Nicotto Town


今日もそれなりに~~~


おもいついた事。


「火の鳥 鳳凰編」

手塚治虫のライフワークの一遍ですが、

残虐非道な盗賊だった我王が高僧の弟子となり、

高僧の、奈良の大仏殿建立のための資金集めのための

全国行脚の途中、盗賊という前歴も手伝って、あらぬ疑いをうけ、

牢屋に閉じ込められます。

高僧はそんな我王を捨てて、一人旅立ってしまいます。

やがて四季を経るような長い時間の果てに、我王の疑いは晴れ、

拘束されていた建物の主から、高僧の行方を知ることになります。

高僧は北陸のお寺で、生きながら即身仏になっている、とのこと。

我王は急いで、その北陸の寺に向かいます。

まだ息がある高僧に会うことが出来、またそこで、なぜ自分を見捨てて旅をつづけたかを、なぜ即身仏の道を選んだかを高僧は語ります。

やがて、深い雪に閉ざされた冬が過ぎ、春になり。

我王は即身仏となった高僧の前でずっと物思いにふけります。

その傍らには蜘蛛の巣にかかった蝶が。

何故、人は死ぬのか?何のために生きるのか?

人は死ぬと再び人間には生まれるとは限らず、虫や動物に生まれ変わるという。

我王は最初にその話を聞いたときは、いやだ、死にたくない、虫になんか生まれ変わりたくない、と夢にもうなされるほど、恐れました。

しかし、今、目の前にある高僧と、蝶との「死」になんら違いはないのではないのだろうか?

その時、我王には命の連鎖が見えてきます。人、家畜、虫、植物・・・それらは火の鳥の輝きの一つ一つとなり、大きな宇宙へと広がっていきます。

我王は狂ったように笑いだしました。「わかった、わかった・・僧正さま、わかりました」

・・・・・・・・・・・・・・・・

長々とすみません。今まで、笑い狂う程の我王の悟りとはなんなのか、分からなかったのです。

でも、今、少し理解したかもです。

「生きとし生けるものの命は皆同じ」

だから、次に何に生まれ変わろうが、命には変わりがない、とい事を悟ったのではないか・・・と、忘れないうちにここに書いておこうと思っただけです。

我王はその後、放浪の旅をつづけながら我流で得た技で、木や石に仏の姿を彫り続けるのでした・・・・。

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