首都高クラッシュ事件と「噛みしめ呑気症候群」
- カテゴリ:美容/健康
- 2009/08/12 20:53:23
今日は、完全にノックダウンという事で、会社を休みました。そんなわけで、以前、約束していた「首都高クラッシュ事件」について、書こうかと思います。
数年前、僕が以前の会社で仕事をしていたときの頃です。その会社はベンチャーだったこともあり、人数も少なく一人一人の仕事量が多かったのも事実でしたが、まあ、今なら言えますが、ただ怒鳴ればいいと思っている社長、失敗ばかりでプロジェクトを管理できていないプログラマの上司の二人に悩まされ、しわ寄せを思いっきり食らっていたサポート担当の僕は気がつかないうちに、ストレス性の心身症にかかってしまいました。
顔の筋肉がこわばって半分くらいしか口が開かなくなる、おなかが張る、そんな症状でした。やっかいなことに、会社の近くの診療所では原因不明で、大学病院に行きました。紆余曲折を経て「噛みしめ呑気症候群」という病気だとわかりました。自分がストレス性疾患にかかるなんて思いもよりませんでした。
とにかく「ストレスからの解放」が急務という事で、弱めの抗不安剤が処方されました。抗不安剤は眠気を催すのですが、「弱いから眠くならないでしょう」ということでした。
当時付き合っていた彼女は、以前も書いたとおり「人をいたわれない人」でした。なので、僕が「こういう病気にかかっている」と話しても、全く無頓着で僕を遊びに連れ出しました。
そして、事故の日がやってきます。その日も、ブランド品がオープン記念で安いとかで、埼玉の某大型ショッピングモールに彼女の会社の同僚方と行くことになっていました。しかし集合時間が早く、僕の家と彼女の家はかなり離れているので、朝早く車で出るか迷ったあげく、前日の夜に彼女の家の近くまで行き、マンガ喫茶で夜を明かしました。
そんな状態ですから、睡眠不足&疲れているに決まっています。僕はあちこち連れ回され、もうへとへとでした。しかし、今度はショッピングモールから彼女の同僚の家でご飯を食べるとかで、なかなか帰してもらえません。
そして、日はとっぷり暮れ、食事をいただいてお宅を出たのが21時ぐらい。電車の駅は近くになく、彼女を家まで送ることに当然なりました。まあ、近くの駅で降ろすなどと言ったら、言う事きいてくれなかったでしょう。
そして彼女を家まで送り、僕が家路についたのが23時過ぎ。車を運転して家に向かっていたところ、睡眠不足・疲れ、そして薬を飲んでしまったため、急に我慢できない眠気が襲ってきました。
首都高の池袋料金所から少し行ったところに、パーキングエリアがありそこで仮眠を取ろうと思いました。とにかくそこまで頑張って車を走らせようと。
池袋料金所を通過し、少し気がゆるんだのでしょう。直線走行中、眠ってしまったようです。緩い左カーブにさしかかったところで、中央分離帯に接触。僕は頭を右のドアガラスに打ち付け、目を覚ましました。
不思議なことに冷静でした。まず「やってしまったようだ」と思ったこと、インパネを見てエンジンが停止していること (オールレッド!)、ブレーキを踏んみてブレーキが利かなくなっていることを確認。首都高は路肩がほとんどないので、待避所まで行かねばなりません。前方を見ると待避所が見えました。
ハンドブレーキを引くと、リアのブレーキは生きていることがわかったので、待避所までハンドブレーキで速度を調節しながら惰性で進み、ギリギリで待避所に到着しました。降りて車を見てみると、フロントのディスクブレーキが粉々に割れていました。そりゃ、ブレーキも利かなくなります。
泣けてくるのは、待避所のすぐ先にパーキングがあったことですが、命あっての物種です。
後日、大学病院で先生にその事を話したところ「そういうときは飲まなくていいんですよ・・・」と言われました。いや先生、それは先に言ってください。
(・∀・;)
その後、中学からの友人が「ちゅんた生還祝い」など開いてくれたわけですが(笑)、結局、会社のストレスにさらされて病状が悪化、退職しました。
「噛みしめ呑気症候群」という病気は、今でこそ少し知られるようになってきた病気ですが、様々な症状が分散し発生するため、発見が遅れるケースが多々あるようです。僕も最初は単なる「顎関節症」と診断されました。たぶん、僕のかかった大学病院に「総合診療部」というところがなかったら、発見がもっと遅れていたでしょう。
ストレス性疾患というのは、うつ病も含めて治療に時間がかかり (僕も未だに通院中です)、そして周りの理解が得られないのがネックです。「我慢は身体に毒」と言いますが本当ですねぇ・・・。
(-∀-;)
というか、最初のほうにかかった病院は病人増やしてるじゃないですかw
そういう診察、対処の精度が低く、かつ、患者が、きちんと説明できないとたぶん地位とか理解はよくならないんじゃないかと思います。
経験則はお話したとおりで、「ろくな医者にかかってない」って事かもしれませんが、そういう方と出会う回数が増えるほど、身構えられてしまうのは仕方の無いことだとは思います。
できることは少ないかもしれませんが、理解されない前提にはそういう足を引っ張る人々が居るのが大きいんじゃないかと思うのですけどどうでしょうね?
