Nicotto Town



栄養失調の女の子

母が十数年前に貧しい人たちのためのクリニックを開き、八年ほど前からに育児放棄、虐待や自己改善をしない貧困の人たちを見てそれを改善する方法を考え、苦戦していました。

 

そのころはいろいろとプロジェクトをしていたのを私は覚えています。

 

母親たちを集め、子育てに関して教えるセッションを開いたり、大人を集めて仕事の可能性を広げるために縫い物のセッションなどをしていました。

 

それを二年ほど母は続け、数々のプロジェクトをして行き着いた答えは「大人は改善しない」と言うことでした。

 

大人はもう頭が固くて何を言っても聞かない。

 

大人に教えても今の彼らの生活で生きてこれたから、困らなかったから聞く耳を持たない。

 

それでは、大人たちがこういう態度を取ってしまうのはなぜか?

 

それは、子供のころの生活、すりこみだと母は確信しました。

 

子供のころに愛されなかった、気づいてもらえなかった。

 

だから自分の子供にどう接すればいいかわからない。

 

子供のころに仕事をさせられ遊ぶ時間がなかったから、大人になっても子供思考で自己中心的になってしまう。

 

結果、若く妊娠し、子供をネグレクトしてしまったり、こき使ってしまう。

 

生きるのに必死でそのときの「今」でいっぱいいっぱいだったから「未来」のことを考えれず「今の幸せ」だけで満足し、次のことを考えない。

 

すべて子供のころの経験で大人たちが改善できなくなっていると母は感じ、貧困を改善するにはまず子供からという思いから数年前、貧しくて学校に通えない子や、貧困で家族関係が複雑な子供を集め小さな学校のような団体ができました。

 

この団体は八年ほど前に始めて青空教室として、ある貧困の村に立っている大きなマンゴの木の下でブルーシートだけひいて野外教室みたいなもので始まりました。

 

勉強を教えるのではなく、まずは普段認めてもらえない、気にしてもらえない子供たちに自分たちを見てくれる人がいると感じてもらうこと、認めてもらっていると感じてもらうことが目的です。

 

母はよく、子供のころにあることは一生その子を影響すると言います。

 

子供のころに頭をなでられたと言う小さなことでもその子のじんせいを大きく変えることができます。

 

子供たちに周りにいる大人たちとは違う生き方ができるとわかってほしい。

 

だからかかわり、その子供が本当につらいときに逃げれるところを作りたいという思いで始まったプロジェクトでした。

 

今そのプロジェクトは数年前より大きくなり、母ではない違う日本人がマネージしていて母のクリニックの横に二階建ての小さな教室ができました。

 

マネージしている方は毎日支援金で買ったトライシクル(オートバイの横にサイドカーが付いている乗り物)で貧困の子供たちを違う地域から呼んできて、小さな授業を行っています。

 

それでもトライシクルで呼んでこれる人数は少数なので、母の外回りのように自ら地域のほうに行って、青空教室を行っています。

 

私も二日前、久しぶりに彼女に母と妹と一緒についていきました。

 

その日行った現場は土砂崩れで家がなくなった人たちが移動させられた山。

 

政府が作った家が並んでいて、一見見ると裕福のようですが、ひとつの家を五家族ほどで使っていて、生活状況がなかなかひどい場所でした。

 

そこで行ったのは小さな運動会だったんですが、子供たちに指導をしていているときにはたと妹がいないのに気づき、どこに行ったんだろうと首をかしげていると山の上のほうから小さな女の子を抱いて降りてきてました。

 

その子はだいたい四歳ぐらいで、素っ裸で(これは別に珍しくないのでびっくりしなかったんですが)ものすごい栄養失調のサインが出ていました。

 

その子に「お母さんはどこ?誰と来たの?」と聞いても何も答えず、やっと「お兄ちゃんとかと来たの?」と聞いたときうなずいてくれました。

 

つれてきた兄妹はどうやら運動会に参加したようで、妹がほったらかしになってしまっていたようです。

 

