Nicotto Town


グイ・ネクストの日記帳


渡辺和子さんのお言葉


ひとつひとつのことを

本当にていねいに両手でいただいて、

たとえそれが病気であっても、災難であっても、挫折であっても、

または人からの裏切りであっても、

本当に悲しい、つきかえしたい。

そのひとつひとつを両手でいただく。

神様は力に余る試練を、決してお与えになりません

わずか9歳の時に
父親が自分の目の前で、自宅で、銃で乱射されて殺された渡辺和子大先生。

上の文章で。
いちばん共感できるのは・・・

「本当に悲しい、つきかえしたい。」の部分です。

人間として生きていたら。

そういう時ってあると思います。

ただ次に続く文章が
「そのひとつひとつを両手でいただく。」

「本当に悲しい、つきかえしたい。」事柄こそ。

両手でいただく。

心理学で言うなら「認知」する。

心の傷は・・・その方法でしか・・・回復いたしませんので。

拒絶。
「本当に悲しい、つきかえしたい。」という強烈な想い。

その想いを「認知」する。

「受け止める」、受容する。

これらをひと言でいい表すなら。

「感じる」という事なんです。

感じるところに「愛」はあり

想像もつかない現実を引き寄せてくれます。

それはボクの体験として。


ここから先に書く事は「ざれごと」としてお聞きください。

人は生まれながら不死にして、不滅です。

ただ肉体の死という「仮」の死は体験します。

人という「存在」は生じるという事が無いので、滅する事もありません。

それは何を意味しているのか。

ボクの祖父は生まれた時から死んでいましたが、

「存在」は生きており、「存在」として「多くの事を」学びました。

父親は29歳の時にたしかに自殺しましたが。
ボクは車に乗るたびに、「存在」を感じるので、「存在」として生きています。
おかげさまで、鍵の抜き忘れはありません。
それは父親がよく抜き忘れていたからです。
そんな父親の「存在」を車に乗るたび、感じるのです。

「存在」を感じる時、「愛」がそこにあるとボクは思います。

あなたという「存在」も。

また「誰かに」感じてもらえます。

そこにあなたは「存在」しているのです。

生じる事も無いので、滅する事も無いのです。

肉体という「うつわ」が変化しているのと・・・。

【世界】が変化しています。

「存在」を感じる事は

思考が止まった状態なので

心地よく、あたたかく、喜びがあふれています。

先祖や、家族を「存在」として感じるのも1つの瞑想ですけど。

自分の「尊敬する方」を「存在」として感じる事をおススメします。

「尊敬する方」の本、住んでいた家、テレビドラマ、ドキュメンタリー

どうか触れてみてください。

「存在」として感じるとき

心地よく、あたたかく、喜びがあふれています。

あい

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2019/06/18 21:57
光源氏さん、コメントありがとうございます。

「置かれた場所で咲きなさい」
その言葉と本を心の支えに自分も生きています。本に救われる、そういうこともありますよね。
アバター
2019/06/18 07:30

 「置かれた場所で咲きなさい」
 は、以前の経営者の奥様とやり合ったときに
 仕事を辞めようかと悩んだときに
 僕の上司だった人に借りた本です
 
 あの時は助かったな~
 辞めるのを思いとどまって今の僕がいる
 あの時の経営者は辞めました
 僕に本を貸してくれた上司も辞めました
 僕はまだ置かれた場所で咲いています




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