Nicotto Town


としさんの日記


へたな人生論より寅さんのひと言、2


さくら 「あのね、お兄ちゃん、辛い事があったらいつでも帰っておいでね」

 寅 「そのことだけどよ、そんな考えだから、俺はいつまでも一人前に・・・・・・故郷って奴はよ」
  
 さくら 「うん?」

 ドアが閉まっているのでよく聞こえない。

 寅 「故郷って奴はよ・・・・」

 電車走り出す。

 さくら 「うん・・・・・・うん、なに?なんて言ったの」

 『純情篇』6話





 シリーズの名場面中のひとつだが「故郷って奴はよ・・・」以下が聞こえない。寅の口の動きだけは見えるが、何を言っているのか分からないうちに電車は出て行ってしまう。この余韻がいい。何を言っているのかは見る者の判断にまかされている。

 寅は生涯を旅に暮す人生を選んだことをどう思っているのだろう。

 だが寅は孤絶した求道的(ぐどう)な旅をしているのではない。要するに、人間どう生きるべきかを考えての修行の旅ではないのである。天涯孤独とか、極限的な旅で死を覚悟しているのでもない。

 寅には「とらや」がある。ここに寅の旅のキーポイントがある。

 一見迷惑がられ、鼻つまみ者のようではあるが、本当は、おいちゃん、おばちゃんは、自分たちの子供がいないこともあって、寅を倅(せがれ)のように思っており、いつ帰っても温かく迎えてくれる。むろん、さくらにとって、お兄ちゃんはなによりも大事な身寄りである。"愚兄賢妹"ではあるが「愚かな兄」だからこそ母性本能をくすぐられて、身が案じられる。

 そして、寅が妹の自分を大切に思っていてくれていることも充分承知している。柴又という地域も寅を包み込んでいく。

 寅の旅は、いわば「保険」付の旅である。いつでも、いざという時には家に帰れる。その帰るところ、すなわち、柴又というコミュニティー(地域共同体)にある、団子屋が、寅の保険である。だから、寅の旅は思うほど寂しいものではない。

 寂寥(せきりょう)の極地ではないのだ。

 とらや、からは、寅に連絡はとれないが、寅は、とらやにいつでも電話をかけることができるし、おもいついたらすぐに帰省することが可能である。

 寅と故郷の、とらや、をつなぐものは時々寅が出す不得要領(ふとくようりょう)なハガキと、10円玉専用の赤電話だけで、まさに一方通行である。

 ああ、赤電話が懐かしい、と団塊世代の人間は思ったりする。

 1989年、平成以前の昭和の作品では、携帯電話は特別な人しか持てないし、ポケベルさえ少し普及した程度。パソコンなどはまだまだの時代である。

 「寅、みんな心配しています。連絡されたし。さくら」 48話 「寅次郎紅の花」

 新聞広告を出しても、寅はめったに新聞など読まないから、見るはずもない。むろん、さくらだってアテにしていないだろうが、藁にもすがる気持ちなのである。

 寅 「お前をなぐったりして悪かったな。兄ちゃんは本当に馬鹿な奴だ。こんな馬鹿な役立たずは生きていても仕方がない。花子(マドンナ役:榊原るみ)も元気にしていたし、俺はもう用のない人間だ。俺のことは忘れて達者に暮らしてくれよな。さよなら」

 1971、昭和46年 7話『奮闘篇』 ゲスト:田中邦衛

 この、だい7作『奮闘篇』では、寅からの速達ハガキに不吉なものを予感して、とらや、は大騒動になる。あたかも自殺予告の文面である。
 「西津軽局」との消印を頼りに、さくらは青森県にまで兄を捜しに行く。寅は、のほほんと土地の人との交流を楽しんでいて、さくらは胸をなでおろすが、兄のいい加減さに立腹すること限りなし。地団駄(じだんだ)を踏むさくらであるが、すべて世はこともなし。岩木山を遠くに映しながらのハッピーなエンドマークとなる。


 雲水 「もし、旅のお方。・・・誠に失礼とは存知ますが、あなた、お顔に女難の相が出ております。ご用心なさるように」

 寅 「分かっております。物心ついてこの方、そのことで苦しみぬいております」

 1978、昭和53年 22話『噂の寅次郎』


 満男 「お母さんが時々かなしい顔をする時がある。それはおじさんが帰ってきた時だ。・・・おじさんの名前は寅さんと言ってお母さんのたった一人のお兄さんだけど、いつも恋愛ばかりしていて、そのたんびにふられるから今でもお嫁さんがいない」

 1979、昭和54年 23話『翔んでる寅次郎』

 結局、寅の恋心は実ることがない。寅は失恋するが、失恋を予感する感覚は冴えている。




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