Nicotto Town



誰のために死ねるか

妻と結婚する前に、妻に出した手紙に『私はあなたの為に死ぬことができます。』と書きました。
そして、今でもそのことは変わりないです。
さらに、今は二人の子供のためにも代わりに死ぬことができます。
動物達の親も子供を守るために敵と命をかけて戦うことを考えるときに、本来人間には、神様が人間を創造するまでの「創造進化」の動物達の段階で、親が子供に示す愛情を付与してくださったのだろうと思います。

でも、動物が自分の子供以外の子供のために命を投げ出すといった話は聞いたことがないです。
私も、たとえば近所の子供のために死ぬことができるかと自分に問うてみても、そのときになってみなけれな、わからないし、子供でなく、近所に住む、大人のためにとなれば、なおさら、ハードルが高くなると思います。

神様は、全人類を子女として親の愛で愛していらっしゃます。
その神様の愛を完全に受け継いだかたこそ、メシヤだな~って、強く感じます。

私でも神様のために!という気持ちが高まれば、自分が愛してきている、範囲を超えて、自分の命を捧げることができるかもしれないです。

そして、神様のために!という感情が満ちて、神様と同化したときに、神様と同じ親の愛で、自分の子供以外の子や隣人を愛することができるのだろうと思います。

いろいろ深く考えると、自分の信仰もまだまだ入り口程度ですし、「自分のために」という、大きな、邪魔者が心に大きくのさばっているのですから、簡単なことではないとつくづく感じます。

自分をなくし、妻のために、子供のために、社会のために、国家のために、世界のために、神様のために、そして、自分が関心のない人のために、さらには、好きになりにくい人のために。

常に「~のために!」って、思って行動する習慣をつけようと思います。

では、それはなんのために?
自分のため?

神様のため!

神様、心から愛しています!




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