それから母がその子に栄養剤(甘いやつ)を少し与え、ビタミンおやつ(のようなもの)を渡しました。

 

それからその子が「家に帰る」と言い出し、乗ってきたトライシクルの中に座り込んでました。(笑)

 

どうやらその子の家はトライシクルになったようです。(笑)

 

トライシクルの中だったら安心だと思い、また運動会のほうに集中していたら、そのトライシクルにおばあさんが近づいて「ここで何してんだい!さっさとあっちにいきな!」とその子を追い出し始めているのを見て母と妹が急いで止めて、運動会のあとでまだお菓子を配るからいてほしいと話しました。

 

そしたらおばあさんがいきなりそのこにやさしく接し始めたんです。

 

でもそのこがおばあさんを以上に怖がっているところを見ると、きっと普段はいじめられているのでしょう。

 

いきなりの変わりように逆にひいてました。

 

そのこの社会での立場が少し見えた気がして、どう考えて、どう接すればいいのかがわかりませんでした。

 

おばあさんがいなくなってから妹が結局そのこと一緒にトライシクルで待機していました。

 

(妹のほうが子供相手がうまいのと妹がそのこを拾ってきたので)

 

結局運動会が終わってお菓子をもらったそのこはやってきた小学生ぐらいのお姉さん(お兄さんではなかったようです)と手をつないで帰っていきました。

 

それをみて、今まで育児放棄で死にそうな子供や虐待を受けているこどもを結構みてきたのにもかかわらず初めてそれらの悲惨さを見た気がしました。

 

貧困自体が助けがいる部分がところどころにあると感じますが、どういうかかわり方をすればいいのかがとても難しいものですね。

 

結局自分ができる精一杯は頭をなでて、話しかけることだけで、そのこの今の生活を変えることまではできない。

 

でも日本と違って貧困の人たちはそれでも生きていくと言う力強さを持っているのをみて、感心します。

 

どんなにつらくても自殺はしない。

 

一生懸命「今」を生きてる。

 

どうやったらそこまで強くなれるんでしょうか?

 

必死に生きているあの女の子を見て、とても感動しました。

 

あの子にも幸せな毎日が来る日が来るといいなと思います。(結局無口だったため名前はわからず)

 

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2015/02/15 13:16
I'm always impressed how modest you are !
We also cannot boast of well knowing about what Japan is!
But indifference is the worst thing in "Global" what to be called.
As you mentioned before, understanding people or other nation needs to know the fact.
So your info really would be effective in acquisition of knowledge.
We tend to feel fear to the foreigners when we don't know about the their countries.
Your blog would contribute us to understand the nation we don't know much about.
I think you could be more arrogant (*^_^*)
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2015/02/15 03:39
milk>
人生のほとんどをフィリピンで過ごしているとどこまで日本人が知っていてどこまで私が日本のかたがたにシェアーできるかがさっぱりだと言うことが最近大学受験に向けて勉強を進めるにつれ分かってきました。逆に、自分がどれだけ日本に関して無知なのかもとても感じるようになって来ました。だからと言ってフィリピンのことが分かると胸を張っていえるほどわかっていない自分に最近はよく悩まされます。
なので、そう思ってくださったならとても光栄です!
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2015/02/12 18:51
私の好きな本”Out of Africa" (随分前に映画になりました。メリルストリーブ&ロバートレッドフォード)
に、マサイかキクユ族かは忘れましたが、はやはり、”今を生きる”というくだりがあり、「牢屋に入れると明日が信じられず死んでしまう」と映画でもセリフとして出てきました。その後ケニアに旅行に行ったとき、現地のガイドさんが、・・・族は「働いてもお給料をもらうとすぐ使ってしまうので日当又は週当でしか賃金をあげられないらしい。と言っていました。
刹那的とでもいうのかそんなライフスタイルは将来に向けてこつこつ貯金するような日本人には驚きの一言に尽きます。
小さなころの経験はやはり何にも代えがたいものなんですね。それは私も身をもって実感しています。
”大人は変わらない”というのも衝撃的でした。
私の知らない世界を配信してくれて本当に感謝です。






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