、中度の痴呆症まで進行していました。

アルツハイマーは本人にとっても家族にとっても辛い病気です。ある土曜の朝、連日の0時を過ぎる残業ですっかり参っていた僕を、祖父が早朝にたたき起こした事がありました。もう、大げんかでしたが、病気によって起こった出来事であり、本人に当たるわけにもいかず、僕は怒りを農作業で使うプラスチックのカゴにぶつけ、地面にたたきつけて粉々にしました。

でも、後で祖母に事情を聞いたのでしょう。祖父は照れ笑いを浮かべながら「わるかったなぁ」と謝りに来ました。きっと、自分が僕とケンカしたことだって覚えていないはずです。それなのに謝りに来ました。祖父のやさしい本質は変わらない、とその時思いました。

アルツハイマーの進行に加え、脳梗塞で何度も倒れ、祖父は寝たきりとなり、長くベッドの上で暮らしていましたが、昨年、眠るようになくなりました。

僕もショックでしたが、訃報を聞いた近隣の人たちが、亡くなって数時間もしないうちに家に次々やってきました。中には玄関まで来て、大声で泣き出すおじいさんもいました。その時ようやく、祖父は色々な人に慕われていたことに気づいたものです。

この一年、僕の身にも色々なことがあり、あっという間の一年でした。

線香と一緒に煙草を一本、火をつけて置いてあげました。「今は300円もすんだよ。高い供え物だよ」と墓の前で僕はつぶやきました。久々に涙が流れました。

祖父はこれからもずっと、僕の目標です。

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2009/04/15 22:04
>>マーチさん

昔の人のつらさと、今の人のつらさは質が違いますよね。戦後の貧しい時を生き抜いてきた
そういう人たちですから。だから、団結力や周りの人への気遣いが細やかなんだと思います。
祖父の意志の強さと心遣いに僕は、心から尊敬しています。


>>ロリーさん

アルツハイマーは人から「人格」を奪っていきますから、ある意味残酷です。祖父のこと
だから悔しかったと思います。

寝たきりに前は、数日、施設に預けたりしたこともあったのですが、祖父は本当に家が
好きで、身体も丈夫だったため、施設を抜け出して家に帰ろうとすることが何度もあり
ました。

僕にとってもそうですが、祖父にとってもこの家は「思い出の詰まった大切な場所」
だったのだと思います。その好きだった家で、息を引き取ることが出来たのは幸せな
ことだったのでしょうね。


>>ソラねこさん

今日、祖母に言われました。「お墓に花をあげてきたのはアンタかい?、きっと
おじいちゃん喜んでるよ」と。そうだと、うれしいです。


>>エリカさん

寝たきりになり、ほとんど人間らしい会話が出来なくなったときに、祖父のベッドの
脇に座り、僕は色々うまくいかずふさぎ込んでいて、それを返事など期待せず、ただ
話しかけていたことがありました。その時に急にいつも喋らない祖父が「どうした?」
と聞き返してきたことがありました。もう、痴呆が重度に進んでいた頃です。あの時は
さすがに泣きました。
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2009/04/15 01:18
おじいちゃんとの素敵な思い出がたくさんある
ちゅんたさんはとても幸せですね。おじいちゃんにとっても
ちゅんたさんは一番可愛い孫ではなかったのでしょうか。
だから、記憶にないのに謝りに来られたのでしょうね。



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2009/04/15 00:57
最も身近に尊敬できる人がいてくれることは、本当に幸せなことですよね。
ちゅんたさんがお祖父様を目標にされているのと同じで、きっとお祖父さまにとってもちゅんたさんは
自慢のお孫さんだったんじゃないかなあと思います。
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2009/04/15 00:34
こんばんは。
アルツハイマーは、単なる物忘れなのかどうかとの区別がむずかしいですよね。
食べたものを忘れるのはいいけれど、食べたことを忘れるのはアルツハイマーといいますが・・・。
アルツハイマーの老人も都会の場合は攻撃的になり、田舎の場合はおだやかになるそうです。
都会の場合は人との付き合いも希薄で生活にもストレスがあるからでしょうか。

ご近所の方にも慕われていたちゅんたさんのお祖父さま、きっと幸せな人生だったのでは。
「ボケは神様がくれた贈りもの」ともいうそうです。
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2009/04/14 23:59
こんばんは。

昔の人って、つらい事でも辛抱してやりとげて、何でも当たり前のように出来て、
周りの人をとても大切にして、本当に偉いですよね。
うちの父もそうでした、自分なんて足元にも及びません・・・。
それでも、少しでも近づく事が出来るように努力しないといけません。




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