琴琶の頭の中に、どれくらいの思い出があるのか
- カテゴリ:自作小説
- 2015/12/01 11:42:19
目を覚ますと、また考え事をしながら寝入ったらしく、頭の上に手の甲が乗っていた。骨ばったそれの隙間から見える朝日の差し込む窓が、朝を告げている。
いやに寝起きの悪い今日の朝は、いつも真ん丸な目を細長く開き、毛布をどかしながらゆっくりと裸足で床に降り立つ。
「・・・・・・」
夢を見ていたらしい。どうしても全部を思い出すことができないのだが、今なら数秒くらい思い出せる。
家族という概念に当てはまる人のことを。
セリフは全部忘れた。けれど確かに彼は笑っていた。
わたしは視界に邪魔をする髪をかきあげて、天井を仰いだ。あれはいつの日か本当にあったのかもしれない出来事の夢だ。事実としてしか残されていない、数少ない思い出だ。
妹の誕生日を祝し、大きな紙製の帽子をかぶって兄は紐を勢いよく引いてくれた。天井に思いきり飛び出す金銀のテープが思い起こされる。くるくると回りながら、照明の照りを反射させて輝くそれ。いつしか頭上に舞い降りて今みたいに視界を邪魔した。
「×××××!」
そしてその時のわたしよりずっとなめらかな口調ではっきりと言葉を言い、ケーキを母と一緒に差し出した。そう、わたしに。
途切れている。
わたしは俯いてカーペットの模様を見た。
覚えているのはこれだけだ。あとは何も思い出せない。兄の名前も、母の名前も。・・・父親なら、最近思い出させてくれたから言えるけれど、二人は今どうしているっけ。
ため息が出る。
ようやく恒例の朝の一杯がやってきて、クロが優しいまなざしでわたしを見た。
「おはようございます」
その唇が動くと、一文字もこぼさずに声が聞こえる。
それすら、どこかに捨て去ってしまったらしい。脳裏にかろうじて残る夢の残滓に、思いをはせる。
「おはよう」
心にもない返事をすると、クロは少しだけ迷ったそぶりを見せてから、許可もなく椅子に腰かけた。わたしにとっては正しかった。
「・・さっき」
人に話そうと思えば新しく思い出せるのだろうか。口を開いて止まった。
「なんでもない」
無言で続きを待っていたクロが、拝承しましたとでも言いたげに目を細める。
湯気のないコーヒーが、ようやく波を鎮めた。
「本日は午前に授業が控えております。準備が整いましたら、ひと声おかけください」
「うん」
ミルクを流し込んで一息つく。
クロがドアを開けてこちらに振り返った。
「あのさ」
今度ははっきりと言いたいことが浮かんでいた。
「午後はお父さんに会えないか聞いといてくれる?」
そういって視線をわざとそらす。クロがどんな表情を浮かべていたのかはわからない。けれども静かにかしこまりました、と述べる声が満足そうにしているのを聞いて、やっぱり感づかれていたんだとわかる。
いつもよりぬるくてあまいコーヒーを飲みほして、わたしはカーテンを開けた。
高台に建つこの本部の足元には、うっそうと茂る森が広がる。一瞬だけ感じた頭痛に手を添えて、わたしは窓枠に額をつける。
「思い出話なんて、してくれるはずもないのに」
わかりきったことをわざと声に出して、落胆の落ちるところを、少しだけ低くした。
二人はもういない。
それは誰でもないわたしが一番よくわかっている。
目の前で死んだのだから。