Nicotto Town


としさんの日記


へたな人生論より寅さんの一言、3


博 「こういうケースははじめてだなあ。どう考えりゃいいんだろうなあ」


つね 「何であんなきれいな人が寅ちゃんを好きになるんだい」

竜造 「そんなことある訳ないよ。なにかの間違いだよ」

つね 「そうだね。いくらなんでもそんなバカな」


 1982年 昭和57年 29話 『寅次郎あじさいの恋』

 29作で、寅は、女手ひとつで子育てをする、かがり(いしだ あゆみ)と京都で出会う。彼女の故郷、丹後を訪ねた寅は、かがりが自分に対して好意を抱いてくれていることを知って、うれしく思いながらも戸惑う。
 とらやの人々もいつもとは違う雰囲気を感じている。

かがり 「でも今日の寅さん、違う人みたい」

寅 「そうかな、俺はいつもと同じだと思うけどな」

かがり 「私が会いたいと思っていた寅さんは、もっとやさしくて楽しくて、風に吹かれるタンポポのように、自由できままでーでも、あれは旅先の寅さんなのね。今は家にいるのやもんね」

 かがりが上京してきて、ふたりは鎌倉でデートをする。とらやの人々の想像に反して、寅は及び腰である。
 ‘安全弁‘というべきか、デートに小学生の満男を連れた寅を見て、直感的に寅が身構えており、逃げの姿勢であることがわかる。
 かがりは寅に恋をしている。寅もむろん憎からず思ってはいるのだが、いざという時に決断できない。
 優柔不断な寅は満男を口実にし「敵前逃亡」する。
 満男は、寅が「電車の中で涙をこぼしていた」という事実を、母のさくらに報告している。

 寅は本質的にプロポーズができない人間である。彼は恋愛をおもちゃにしているわけではないが、愛する人との間に親和の感情を予感するとき、幸福感でいっぱいになる。
 だが、相手に自分の恋心を悟られたくない場合が多い。
 つまり夢や想像の世界だけでの恋愛の成就を求めているのだ。

 シリーズは第42作から、満男を表に出してのドラマになっていく。
 渥美清の体調不良、発病、闘病で、彼の出演するシーンをできるだけ減らさねばならなかったのだ。
 満男は高校を卒業するが、受験に失敗し浪人をする。高校を出れば、日本社会でも、もう一人前に近いと判断される。
 大人になった満男は、寅さん二代目としての「満男の恋」が、第一テーマの寅の恋をしのぐほどの大きな主題となる。ドラマがリアルタイムで進行する以上、吉岡秀隆がシリーズに登場した第27作から、満男の恋の予感はあった。
 第27作ではすでに次のようなやりとりがある。

寅 「満男ー」

満男 「はい」

寅 「お前もいつか恋をするんだろうなあ、かわいそうに」

満男 「ぼく、恋なんかしないよ」

たこ社長 「するする、寅さんの血ひいてるんだから」

 『寅次郎あじさいの恋』

典子(かたせ梨乃) 「そう言えば、まるで風が吹くように寅さんの声が聞こえてきたわ・・・そして、この古い村の中を風が吹きすぎるのがとても自然なように、寅さんが歩いて行くの。・・・・・・まるで風景の一部みたいに、シャッターを押せばそのまま写真が撮れるみたいに・・・」

寅 「風景の一部ねえ。・・・・・・おや、しぐれてきたか」

 1994年 平成6年 12月23日上映 『拝啓車寅次郎様』 47話

 忘れもしない、おいらが映画を見に行って、半月後に阪神淡路大震災がおきた。

 寅の最後のつぶやきがなんともいえぬ風情がある。種田山頭火(たねだ さんとうか)の句「後ろ姿にしぐれていくか」を踏まえているかもしれないが、ともあれ、寅は詩人になることもある。47話は、かたせ梨乃がアマチュアかプロか忘れたが、、カメラマン(ウーマン?)として、車に乗ってどこかの湖に撮りにきていた。
 (げへ、調べたら琵琶湖だとよ)
 おいらと、友人の山岡氏と、暮れに吉祥寺の映画館で観たからよく覚えている。
 上映待ちに一階のパチンコ屋で暇つぶしていたら、777の大フィーバー。もう次上映、時間ない。得てして、ついてないとはこういう時。

さくら 「どうして旅に出ていっちまうの?」

寅 「ほら、見な、あんな雲になりてえのよ」

 これも詩人、山村暮鳥(ぼちょう)の短詩が思いだされる。

 「おうい雲よ、いういうと(悠々と)、馬鹿にのんきぢゃないか、どこまでゆくんだ、ずっと磐木平(いわきだいら)のほうまでゆくんか」
 この詩も、教科書に載っていたなぁ。

 1972年 昭和47年 『柴又慕情』 9話 マドンナ 吉永小百合さん。

 おいら、高校卒業の時




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