Nicotto Town


⊹⊱煌華の徒然日記⊰⊹


享年76(満74歳)でした

16日の夜22:30頃 遠出していた私は遅くに帰宅し 
ちょうどその頃母や父もおじいちゃんのお見舞いから帰ってきました

その30分後ですかね?
3/11からずっと病院で付き添っているおばあちゃんから連絡が入り
いよいよ危ない状況だということですぐさま家族全員病院へ

酸素マスクをつけ息も絶え絶え
酸素を肺に送り込むのに精いっぱいの状態でかなり苦しそうでした

去年12月に急性転化した肺線維症で入院し 年は越せないだろうと言われていたおじいちゃん
唯一効くかもしれないステロイド剤を通常1日に使える量の10倍近くを3日間連続投与
あまりに強い薬のため連続で3日間しか入れれないのです
でもそれだけ投与しても症状が緩和する見込みは全同病状患者のうち3%~5%とも…
でも、奇跡を起こして無事退院して年が越せたおじいちゃん

そして3/11 肺に穴が空き 気胸 で入院
4/10頃 気胸の処置で胸に管を通していた部分が感染症に…
3月頭には口の中にカビが発生する症状も出ていました…
もうこのころから日和見感染は始まっていたんですね
そして肺の管を通って出てくる体液からカビの発生を検出したその数日後 
血液検査ででたデータでは血液内にたんぱく質がほぼ無いという状態でした
もう感染症と戦う体力が残っていなかったのです

去年12月の時点で延命処置はしないとおばあちゃん達が決めていたので
苦しむ時間を少しでも短くするために「安楽死」という処置をすることが決定しました

17日0時ごろ 私の家の家族
(名古屋にいる姉夫婦も16日お見舞いに来ていてちょうど帰宅したころに連絡が入りとんぼ返りで病院に来てくれました)
母の妹の家族(おばちゃんの家族/おじいちゃんとずっと同居していた家族)
全員がそろい、おじいちゃんに「来たよ」と一言ずつ
おじいちゃんは苦しくてしんどい状態だったけど みんなと2・3言葉を交わせました

おじいちゃんは苦しくて苦しくて でも酸素マスクがうっとうしくて
何度もマスクを外してしまって そのたびに「看護師さんが怒るからはずしちゃあかんよ」と
おじいちゃんの両手を握ってなるべくはずさせないようにしてました

1時ごろ 頭がぼんやりして心臓の動きを少しずつ緩やかにしていく薬を注入始めました
この薬は注射器を機械にセットして1時間に○㎜ずつゆっくり薬を入れていくというもので
薬を入れ始めて1時間くらいで効果がでてくるはず というものでした
でも 1時間たってもまだまだ苦しくて マスクを外そうとして
1時間に2㎜ずつの注入を一時間前倒しで入れてもらい(4㎜)
少しでも早く薬が効くのを祈りつつ おじいちゃんの手をさすったりしてました

緑内障にかかっている目は見えない状態になっていたけど 
1月に白内障の手術をした方は一応見えていたので「メガネをくれ」といって
メガネをかけてもらったり…
薬が効いてくる最後の最後まで頭はしっかりしていて「今何時や?」
「もう遅いからみんなそこらで雑魚寝してくれ」等などホント最後までしっかりした頭でした

3時ごろようやく薬が効きだし眠っているような状態になりました
でも4時ごろ薬の効きが薄かったのかまた苦しくてマスクを取ろうとしだし
1時間に3㎜に
この薬は入れる量が少なくても苦しくて多くても苦しくて 
ぼんやりして痛みも苦しみも何もない状態になる量を探らないといけないそうなんですね
その量がわかったらそのまま見守り血圧が下がり脈拍数が下がり
緩やかに心臓が止まるのを待つのみなんです
数時間で息を引き取る人もいれば2・3日かけて息を引き取る人 さまざまらしいです

椅子に座ったまま仮眠したり 
おばあちゃんが付き添いしていたからその時借りていたベットで仮眠をとったり
2・3時に父と義兄は家に戻り(日曜仕事なので)
7時ごろおばちゃんの子供2人とおじちゃんは帰宅
病院に残ったのはおばあちゃん 母 おばちゃん 姉 私 の5人でした

昼は2グループに分かれて順番にご飯を食べに行き
仮眠を順番に取りつつ ホント寝てるかのようなおじいちゃんと過ごしていました
それでも 薬の効果で少しずつ血圧が下がり 脈も手首からはとれなくなり
指先につけていた血中酸素量を計測する機械も数値が出なくなり
着実に最期の時が近づいていました

痰が喉に溜まり呼吸音が聞いていて苦しそうで吸引してもらうようにお願いするんだけど
吸引する衝撃で息が止まってしまうことがあるらしく夕方くらいに吸ってもらったのが最後だったかな?

夜再びみんなが集まりおじいちゃんを囲んで 病院内でおにぎりを食べたり
おじいちゃんはあーだったこーだったと話したり
深夜になる前に父と義兄 おじちゃんと子供たち2人は帰宅
(月曜日なので仕事と学校のためそれぞれ睡眠時間を確保しに戻りました)

そして痰が口の中にも溜まり呼吸が詰まる回数 止まる時間が少しずつ増え
18日1時ごろ心拍数が100を下回り 「そろそろです」 と伝えられ
18日2:40くらいに呼吸も止まり 2:46先生が確認しにきて死亡が確定しました

昭和11年7月6日生まれ 享年76 でした

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2011/04/24 07:00
煌華さん。淡々と書かれているけれど…どんなに辛かった事でしょう。
涙が溢れて止まりません。画面が見えないので…誤字・脱字があったらごめんなさいね。
いくら覚悟をしていたとはいえ…大好きなおじいちゃんをお見送りする事は哀しかったね。
皆さんの見守る中…旅立たれて…お祖父ちゃんも喜んでいたでしょう。
都合で帰られた方の想いはおじいちゃんにも届いていたでしょうから。。。
私も…大切な方が…僅かな時しか残っていないと知りました。白血病です。
ネットのお付き合いですから…頻繁に連絡を取り合いたくても…彼は入院前に携帯を解約していて。。。
彼は孤児で身内もいない。心を閉ざして生きてきた部分があるので…親しい人もいない。
そんな中…ネットだけのお付き合いでは…彼に何かあっても…私にはわからない。。。
でも…色んなコトを考えている時間はなかった。残された時間はもっても一月無いと…。
少しでも彼が安らかに過ごせるよう…私に出来る限りのコトをするつもりです。
こんなお話・・ごめんなさいね。 励まそうとしたのに・・自分のコトを長々と。。
おじいちゃんは幸せに旅立ったのでしょう。いつも見守っていてくれるでしょう。
彼は私に言いました「僕はどこにも行きません。いつも貴女の心の中にいます。傍で見守っています」
おじいちゃんも同じ想いでしょう。彼は今…私の為に生きる事を諦めないと…そう言ってくれています。。




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