小論文
- カテゴリ:日記
- 2015/02/16 13:55:24
小論文の書き方を(いまさらながら)本格的に勉強をし始めていて最近はいろいろと悩み、考えさせられています。
帰国子女をターゲットにした小論文の書き方の本はなくて、すべて一般入試を目指している生徒を基本的にターゲットにしている本ばかりで毎日頭を抱えています(笑)
昨日も母と一緒に小論文の書き方の本を開き、理解しようとがんばっていました。(私のスピードだと一ページに付き三十分ほどかかる)
その中で、与えられた設問をそのまま自身が書く小論文のテーマにしてしまう人が多いと書いてある部分がありました。
たとえば、設問が「現代における生と死とは何か」だった場合、多くの人がもうすでに大きなテーマであるのにこの「問い」のレベルをさらに大きくして、「そもそも人間にとって生とは何か、死とは何か」と発してしまいがちだそうです。
そして、自分の発した問いの大きさにつぶされ、まともな小論文ができない方が多いと書いてありました。
過去に自分が何度もしてしまっていることが正確に書いてあって、感心してしまいました(笑)
そこで、母に「あなただったらこの設問にどうやって答える?」と聞かれ、答えがぜんぜん出ませんでした。
現代における生と死って何なんでしょうか?
母の場合は、昔は生と死はみんなの生活の中にあったが、最近はすべて医療にコントロールされているという答えでした。
昔は皆子供を生むのは家で、死ぬのも家でした。
身近に生と死があったと言います。
そして、生も死も身近にあったからこそ学べるものがいっぱいあった。
考えさせられることがあった。
今は生も死も身近にあるものではありません。
すべて「一分一秒でも長く命を助けるため」に病院で医者がすべてコントロールするものになっている。
生むのも死ぬのも病院になってき始めているため、一般人は対外の場合「生」と「死」に触れることはなかなかない。
そのせいで現代は生むのを、死ぬのを過剰に怖がる人が多い。
それは生にも死にも触れたことがないから、未知のものに感じる恐れに近い。
それだけではなく、生と死から学ぶ大事なことを学べない。
もちろん命を助けると言うことは大切だが、その反面失われている幸福や経験があるんじゃないか。
一秒でも長く命をとどめるのが本当にそれらより大事なことなんだろうかと悩まされるという内容で私の母は書くだろうと言ってました。
こう短時間でまとまったテーマを考えられるのってすごいですね。
同年代の高校生が答えている小論文の内容に最近はびっくりしまいっぱなしです(笑)
英語は難しいとよく日本の方に言われますが、英語をずっとしていて日本語を学び始めると日本語と日本の教育の深さに圧倒されます。
なので、そのうち帰国生向けのネット塾を受けようかなと考えてます。(今の状況ではぜんぜん進歩しなさそうなので)
ニコ店、ご来店ありがとうございます^^
少し最近のブログ読ませていただきましたが、とても興味深い内容を
いろいろ書かれていて、面白く拝読させていただきました(*^-^*)
このブログも少し考えさせられる内容でした。
Frostさんは日本人の方ですか?フィリピンで育たれた帰国子女なのかな?
よく分かってなくてごめんなさい(^-^;
またブログ読みに来させてくださいね~。