生命力の限界
- カテゴリ:日記
- 2015/01/10 00:35:53
貧困を見てきて、母の仕事を見てきてよく思うのが「貧困の人たちの生命力はゴキブリなみだなぁ」と言うことです。
言い方はかなり失礼極まりないのですが、本当に踏まれても踏まれても起き上がってこれるゴキブリのように丈夫な人たちです。(母もよく感心しております)
この前、母の患者で心臓奇形の五歳児、パー君(母が勝手に命名した)を見て、驚きの一言でした。
パー君の病気は日本でも生後一ヶ月のころから手術を受け、その後も薬や治療などを受けなければならないほどの病気です。
なのにパー君はもう五歳。
手術なんてものはもちろん受けていません。
結果、もう手遅れで医療の手段がない患者でした。
彼の母親は売春婦で週のほとんどは出稼ぎに行っていて帰ってくるのは週末だけ。
さらに、母親も捨て子だったようで身内がいないためそのとき養ってくれるボーイフレンドのところにパー君を置いていくハメに。
(ちなみに母親は遠い親戚に育てられ、フィリピンの貧困によくあるある程度成長したら「育ててやったんだから稼ぎに行きなさい」と言われウリに出されると言うケースです。)
ほぼ他人の家においていかれているパー君の面倒を見るものはもちろんいない。
多くの場合はろくにご飯をもらえないため他人にもくっつき、笑顔を見せ「育てやすい子供」になり他人にも媚びて生きていかなくてはならないようになったようです。
そのため、初めて母が彼を見たときも普段は子供に怖がられるのに引っ付いてきてびっくりしたようです。(母はなぜか子供から怖がられるので)
その彼の酸素濃度はいつも70前後。
正常は95以上です。
母曰く、現代医療の理屈では彼はもうすでに死んでいるか寝たきりの状態のはずだそうです。
(ちなみに自分でネットを調べたところ、80以下になると対外死に掛けか救急車に運ばれるぐらいつらいようです。)
それなのにパー君、走ってて、遊んでてすごくないですか?
私が一度母に「つらくないのかな?」と聞いたことがあったんですが、母は「彼は生まれつきこの状態だから何が楽なのかをわかってないだけじゃないかな」と答えました。
彼の母親はいままた妊娠していて、そのため一時的に仕事を休ませてもらっているようで(親戚も「子供を身ごもっているならしかたない」と言って)初めてパー君と向き合えているようで、うれしそうです。
パー君も母親と初めて長い時間一緒できて笑顔以外の表情も見せれるようになって来てます。
(私が前ついていったときも近づいたらしかめっ面になってました)
「子供は笑顔が一番」とかよく言われますが、やっぱり他人が怖いとかいやとかを表現できるようにパー君がなったと言うことは母親に守られていると感じるようになったからじゃないかと私の母は言ってます。
子供が笑顔を見せているからといって幸せなわけではないのでしょう。
ちゃんと自分気持ちを表現できるときこそ本当に幸せなんじゃないでしょうか?
彼の異常な酸素濃度はいつもと変わりませんが、パー君は毎日母親と今はうれしそうに暮らしています。
ただ、母はきっと彼は来年までもたないんじゃないかと予測しています。
もう手術も不可能で毎日しんどそうな彼は母親といる時間はとても幸せそうで、パー君の生命力はこういったつながりから来てるのかなぁと感じたりして、何よりも彼が精一杯生きてるのを見て命のすばらしさを感じます。
人は不可能も乗り越えるだけの強さを持っているものなんですね。
パー君を見ていると自分の大学進路でグダグダしているのが馬鹿らしくて、もっとがんばらないととよく感じます。(でもやっぱり教科書と向き合う時間はあまり変わっておりません…)
後、将来ですが、母のあとを継ぐ気も国際協力関係の仕事もする気はまったくと言っていいほどありません。貧困を人生でずっとみてきて、私は彼らがかわいそうとか、助けが必要な人たちではないと心から言えるからです。
私はフィリピンにずっと住んできたので日本のことはよくわかりませんが、フィリピンでの経験を日本で生かせる仕事に就きたいと思っています。
それと、母のように自分の人生を貧困の人たちにささげれる(って言うほどでもないですが)覚悟も心もありません。母の仕事は「助けたい」と言う心があってこその仕事なのでそれがかけている私にはちょっと難しいです^^;
このことに関してはそのうちブログでも書いてみるつもりです^^
とにかく、将来何がしたいのかさっぱりなので、とにかく何も知らない日本のことを学ぶところからはじめたいと思います(笑)
笑顔だから幸せとは限らない、本当にそうですね。
辛くとも笑って耐える大人とは違って、笑顔で手のかからない子でいることは、パー君の生きる知恵なのでしょう。
辛い笑顔です。
Frost,将来、あなたのお母様のような道に進みたいのでしょうか?
そうですね。後どれだけパー君が母親と過ごせるかはわかりませんが、今を必死に生きてる彼を見るとかわいそうな感じはしません。親といると言う普通の常識で精一杯楽しんでいる彼を見ると自分が当たり前に持っている幸せの数々に気づかさせていくれるので、パー君にはいつもびっくりさせられ、いろいろと気づかさせてくれる人物です。^^
はなさん>
お久しぶりです!そうなんです、もう受験生なんです(泣)きちんと前を向けているかは自分でもまだわかりませんが、パー君のように必死に生きている子を見ると自分もやる気が出ます!^^はなさんも、お体に気をつけてがんばってくださいね!
彼はどのくらい生きれるかも、病気のことすら知らず。でもおそらくは、体のことよりつらいのは、お母さんといれなかったり、大人から愛情をもらえないことでしょうけれどね。
きっと自ら死ぬようなことも知らないのかもしれない。
あたり前に前にすすんでいるんだね。
そうですね。。かわいそうではあるけれど、彼を不幸だと言ってしまうのもどうでしょうか?わからないけど、汚れていないというのでしょうか。
かわいそうな人間っていっぱいいるからなぁ~ 私の基準でしかないけれどね?心が腐ってるのが一番かわいそうな気がする。
彼はそうじゃないもの。彼の望む幸せが少しでも彼のもとにおりるといいね。
バーくんにお祈りしたいと思うので、本名分かれば教えてもらえるとうれしいです★
先日経済学の本を読んでいて、「幸福度とは、その人それぞれの尺度、生まれ育った環境や経験によって違う」という
当たり前のくだりに感心してしまいました。
"Do you think you're happy?"という質問を高校生(日本ですが)にしますと、ほぼ100パーセントに近い人たちがほぼYesと答えます。そうかな?と思える人も自分の環境になんとか折り合いをつけて満足しているのだと感じました。
自己肯定というか、今置かれている状況を受け入れ、忘れたり考えないようにして生きていく力が人間には備わっているのかもしれませんね。
バー君も他人から見ると可愛そうでも、本人は今を生きていることで精いっぱいで
辛いと本人が自覚しないまま寿命が終わってしまうかもしれませんが、彼にとって自由に心のままに生きていける時が
訪れることを願ってやみません。
いつも素敵なブログありがとうございます。