Nicotto Town


グイ・ネクストの日記帳


ちょっと長めに書きます


最初に前世のお話。

600年ほど前、ジャンヌダルクの幼なじみとして生まれ?

親は戦争で死んだのか?孤児であったわたしはたまたま開いていた教会に拾われて

修道女になりつつも、孤児院を経営する夫と結婚し、3人の子宝に恵まれ・・・。

ええ、そのうち長男が別の場所で孤児院を開いてくれたりして。

次女は放浪癖がはげしく。

まあ、それはいいのですけど。

ええ、だいぶ話がずれました。

ジャンヌ、ラピュセルの処刑のあとで

彼女は聖霊になったことを感じました。

次の時には彼女も子宝に恵まれたようです。

そして今世。

ボクは男として生まれ。
ジャンヌこと、ラピュセルは女性としてまた生まれています。

日本で大活躍しています。
影ながら応援しています。

2番目に死者との語らい。

良き死者は「言葉では無く、合図と刺激で」伝えてくれるとボクは思います。

お風呂で死んだ人を浄化すると

お風呂で血圧が高くなる前に合図と刺激で教えてくれます。
ありがとう。と、思考できる時もあれば

一礼だけしてお風呂を終える時もあります。
昨日

ええ、昨日です。

3番目は生まれ変わった親友について書きます。

 占いをしました。ボクは占いをメッセージを読み取るためにしています。
 そこに根拠?

 そういうのはありませんし、馬鹿じゃないの?って言われたらそこまでです。

 ただそれでも。

 占いのお告げを

 信じています。知っています。

 親友は生まれ変わったと。

 それはボクの知らない異世界かもしれません。
 わかりませんが。

 また会えると。

 不思議とそう思えました。

 ボクのいちばん近い前世は大正15年です。

 昭和元年は12月のわずか数日なので。

 それはいいとして。

 ボクは同級生???

 大正15年生まれの人たちに会いました。
 それは偶然でしょうか???

 いえ、必然だと思います。
 大正15年生まれの方はほとんどが戦争経験者。
 
 足の動かない人、認知症の人、たくさん見送ってきました。

 爆弾で足が動かなくなった人もいました。
 
 それも地域もまた。

 今住んでいる地域と密接に関係があります。
 ボクの隣り町が前世の生まれた場所だからです。

 今の仕事をしていて・・・

 必死になって学んだ歌があります。
 それは日露戦争の悲惨さを皮肉った数え歌でした。

 ただ日露戦争にはアジアとして、日本としていい面もあったと・・・

 日露戦争にまつわる本を読んだ今でもそう思います。

 同級生???たちが口ずさんだ歌を

 ボクは今、仕事場で同級生たちと歌っています。
 手まりをつきながら、おじゃみを投げながら歌ったそうです。

 そんな歌を歌っていると、嬉しさと悲しさが入り混じった変な気持ちになります

 何を伝えたかったのかと言うと

 自殺して死んだ大正15年生まれの同級生たちに、生まれ変わって出会えたように、死んだ親友とも

 50歳以上年が離れた状態で、再会しそうです。

 知っている人は知っていると思いますけど・・・

 今、この世界で出会えている事ってすごい事ですよね。

 【世界】だけでもガンジス川の砂の数よりも無数にあり、

 さらにその【世界】の中から【個体】を選んでいるとしたら?

 日々出会う人というのは

 すごい天文学的な数字の確率で

 出会っている事になります。

 そして。

 人生を形として彩る「メモリー」

 宇宙の原初からの「メモリー」

 それが「再生」されている。

 そこにはあきらかな「原因と結果」がありますけど。

 人間の脳では・・・

 結果しか見れる事はありません。

 9歳で、自分をかばって死んで行った父親を見た渡辺和子先生。

 ボクの心の師である大先生は2013年に旅立たれましたけど。

 いつも不思議と大先生の手の平の上にいる気がします。

 【聖霊】を感じています。

 今日、コナンのアニメ映画を見て来て、その帰りに・・・

 迷わず大先生の本を手に取りました。

 ベストセラー1位にランクイン。(書店の順位ですので、他では知りません)

 久しぶりに読みました。

 タイトルは「ふがいない自分と生きなさい」

 記憶による抜粋なので、間違えていたらすみません。

 ボクにとって。

 「母なる樹」でした。

 渡辺和子大先生は

 今でも生きる指針となっています。

 小さなことにも愛を注ぎなさい。

 それからコーヒー1つにしても、利用者様の喜ぶ顔をイメージできるように入れたり、そういう心づかい。

 くれない族という言葉にも出会いました。

 誰も褒めてくれない。
 これだけやったのに・・・。

 とか。

 大先生でも、そう思う日があったようです。大先生が師と仰ぐ神父さんに愚痴をぶちまけたところ。

 神父さんは笑って。

 「あなたが変わらなければ何も変わらない」

 そしてされた事は「笑顔と丁寧な挨拶、感謝」

 学校が、大学が・・・明るくなったと・・・

 ただ挨拶をしても「挨拶を返さない」生徒には腹が立った事もあり

 そうやって「腹が立った」時は「小さな死」とつぶやき。

 続けて「神さま、どうか好きな時にお使いください」と、お祈りされるそうです

 この行動は聖書の節が元になっているようで。

 これも記憶による抜粋ですけど。

 「小麦の1粒の粒が死ぬことで、多くの粒が実る。」

 そんな内容だったと思います。

 それはお米でもそうです。

 1粒の種が死ぬことで、今年の苗ができるのです。
 農家であるボクの家では、その苗を植える準備をしています。

 そういう前向き?な気持ちからの「小さな死」

 ラストにボク自身へ、ポエム。

 世界を喰らう暴食のわたしよ

 一緒に生きてくれ

 愛と調和という尊いゴールにたどり着くために。

 




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