Nicotto Town



不倶戴天


不倶戴天とは、同じ空の下では暮らすことはできない

つまり、相手を生かしてはおけないという最大級の恨みの事です

そこまでの恨みがあるかは別として近隣都道府県に置いて

ライバル視しているところは結構あるようです

関東No3の座を争う千葉と埼玉

北関東の覇権を狙う群馬VS栃木

奥羽越列藩同盟の裏切りに怒る東北5県VS秋田などなど

貴方の周りの県はどうでしょうか?

そういった関係のひとつに石川県と富山県があるのです

富山にとってはおそらく不倶戴天の敵であろう石川の存在は・・・。



以前石川県を一人旅した時、輪島のおっちゃんがこう言っていたのが印象的でした

「石川の人間と言うのは富山県を下に見ている

 昔は富山の方が栄えてたんだけど、いつの間にか逆転しちまったんだなぁ」

その時は、よくあるたわごとかなと話半分で

ふぅ~んという感じで聞き流していたのですが

富山城を見て郷土博物館などを見て

その言葉が不意によみがえったのです

おっちゃんの言うことはたわごとなどではなく

現実味を帯びた真実だということが!

富山と石川、数奇な運命に翻弄された2県の歴史を紐解いていこう!



奈良時代には越中国として国府が置かれ

大伴家持が赴任していたことでも知られるように

富山県はそれなりの要地であったことが伺われます

源平合戦では、牛の角に松明を付けた火牛の計があったとされる

倶利伽羅峠もありましたね

戦国時代に入りこの地を治めていた神保氏によって富山城が築かれるころから

富山運命は激しく二転三転します

1560年に神保長職が越後の上杉謙信の侵攻によって富山城を追われると、

その後の富山城は上杉氏と一向一揆勢の争奪の的となります

混沌とした時代を経て

1578年に神保長職の子、長住が織田信長の後ろ盾を得て

富山城へとようやくカムバック!

 しかしながらわずか3年で上杉方へ内応した家臣によって失脚させられます

その後は信長の家臣であった佐々成政が城主となりました

佐々成政といえばさらさら越えについて語らなくてはいけません



特別企画 『さらさら越えとは何か?』

簡単に言うと小牧長久手の戦いの戦いで停戦してしまった家康に、

成政さんが「おい!もう一戦やろうぜ!」と直談判に行った話です

とは言え富山から浜松まで行くのは当時の状況から見ても楽ではありません

東は上杉、西は前田と秀吉方の大名に挟まれており

南の飛騨は徳川寄りでも、更に南の美濃は秀吉方の領土

となれば・・・立山連峰を越えるしかないな!

と成政が思ったかどうかは知りませんが

現在の装備でも危険が伴う冬の立山を越え、信州に出て浜松へ行くという

無謀極まりないルートを踏破してしまったのですw 戦国時代にw

戦国時代の八甲田山とはこのことだ!!



こんな無茶をしたのにもかかわらず、家康は首を縦には降らず

あわれ成政は翌年には秀吉に包囲され降伏、富山城は一旦は破棄されます

その後の裁定で越中は加賀百万石の前田家へ編入

この辺りから石川県民と富山県民の格差が生まれ始めたのではないかと思います

時は流れ1639年 加賀藩第3代藩主、前田利常(前田利家の四男)は隠居に際し

次男の前田利次に富山10万石を、三男の前田利治に大聖寺7万石の分与し

加賀藩の支藩としての富山藩と大聖寺藩が立藩したのです

これがいわゆる富山前田家の成立であり、

石川の人から見ると富山は分家という意識なんでしょうかね



さらに歴史は下って幕末期には、財政問題・お家騒動・更には家老暗殺と

揉めに揉めた富山藩。

遂には宗藩加賀藩も介入せざるを得ない状況となり

富山藩最後の藩主、第13代藩主 前田利同を加賀藩から迎え事態は収束したのです

しかしながら勃発した戊辰戦争!

