Nicotto Town


日々の日記


叔母の葬儀でいろいろあった。

 トップのつぶやきでちょっとだけ書き込んだが、8月31日に叔母が84歳で亡くなった。

 ずっと一人暮らしであり、叔母はリウマチで足が悪く、14年前に旦那さんが亡くなってから、私の両親がずっと世話をしていたが、それも2年前に母が亡くなり、以来父が一人で毎日世話をしていたが、昨年の11月に腰の骨を骨折(大腿節骨折)してしまい、病院に救急搬送され、そのまま腰の骨を人工関節に取り換える手術を受けた。手術自体は成功したのだが、3日後に脳に血栓が詰まって脳梗塞が起きてしまい、後頭葉が損傷した。結果的に失明してしまい、寝たきりになってしまった。
 手術を受けた病院から近所の病院へ転院したが、目が見えないので、3食とも父が食べさせるという日々が続いた。
 叔母は基本的に一人暮らしだが、亡くなった旦那さんには息子がいて、つまり旦那さんと別の奥さんが死別して、その後に後妻として叔母さんが結婚した。婚姻関係は息子とななるが血はつながっておらず、縁も切れているので普段は交流していなかった。ちなみに亡くなった旦那さんは早くから遺言書が作られていたので、全財産が相続された。
 旦那さんの死後、私の母と叔母は昔から仲が良く、近所に住んでいた事もあり、父と共に毎日叔母さんの所へ通うようになり、日ごろから足が悪かったので身の回りの世話をする事になった。そんな訳で、もし死んだときは全財産を譲る話がでたが、遺言書を作らないままでいたのだが、今年の3月に死期が近づいたので、公正証書遺言を作る事になった。当然だが自書遺言は失明したので不可能であり、公証人役場によって自書遺言が無事作成され、全財産を相続するといる書類ができた。
 4月には食事を取る事ができなくなり点滴での生活になったが、時々意識が散漫になったり、逆に非常にはっきりする日があったりと、波がはげしかったが、7月になると意識が散漫になる日が多くなり、8月下旬になるとほぼ意識はなくなって、お迎えを待つばかりの状態になった。
 そんな危篤状態で夜型の私は、8月28日から連日病院へ泊まり込む事にしたが、8月31日の明け方に容体が悪化し、そのまま息を引き取った。
 生前の叔母の意向で、家族葬によるごく近親者だけの葬儀となった。残っている近親者は、叔母の兄妹は既に他界しており、その子供たちと普段交流がない先妻の息子が来てくれた。他にもあと二人近親者がいるのだが、入院していたり連絡がとれなかったりで10名の葬儀となった。
 また通常は通夜から葬式、火葬までの3日間なのだが、9月2日は友引であり、1日仮通夜として1日多くかかったが、3日の午後、火葬を待っている時間に、普段あまり交流のない近親者が遺産について口火を切った。だが父はその件は直接明言せず、火葬後にお坊さんによる初七日の繰り上げ法要が行われ、葬儀全てが終わり、今後位牌が置かれる事になる私の家まで親族一同を呼んでもらった。
 そこではじめて公正証書遺言の存在を示し、全財産が相続した事を伝えて、親族はそのまま引き下がらずを得ず、そのまま帰った。
 遺言は生きている元気な時に、効力が有効な物を作成しないと絶対にもめる原因となるので、それが改めて思った。




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