Nicotto Town



自作小説倶楽部11月投稿

『温かな午後』


「畜生」
思わず罵りが唇からこぼれ落ちた。
かつての相棒から「お前は詰めが甘い。勝ったと思った瞬間、ボロを出して負ける」と言われたことが頭をよぎる。俺より少し年上なだけで随分御託を並べてくれたが、俺より先にしくじって今は僻地の刑務所にいるはずだ。ざまあない。
それに、まだ仕事は途中だ。
自分で荒らした室内を見回してすぅっと、心が冷える。
落ち着いて昨日のことから思いだす。手紙は聖書に挟んでカバンの底に収めてあった。屋敷に到着すると予想外なことに俺は笑顔で迎えられた。
以前、貴族を騙したときは無表情な当主の左側に3人の弁護士が俺を睨みつけていた。ここの連中は土地持ちとはいえ、田舎で馬を相手に生活しているから呑気なんだろう。都会の裏通りで生まれた俺が世間の厳しさを教えてやらねばと思ったものだ。
とにかく、昨日の昼過ぎに屋敷に着いた俺は子供を含めた15人を順番に紹介され、乾杯、ごちそうに酒、思い出話で歓待された。
一族の長らしいミス・アシュビーという婆さんがニコニコと俺の「父親」のラルフ兄さんのことを語り、俺の癖毛がそっくりだとぬかした。ああ、そうだ。頭の軽そうな又従妹にせがまれて聖書と手紙を見せたんだ。「ラルフ伯父様はよっぽどあなたのお母様を愛してらっしゃったのね」と瞳をきらきらさせて言われて、俺はうつむいて父のことを覚えていなくて残念、とか、母が生きていたら喜ぶと応じて、何とか吹き出しそうになるのを誤魔化した。
その後、大事なものだからと手紙も聖書もカバンに戻したはずだ。
いや、手紙を奪われそうな勢いで手を伸ばされて慌ててカバンに突っ込んだんだ。古い紙だから破れていないか心配になって、パーティがひと段落すると用意してもらったこの客間で取り出して確かめ、酔いでぼんやりする頭で手紙を読み直した。
何度読んでも笑える恋文だった。この手紙と聖書を恋人に贈った男、ラルフのことは彼の一族のことと一緒に調べたが頭の中にお花畑があったとしか思えない。しかし感謝はしているから、ラルフの隠し子として相続が認められたら墓に花くらいは供えてやろう。
ニヤニヤ笑っていたら、ドアがノックされ、甥だという若造が「飲み直そう」と言って来た。
その時、聖書と手紙をマットの隙間に押し込んだ。と思っていたが、酔っていたから思い違いかもしれない。コートを着直して、部屋に貴重品を置いておくことに不安を覚えた。
そうだ。コートのポケットに手紙を挟んだ聖書を突っ込んだんだ。コートは、

階段を駆け下りる音を聞いてミス・アシュビーは火かき棒を置いた。亡き兄のラルフは放蕩者で女性関係でしばしば問題を起こしたが、酒を呑みすぎて日が高くなるまで寝ているようなことは無かったしステップを踏むように優雅に歩いたものだった。
どれ、様子を見てやろうと台所を出たところで、危うく男とぶつかりかけた。
「ああ、すいません。アシュビーさん」
謝罪もそこそこに、男はシャツのボタンが外れていることに気付いて慌てて留める。
「マックスさん、少し飲みすぎたようね。温かい紅茶を入れるわ。そうだ、とっても甘い栗があるの。焼いてあげましょう」
「結構です。あの、わ、私は昨夜、酒場に忘れ物をしたようなので取りに行ってきます」
脱兎の勢いで玄関を飛び出して行った男の背が見えなくなるのを確かめるとミス・アシュビーは作業を再開させるべく台所に戻った。台所のかまどの中では聖書と手紙が原型を失い白い灰になりつつあった。
やれやれ、この火でお茶を沸かして焼いた栗を食べさせてやりたかったのに。農作業から戻って来る家族のための軽食を用意しながら、後で教会でしっかり懺悔しようと考えた。詐欺師を撃退し、兄の名誉を守るためとはいえ盗みをさせて、聖書を焼いてしまったのだから。
それから、焼きあがったアップルパイを詐欺師の分まで切り分けるべきかいなか悩み始めた。

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2021/12/08 23:48
ミス・アシュビーの罠でしたか



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