ただ、説明されていないことはわからないので、どうするのがいいのかはよくわかりませんし、対象によって違う気はするんですけどね。
理解しつつ甘やかさないっていうのは、受け手との関係もあるので、そのご夫婦の絆も大きな要素だとは思います。
まぁ、難しいところですな。
僕も心療内科というものに偏見を持っていました。
僕がかかった大学病院の総合診療部は「何科にかかっていいのかわからない人」が診てもらうところでした。そこでは病気の原因を突き止めて、治療法について目処が付くと、一般の病院で診察を受けるために「紹介状」が書かれました。その時「かかりつけの病院はありますか?」と聞かれました。
僕は困惑しました。なにせ、風邪にかかってもドラッグストアの風邪薬で治すほど、病院にかかったことがなかったからです。すると「心療内科か内科の病院に行ってください」と言われました。
僕は心療内科と聞いて「行くのが嫌だ」と正直に思いました。だから、家の近所で「精神系の診療の経験もある」と紹介されていた「内科の病院」に行きました。でも、処方される薬が全く身体に合わず、呼吸困難に陥るような状態になったりし、薬はどんどん増えていきました。
ある時、会社の人間ドックで東京の大きな病院に行ったところ、そこの病院の女医さんが処方されている薬のリストを見て「あら、おかしいわね。腸の動きを止める薬と、動かす薬が両方出てるわ」と言ったのです。その時初めて、かかっている医師に不審を抱きました。
病状が悪化して、会社を辞め、それでも病気の良くならない状態を心配した友人が、別の病院を紹介してくれました。彼は僕よりも前に鬱病にかかり、そこの病院に通ってました。
そこが今、僕の通っている病院です。でも心療内科ではありません、内科です。先生は心療内科のスペシャリストですが、最初に診断を受ける「かかりつけ医」こそが大切、と考えて開院されたそうです。全くの偶然でしたが、人間ドックを受けた病院で、以前に院長先生をされていた方でした。
先生はまず、薬の整理から始めました。薬は大幅に減らされました。そして僕に「呼吸器の緊張(自律神経)を和らげるのに、直接マッサージはできないので、身体を動かすことがいい。まず散歩をしましょう。」といいました。目から鱗が落ちる、とはこの事でしょう。
おかげさまで今は仕事も出来るようになり、回復への道筋も見えています。
さて、周りの理解の話ですが友人の奥さんの実践している事が一番的を射ていると思います。彼女は旦那の病気のことを理解していても旦那を甘やかしません。それが「病気を理解する」ということではないでしょうか。
ロジックにバグがあるのに、投薬で、なんか返り値が1大きいみたいだから最後に1引けばいいよねみたいなインチキくささがあります。
それは根本的な対策になっておらず、なんか「病人を増やしている」気すらします。
そもそも、個体差、思考の特性、環境による外的要因など、テンプレート的な対応は難しく、それらが考慮されているとは思えないってのもあります。
理解されないのは、「そういう人」のなかの「声の大きい人」が「自分はびょーきなんだから、我侭は許してくれてとーぜんだよね。わかってくれないとすねるから。ああ、君の我侭は聞かないよ?だって健康だもんね」って態度で多数居るからなんじゃないかと。
というか、そういうのを見るたびに、イメージは著しく悪くなっていきます。
周囲の第三者へのアドバイスとして外野が言って良い事と、本人が言うなよ!って事が世の中にはあります。
できないことも、無理なことも仕方が無いです。
が、それが妥協できないことならそれは無理な要求ですし、その線引きやロジックが明確でなければ、本人でもない第三者が理解、対応することは困難です。