旧幕府側として参加しますが鳥羽・伏見の戦いで敗戦すると

加賀藩と共に新政府軍へ恭順したようです

このあたりの様子は、

富山県郷土博物館の特別展示「幕末動乱と富山藩」でしっかりと学ぶことができますので

お近くの方は是非お越しください(CM)



そうして明治時代 1871年 あの廃藩置県が行われ

富山県は石川県の一部になりました

え? と思われるかもしれませんが

富山県は石川県の一部になってしまったのですw

元をただせば加賀の分家ですからね、戻すのが自然と考えたのでしょうか?

とはいえここに至るまでにはかなり複雑な過程がありまして

仮決定時には、加賀藩は金沢県 富山藩は富山県 大聖寺藩は大聖寺県と

本家分家をそのままストレートに県に変換する予定でした

しかしながら次の決定では区分を変え

加賀を金沢県 能登と越中の射水郡を併せて七尾県、射水郡以外の越中を新川県として

区分することで決定なんと富山と言う名前は消えてしまいました

ところがさらに一転、明治9年政府は地方財政確保の為、全国的に府県の大統合を行います

加賀・能登・越中国に越前七郡を併せて「石川県」としたのです

現在の石川県、富山県に福井県を半分くっつけた巨大な県が石川県だと・・・!?

これでは北陸県ではないか!

この巨大な県が成立していた時期を大石川県時代なんて呼ぶそうですw

もちろんこんな地域のつながりを無視した適当な切った貼ったの統合が馴染むわけもなく

この区分けは各地で反対を起こし明治16年 富山県は独立し無事現在の枠組みに戻りました



加賀藩の支藩としての統治、そして大石川県時代があるがために

石川県民は福井・富山県民よりも上であるという自負があるのでしょうかね?

そういえば、おっちゃんは石川から富山へは婿はようやらんと言ってましたが

新聞にはそういったカップルが載っていました

(新聞に結婚した人の名前と出身地域が出ているのにビックリしました)

現在ではそういった意識も薄まりつつあるのかもしれませんね

ということで今回は石川県民は何故富山県民より上にいると感じているのか?

について語ってみました!

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2018/11/23 00:54
Re:カトリーヌさん

やはり大阪中心の京阪神連合は強いのですねw
琵琶湖の水は広い地域で使われてるんですね、知りませんでした!
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2018/11/15 13:21
大阪はやっぱ、東京をライバル視している感じでしょうか^^
昔は知らないけど、今となってはかなり離されてしまって
いますけどね( ̄∇ ̄;
近畿二府四県では、京阪神(京都・大阪・兵庫)が中心で
奈良・和歌山・滋賀は下に見られがちですねㆀ
滋賀の人はすぐに『琵琶湖の水を止めるぞ!』と脅してきます(笑)
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2018/11/02 01:26
Re:ゆりかさん

昔の因縁というものが現在もなお続いている場所ってのは意外とあるんですかねw
実際こだわってるのは、お年寄りばかりで若い人は、ナニソレ?ってのが現実でしょうね~
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2018/11/02 01:25
Re:みゆさん

スマホゲーですか!? さらさら越えってどんな能力なのか気になるところですw
全国に目を向けるとライバル関係の地域は結構ありそうですよね
みゆさんの所でも、とある部分ではライバルってのはあると思いますよ
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2018/10/30 09:29
恭介さん、おはようございます。
仲が悪い地域で思い浮かぶのは、
南部VS津軽
三春VS二本松
会津VS長州(山口)…とかですかね。
石川県と富山県にそんな歴史があったとは知らなかったです。勉強になりました(*^^*)
佐々成政のさらさら越え。確かに八甲田山並みの強行軍でしたね。
どこの地域でも「あそこには嫁(婿)にやらん!」って言ってますけど、若い人は案外気にしてなかったりしますよね~。
記事、面白かったです♪
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2018/10/29 07:53
関東圏でのライバル意識はテレビとかで取り上げられることもあり
知っていたのですが富山と石川もあるんですね。
歴史上からの…ひも解くと凄いですね~

とあるゲームをやっていて、さらさら越えは特殊スキルwなーんて思ったりw
なるほど、そう言うことかと思いながら読ませてもらいました。

ちなみに、私が住んでる付近ではないかも。。。
ライバルにする前に白旗降ってそうです…(;^ω^)



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