Nicotto Town


ゲィッュチ


欲にとらわれない行為はスガスガしい

 江戸時代の大阪に、懐徳堂という学聞所があった。三宅石庵が八代将軍徳川吉宗の許可と
援肋のもとに、主として町人の教育を目的として設けたもので、明治維新まで百四十年間も
存続した。その興隆の基礎をかためたのは、三宅の弟子の中井鰍庵で、この中井の二人の子、
竹山と履軒もまた、学識深い儒者として、懐徳堂の教育に尽くした。父子三人とも著書が多
く、とくに履軒は、砂糖の害を強く警告した人でもあり、八十六歳の長寿を全うした。
 この履軒はみずからよ”幽人”と称し、みだりに外出せず、家にこもって学問に専心するこ
とが多かった。しかし、いかに幽人だとて、散歩ぐらいには出る。
 あるとき、骨董屋の店先を通りすぎようとして、ふと古い刀の鍔に眼をとめた。なかなか
昧のある作である。気にいったので、主人に値も聞かず、四分銀を渡してもち去ろうとした。
 「もしもし、この品はそんなに高いものでは……こんなにいただくわけには……」と当惑す
る主人に、むりに押しつけて、帰ってしまった。
 これを門人たちに見せると、みなうらやましげに手に取って眺めた。そのうちの一人が、
「どうか、八分銀でゆずっていただきたい」という。あまりにしつこく嘆願するので、「し
かたない。ゆずってもよいが、これは四分銀で買ったもの」「いえいえ、八分銀でぜひ
……」。こんどは弟子が、むりにそれを押しつけた。
 四分銀が労せずして手にはいったわけである。好運やしあわせをテイクの観点から、表面
的にとらえる人ならば、「シメシメ、ありかたい!・ これを競馬、競輪に……それから一パ
イやって……」となるのかもしれぬが、もとより履軒は、そういう人物ではなかった。せり
上げられた代価の四分銀をもって、すぐに骨董屋にゆき、辞退する主人にまたまた、むりに
押しつけた。
 困ったのは骨董屋である。四分銀でさえ、いただきすぎと思ったのに、その上さらに……。
そこで、店のものに命じて、帰ってゆく客のあとをつけさせた。居所をつきとめると、これ
が大儒中井履軒であることがわかった。
 翌朝、彼はみすがら履軒宅を訪れ、せめてものお返しとして、鮮魚を盛った竹籠を差しだ
し、玄関において、逃げるように帰ったということだ。
 この小ばなしに登場する人物、すべてスガスガしい。テイクの欲にとらわれず、「自分だ
けがかわいい」のではなく、「あたえる」「ゆずる」というモラルを、十二分に身につけてい
る。だから、聞いて気持ちがいい。このような心をもち、このように行動できたことこそが、
彼らの幸福だったのである。

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2011/10/22 09:07
誰一人として欲を出さず、相手に与えようとする行為が良いところね^^

たとえこの中の誰かが欲深い人だったとしても、他の人達はなんとも思わないだろうね?
 ケチケチせず、見返りも期待せず、一人一人がそういう気持ちを持つことが大事なのかもしれないね。



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