Nicotto Town


ネット小説を書く奴の気まぐれ日記


『作品と作者は別』という概念について。

『作品と作者は別』という概念がある。

まず最初に、『作品と作者は別』という概念について整理する。

『作品と作者は別』とは、作者が物議を醸す何かしらの言動によって、作品が良し悪しが移り変わる、または決定づけられてしまうことへの反発。また、作品に出てくる抽象的概念や思想が、作者自身の性格、または人格の根幹であるかのように推測されることに対して心外である、という思いからできた概念だと思っている。

私がなぜこの概念をピックアップしたかというと、最近有名な方が逮捕されたり、SNS上で問題発言をしたりと、世間を騒がせていること、そしてその度に『作品と作者は別』という概念が上がることから、この概念について思うことを整理したくなったことがきっかけである。

この概念を主張する意見を絡めて、取り上げられていた問題を1つご紹介する。

『フルメタル・パニック』というライトノベルの作者が、環境活動家のグレタ・テゥーンベリさんに対し、
『俺もこの子嫌い。もし自分が世界の影の支配者だったら、すべてを奪って絶望のどん底に叩き落として嘲笑してやりたい。あっつあつの超うまいステーキとか食わせてやって、悔し涙を流す姿が見たい』とツイッターに投稿したことにより、批判が相次いだ。それと絡め、ネット上でこの概念を主張する意見が持ち上がったと思われる。
この件に関し、作者はツイッター上で謝罪している。上記の発言をしたツイートも削除済み。

『作品と作者は別』という概念があることや、そう思って作品を観たり読んだり、聴いたりする点に関しては、個人の自由の範疇(はんちゅう)にあるからいいと思う。それと同時に、『作品と作者は別』だから作者は何をやってもいいという解釈を持つ概念ではないという前提の下に成り立っていると理解している。
私も他の方の作品を読んだり、観たりする時などに、作者がどういう人物かを判断しようと思っているわけじゃない。あくまで作品の世界を楽しみたいだけである。だが、もし作者の人となりを表す情報が入ってしまったら、それが頭によぎることはあると思う。それが作品の商品イメージを損なうことになり、進んで読みたい層がいなくなる可能性はあるだろう。
作品と作者の人格を同一視する見方があることを踏まえれば、想像にかたくない。

それ以前に、この問題の本質を考えれば、これはフォローしようがない。
環境活動家のグレタさんは地球温暖化問題を念頭に、各国政府が具体的な対策を行おうとしないことについて訴えている。これに対する発言や活動について意見を上げたと思われるが、なぜそこまで憎々しい発言になるのかは分かりかねる。
牛肉が害悪と呼ばれる昨今の思想への反発か、単純に気に入らないので出る杭を打ちたかったのか。いずれにせよ、この発言は目に余ると言うほかない。

地球温暖化説に対し、科学的な論拠を述べ、地球温暖化説を否定するとか、牛が出したゲップやおならによる温室効果ガスのデータには妥当性がない理由を挙げるとか、そういった発言ならちゃんと地球温暖化について主張しているし、グレタさんを含め、多くの科学者たちが唱える説と向き合っていると思えるのだが、嫌いってだけで、すべてを奪うとか、悔し涙を流す姿が見たいという発言を、不特定多数が閲覧できるSNS上に上げることがどれだけ重大な過ちかを理解し、踏みとどまれなかったのは非常に残念である。

これらの発言をSNSに上げれば、グレタさんの主張に対し、反発を持つ者が安易に賛同してしまう可能性がある。グレタさんへの嫌悪については私の関知するところではないが、主張に関することだけでなく、グレタさんの人格をおとしめようとする動きを煽る発言だったと思う。これをSNSという場でやってしまうことの恐ろしさよ。
この発言を聞き、またこれらの発言に対し同調する動きを見ていると、いじめの構図に似てないかと思ってしまった。

SNSは個人の判断で気軽に主張できてしまうので、こういった発言をしやすいという側面があるから、しっかり脳内会議を行う必要があるだろう。
牛肉は美味しいし、地球温暖化に関する様々な動きについては色々思うことはあるだろうが、ならばどうすればこの問題を解決できるかを考え、どう主張していくかを論理的に判断していくことが重要ではないだろうか。
近年の科学的進歩は目覚ましい。メタンガスを排出しない、または排出を減らした人工牛ができる可能性だってある。地球温暖化に関する様々な仮説も立証、または否定されるデータも挙がってくるだろう。その情報が上がった際に、私達は地球の住人として、これからどうするべきかを考えていくことができる。これこそ知性を持つ人間の強みだと思う。

『作品と作者は別』という概念については、個々のケースを吟味してどう捉えるかを考えていく必要があるだろうが、グレタさんに関わる作者の発言は、『作品と作者は別』という概念を絡めても、問題の趣旨からずれていると感じた。
作品をどう捉えるかは個人の自由だからそれまでだが、消費者は頭の中に関連した事柄を記憶してしまうだろう。商品をイメージで価値づけをしている実情がある以上は、そのことを念頭にするのが定石だろう。自分も他人事ではないので注意していきたいと思う。
今回はよく知られた方が発言していることもあって話題に上がっていたが、有名人じゃなくても問題になることもあるし、警察のお世話になる事例も聞かれたので、ネットをしている一利用者も他人事ではなくなると思う。

最後に、例に挙げたグレタさんの件では、作者さんの発言は誹謗中傷の部類に入る悪質なものであったが、猛省して今後も活躍してほしいと思っている。
まあ、たいして名も知られてない私から言われても大きなお世話かもしれないが(笑)

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2024/03/08 19:46
初めまして。この度、文芸サークルに参加させていただいた者です。これから、よろしくお願いします。

「作品と作者は別」、難しい問題ですよね。昨今では、俳優や声優などにも似たようなことを感じます。演者が私生活で非行をすると、演じているキャラクターまでそのイメージになってしまう、というような。

その人自体を形にしたような作品なんて実際まれなのに、マーケティングの関係から、作り手や演者を前に出さざるを得なくなっているのも問題かと思います。

映画やドラマのプロモーションは監督や俳優が行うほかないし、アニメなら見栄え(声栄え?)からして声優が多いです。しかし、本来は作品それ自体を売りたいはず、でもだんだんズレて「中の人」までもが商品になって、作品と一緒に見られるようになってしまっている。

それに加え、SNSなどが広まったことで、作者や中の人本人がプロモーションをできる余地が広がりすぎたこともあるかもしれませんね。

私は、作者さんのことはある程度気になりますが、イメージが崩れて、調べたことを後悔したことはあります…



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