Nicotto Town



河越夜戦



本日は、河越夜戦があった日。

桶狭間での大勝でもわかるように夜戦奇襲は、時に巨大な戦果をあげることがある。

ところが戦国時代、夜戦はほとんど行われていない。なぜか?

まず第一に兵の把握が困難であることが挙げられる。

相手に与えた損害もつかめず、味方の被害程度も確かめにくい。

戦意の持続、耐久力も同じであり

要するに、攻め時・引き際の判断が非常に付けにくいのである。

また自然環境、気象状況次第では、敵味方の区別すらつけにくいとなれば、

夜戦の例が少ないのは、当然の理ともいえる。

第二に人間のテンションという博打要素がある。

夜戦においては兵士のテンションは戦況に寄らない。

戦闘時人はわずかながら恐れを抱くが

その恐怖感を裏返した時、異常ともいえる精神の並外れた昂揚を招く。

この時人は優越感を抱き戦況を過大評価する。

また逆に恐れが増大すると

味方は総崩れになっているのではないか?という過小評価も導く。

夜戦では視覚による状況判断が出来ないため

冷静に戦闘を継続することは極めて難しい。

道に迷った時、昼と夜いったいどちらが異常な心的動揺をきたすか

考えるとわかりやすいだろうか?

そういった側面を踏まえても

河越城の合戦は非常に稀有な存在だと言える。




その日、北条綱成は悩んでいた。

「ものすごい数だのう…」

鎌倉と越後をつなぐ要路の途上にある河越城。

今は北条の土地ではあるが、要地ゆえに取ったり取られたりを繰り返していた。

元々の城主上杉氏は、北条の力が付きすぎているのを警戒した関東の豪族たちを集め

河越城へ進軍してきた。その数8万!

対する河越駐留の北条軍は3千、とても戦になるはずも無い。

篭城しようにも、本国は今川とドンパチやってる最中。

とても援軍は望めそうも無い。 ならば…。

「よっしゃ!三千打って出て。綺麗な打ち上げ花火になろうか!」

この男。無類の鬼武者であったが、脳まで筋肉で出来ていた。

戦の準備を進めていると、本国から書状が届いた。

「氏康さまから書状です!」

「どれ見せてみろ。 勝手に突っ込むなバカ  …どういうことだ?」

「とりあえず篭城しろってことじゃないですかね?」

「おkおkわかってたさ~」

こうして方針を篭城に切り替えた綱成

だが本来、篭城と言うのは援軍の宛てがあってこそ成立する戦法。

援軍も来ないのに城に篭るのはただのじり貧、

陥落も時間の問題であったはずだった。

しかし綱成が稼いだこの貴重な時間で、氏康は勝つための戦略を練っていたのだった。



今川と停戦をすると、氏康はすぐに河越へ手勢を従えて向かった。

兵士の数は8千対8万 10倍の兵力差。

両軍は入間川を挟んで対峙、一触即発のその時

氏康は撤退を始める。

「こんな兵力差で! ずるいや~~」

泣きながら河越城へ引いていく姿を見て上杉軍は、大笑い。

「なんだよ~あの腰抜けは!」

「まあこの大軍相手じゃしょうがないっしょー」

あーはははー

この噂は、綱成の耳に入ることなり綱成は氏康に詰め寄った。

「氏康、あんたが腰抜けだって奴ら笑ってるらしいぜ

 おれがぶっ飛ばしてくるから兵をよこしな! あんたはとっとと相模に逃げちまえばいいさ」

「子供までが我を腰抜けと抜かすか…。 完全に術中に嵌ったな」

「ん?どういうことだ?」

「なあ綱成、8千で8万に勝つにはどうすればいいかわかるか?」

「ん~~? わかんねえ」

「簡単なことさ、一人が10人斬れば良い」

ポカンとした綱成だが、なにか閃いたようで

「それじゃ引き分けだろ氏康 11人斬らんとな」

「ふはは、違いない」

「時が来たんだな?」

「ああ、細工は流々仕上げを御覧じろ」



天文15年4月20日(1546年5月19日)の夜。氏康は行動を開始する。

身軽になるよう鎧をはずし変わりに白い布を腰に巻かせた。

「白い布が結わえてないものは全て敵とみなせ!」

こうして闇に紛れて北条軍は上杉の陣地へ踏み込んだ。

「クビなんかぶら下げてる暇があったら一人でも多くの敵を斬れ!」

氏康の激が飛ぶと

油断しきった上杉勢の寝込みを襲い、

闇のなかであわてふためく相手をつぎつぎに倒し、敗走させた。

敵陣深く切り込んでいった氏康軍に撤退の合図が出ると

綱成がしびれを切らして飛び出した。

「ようやく俺様の出番かよ~あんま目立つなって言ってあったのに!」

地黄八幡の旗印は北条五色備えの黄色担当

イエローがリーダーという斬新過ぎる設定の証である。

漆黒の闇の中で黄色は目立つ目立つ!

大将なのに、目立ち重視で部隊の最前列で戦いまくる綱成。

「勝った!勝った!」と連呼する声は味方を鼓舞し敵を萎縮される。

こうして、1晩のうちに上杉軍は壊滅。 当主上杉朝定は討ち死。

上杉側戦死者13000~16000という圧勝で幕を閉じたのでした。

















 

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2012/05/20 00:28
師匠って やっぱ頭良かったのね
食事で左右されるってのは 嘘だったのかしら?(笑)
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2012/05/19 21:23
歴史には疎いので、読ませてもらい勉強になりました^^
言われてみれば夜の戦いって聞いたことなかったような・・・。



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