Nicotto Town



黒い泪  【我が唯一つの望み:2】


もう世界のどこにも祖母はいない。

凛とした空気に戻ったセレモニー会場は

体感温度が5度は下がって感じられた。

人の体温というものは馬鹿にはならない

一箇所に大勢の人間が閉じ込められているということが

どれだけの熱を発生してしていたのか良くわかった。

砂場で誰かが作ったまま忘れて帰った砂山が

強い北風に吹かれて形を失うように

静かにひとり、またひとりと消えていった会場は

瞬く間に熱を飛ばし始める。

ぽつんと残されてからものの数分で

象牙色の床も、白い壁も元の無機質な素材に戻り

ひんやりとした、ただのスペースになっていた。

祖母はもう熱を発することはない。

私一人では、ここを暖めるだけの熱を発することは出来ない。

平穏だった毎日は、まだ名ばかりの寒い春に突然終わりを告げた。

それなのに、いやだからこそ

私は祖母の姿を探さずにはいられない。

祖母との想い出があるアチコチの場所。

いつも祖母に会いに行っていた自宅から施設までの道。

ひょっとしたらその道を逆に辿ってみたら

そうしたら何もかもが元に戻る。

そんなことを考えたりもした。

けれどもそんなことは絶対に起こり得ない。

空想は易々と現実にはならないのだ。



「本当に一人になっちゃったんだ」

がらんどうの部屋からは返ってくる声はなかった。

施設から引き取ってきた編み掛けの毛糸から

祖母のにおいがした気がした。

そういえば祖母の手はいつもせわしなく動いていた。

魔法みたいに編み棒を動かして

見る見る間に色んなものが編みあがっていく。

それをみるのが凄く好きだった。

目を閉じて祖母との会話を思い出そうとした。

けれども思い出せるのは悔やんでる自分だけだった。

楽しい会話は何ひとつ思い出せない。

「暖房を入れなきゃ」

少し寒々しい、それでありながらどこか凛とした空気。

それはあの日の空気によく似ていた。



教室はもぬけの殻だった。

鮮やかな色

透明なオレンジ色が幾つも重なって

深く遠く全てを包み込んでいた。

太陽は大きく西へ傾き、教室は少し寒い感じがした。

熱を発する人がいないと、

教室はこんな感じになる。

明日から自分の所有物ではなくなる机に腰掛け

窓の外をじっと眺めていた。

それはなんだか不思議な感じだった。

昨日まで見ていた見慣れた景色なのに。

景色の方がどこか余所余所しい。

デジャヴという言葉とはまるで逆。

逆デジャヴとでも言えばいいのだろうか?

「みんな泣いてたな」

本当はみんなと一緒に泣きたかったのかもしれない。

でもきっと涙は出てこない。

この景色と一緒で、何故だか余所余所しく感じた。

余所行きの泪 借り物の泪

そういったものが溢れる光景はどこか息苦しく

私が流したい涙とは違う気がした。

結局ひとりになって静かに悲しみに浸っている。

「こっちの方が私らしいよね」

誰に届けるでもない言葉は、ゆっくりと教室を漂って静かに消えた。


目を瞑る寸前、誰かの足音が近づいてきた。

静寂にそぐわない早足。

その足音はどこか懐かしい気がした。

「こんなところでなにしてんだ?」

足音はそのまま教室へ入ってきた。

「ん? なんとなくね」

「あ、なみだを流さない冷たい奴と、思われるのが嫌だからか?」

「まあそんなところかな」

「そっか」

それきりお互い言葉を交わすことなく外を眺めていた。

先に切り出したのは、彼のほうだった。

「あのさ……」

その目は真剣さを帯びていて、

逸らすことが出来なかった。

それからどれだけ時間が流れただろう

再び切り出したのもやっぱり彼だった。

「やっぱり止めた! 場の雰囲気に流されて言うのはなんか違う気がする

 やっぱり自分がここだって思えるタイミングまで取っておくよ」

彼が言いたいことはなんとなく察っすることが出来た。

それが少し気恥ずかしいように感じ、少し捻って返すことにした。

「立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む 」

「ん? どういうこと?」

彼はさりげなく、でも全身を集中させてこちらの答えを

伺っているような、そういう調子だった。

なので私は、あえて直球を投げなかった。

「しょうちくばいのしょうはなんでしょう?」

「松!」

「そういうことです」

「へ?」

眼をまん丸にした彼が可愛く見えた。

「それじゃあ、いくね」

と、私は手を挙げて

まだ考え込んでいる彼に背を向け教室の出口へ向かった。

待つっていい言葉だと思う。



ずっと脚がちいさく震えて

指も自分の指じゃないみたいだった。

何に触れても、何故だか微妙な違和感があって

全てが初めて触れるもののように感じた。

全く同じ風景の別の世界。

そこに放り込まれるとこんな感じなのだろう。

覚えておこう

今の気持ちがどんなだったのか

今見える風景がどんなだったか

……覚えておこう

命は巡る いつかまた会える

そう必ず

だから今は思い切り悲しもう

そうして忘れないでおこう

ずっと……。




「また爪噛みましてん?」

アバター
2015/03/23 23:49
「私、涙を祖母に預けたままだから」
全編の答がここにあったんですね。
アバター
2015/03/01 14:11
彼女の目線で書かれたんですね?
具体的に言わないことへ含めた想いがとてもいいなって思いました。

読む人によっていろんな感想を持たせる作品ですね^^



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