ましてや、好意で妥協するとずにのるようなやつとか、心証が良いわけがないです。
妥当なラインをきちんと探ることが大事な気がするんですけどねぇ。
正直、周囲が親切にしてよくなった例はまったく見たことが無いです。
調子に乗って我侭放題になって、最後はキレられるというパターンならいくつも見ましたけれども。
そうならないためには、きちんと根拠と、理由が開示されないといけないんじゃないかとおもうのですよねぇ。
誰かに必要以上の負荷がかかるのはやはりいびつで、「全員ができることをする」のが理想かなぁとは。
皆がそうだとは思いませんが、そういう人の道を外れた要求を大声でわめく人が居るようじゃ、理解は得にくいと思うのですよねぇ。最大の敵は無能な味方だったりします。
おかげさまで、物事への考え方がかなり変わりましたし、もちろん裁判で戦い続けるなど、変わってない頑固な部分もありますが、全般的に色々なことをうまくやっていけるようになった気がします。
ただ、呑気症状は今では普通に呼吸していても、食道側に入ってしまい、これはもう一生治らないようです。今の主治医にもっと早く出会っていれば、と思わざるを得ません。
まあ、それも仕方のないことですが (-∀- )
>>ソラねこさん
大学病院で「噛みしめ呑気症候群というのをご存じですか?」と言われたとき、「なんだそれ?(-∀- )」と思いました。
顎関節症と最初の診断で口腔外科に行ったものの、筋肉の緊張をほぐす薬を処方されたら、朝起きたら口が開けられないほど痛いのです。人間のあごの筋肉は本来、自分のあごを砕くほどの力があって、リミッターがかかっているそうです。ところが僕は、夜中寝ている間に無意識に全力で噛みしめていたらしく、緊張をほぐす薬は完全に逆効果、症状を悪化させました。
ストレス性疾患は多方面に出るので、モグラたたきみたいに治療していても無意味なようです。
僕は人の気持ちを大事にしすぎて、それはあの時付き合っていた彼女のこともそうですが、自分の事を後に回し、ただただ人のことを一番に考えていました。無論、考えなくていい、なんて今も思ってはいませんが「ものには限度」という事を考えなくてはいけませんね。
亡くなった祖父もそういう人でしたからねぇ。親戚の遺産相続に首を突っ込んで、ストレスのせいだったのか、脳梗塞になってしまいましたが。血は争えないものです。
心身症と一口に言っても、最初にちゅんたさんが診断された「顎関節症」(口腔領域)から
循環器系・呼吸器系・耳鼻科や眼科の領域にまで数え切れないくらいの病気が関連してきますからねえ。
うつなどはその状態を他人に打ち明けるのは勇気がいるし、言ったことで変な目でみられちゃうんじゃないかという不安が付きまとって言えなくて、それでどんどん追い詰められちゃうんですよね。
まじめで責任感が強い人ほど、心身症にかかりやすいみたいですし。
回りのサポートが必要不可欠になってくると思います。
本当に、過度の我慢は自分を壊してしまいますね。
ただ、ちゅんたさんが経験されたことは決して無駄な経験ではないと思います。
自分を見つめなおすいいきっかけになったと思うし、自分がつらい思いをした分他人の気持ちを
推し量ることが以前にまして出来るようになったと思うんです。
大丈夫。これから、これからですよ(o^―^o)ニコ
その病気なったのも、辛いかもしれないけど運命だったんだろうし。
でも人間、一番悪い状態というものを知っているということは幸せなことかもしれない。
そのころのことを思えば、今が生きやすくなりません?
ま、運命で片づけちゃいけないんだけど、自分で切り開けるのも運命だしね(*^_^*)
ほんと、我慢はだめですよ!
我慢すくいしましょうか?ww