太陽の国
- カテゴリ:日記
- 2010/06/07 00:00:49
コバエに悩まされる季節がやってきた。
蚊はもっといやだ。もう少しすると本格的に虫除け対策をしなければならなくなる。
この季節になると思い出す人がいる。
そのかたは某暴力団組員。
人のつてでお話を伺う機会を何度か得て、絶対に他言無用という約束で個人的なことも特別にお話してくださったのだが、十年以上経た今でもよく覚えているのは、そのヤクザさんがお話を伺っている時に突如現れた小さなゴキブリちゃんをみて
「わしはな、悪い人間やったら殺すかもしれへんけど、虫は殺さん。一生懸命生きとるのに可哀相やろ?」
と、しんみりつぶやいた一言。
人間の命と虫の命を秤にかけたら、この人のなかでは虫の命のほうが大事なのかと、当時まだ20歳そこそこの私にはものすごく衝撃でありました。
その時からずっと、人間にとってモラルというのはなんだろう、ずっと考えています。
たとえば、今はスペインに侵略され、滅びてしまったアステカ帝国。
アステカは太陽を崇拝した民族ですが、この国では神に祈りを捧げる時、その祈りとともに人間の心臓を捧げるのが大切な儀式のひとつでした。
その儀式を知り、当時のスペイン人はどんなに恐怖を感じたことでしょう。
そして、「こんな野蛮な国は絶対に滅ぼさなければ!」
と決心したことでしょう。
しかし、アステカ帝国においてはこの人身供養にされる生贄というのは、選ばれたエリートで、家柄もよく、容姿もよく、優秀な頭脳を持った優れた人物でなければ生贄としては対象にならず、それゆえ生贄に選ばれる、というのは非常に名誉な事だったのです。
認識の違い、というのはこのようにしばしば悲劇と喜劇を生むものです。
今日は休日なので、電車の車内も休日を楽しみながらゆったり移動している人々が座席を占めていました。そんなまったりムードのなか、とある駅で乗車したサラリーマン風の男性が車内に乗り込むなり、優先席に座って携帯でメール中とおぼしき青年にツカツカと歩み寄り「ちょっと君!優先席で携帯を使っているなんてどういうつもりだ!優先席を選んで座っている人もいるんだぞ!電源を切れ!」と体を震わせ激怒し始めまた。異変に緊迫する車内。注意された青年は「何なんだよ、関係ねーだろ!」と居直り、サラリーマンともみあいに。そこへ「お客様、おやめください!」といちはやく異変を察した駅員が飛んでます。
すぐに「お客様トラブルのため、ただいま発車を見合わせております」のアナウンス。
数分後、駅員さんがもみあうサラリーマンと青年を必死で説得してふたつにわけました。
理論としてはサラリーマンのほうが絶対に正しいはずなんですが、数分電車を停止させた
というモラルに問題があるのは両者同じです。
ううむ。正義を行うというのは本当に難しい。
そしてモラルとか正義の基準は何かと考えると、20代の頃と同じく相変わらず答えが出ないのでした。そして白黒の分別がつかない私のような人間が犯罪に走るパターンが多いのではないのかと思うと、自分が怖くなる時があります。
善と悪の境目・・・。
ジョルジュバタイユやスタンダールを読むとますますわからなくなります。
だから勧善懲悪の時代劇を見ると少し安心するのかもね。
どちらの立場に立っても、譲れない思いがありますし・・・。
悪人が悪人であり続けることは出来ても、善人が善人と認識され続けるのは不可能かもしれませんね。
悪を消すのが善人の役目であるとすれば、消すという行為に対して反感を覚える人がいるのは確かですし。
広島少年院での暴行事件に関しても、
「少年たちにナメられちゃいけないという気持ちからやりすぎの暴力へ発展させてしまった」という大人の意見にうなずく一方で、暴行を受けた少年、及び現場を目の当たりにした少年たちが負った心の傷を思えば、彼らがカワイソウに思えてきます。
結局は、「目的」と「やり方」なのではないでしょうか。
少年院の目的は更生であり、そのために命の大切さなどを学ぶ。
暴行を受けた少年たちはその恐怖と、「こんなとこからは早く出たい」という気持ちばかりで、自分に刃が向くのを恐れて同寮生を助けられなかったというし、となれば、やはり行き過ぎた暴力は何のプラスも生まないということになります。
目的がズレたとしか言えないでしょう。とはいえ、少年院に入所した少年らの被害者、またその遺族にとっては、法に守られた彼らへの裁きは甘いと思っているでしょうし、その辺りは私がどうこう言えるものではないのですが・・・。
乗ってきたサラリーマンの言うことは正論ですが、ショッパナから青年を刺激するような言い方をしなくても良かったのではないか・・・と思ってしまいます。優しい言い方で聞いたかもしれない。それでも聞かないようなクソ青年ならば、「やれオッサン!」って応援したくなりますがwww
自分が善だと思い込んでいる人は、往々にして悪と認識した途端に牙をむくことがありますよね。もう少し慎重にいかないと、最近は誰が誰をグサッとやるか分からない時代ですから、極端な話、善者が己の行動の出方を考えなければ、あっという間に善が滅びてしまいそうです・・・。
アステカは神秘ですね。エリートが選ばれたのですか! 初めて知りました。
当時の欧州は最強でしたからね。アステカ人の行動や信仰に対して、文明どうので整理がつかないと思い、とても怖かったのかもしれませんね・・・。
「桃太郎は、自分たちにわるさをする鬼を悪だと思って、鬼をやっつけた。
だがその鬼に子どもたちがいたら、親を殺した桃太郎を悪だと思うだろう。」
その時はちょっと強引だなあと思ったのですが、
他の思い出以上に、いまになっても僕の中でいきつづけています。
善と悪の本質は同じものなのかもしれない、ただとらえ方が違うだけ。僕はそう思っています。
ほんとはそんなものはあまりないのだろうけど。
正義とは、正義の基準はなにか?
はっきりと自信を持って答えられるようになったら、僕は危ないような気がするのです。
正義は、人の思考を止め、気が付いたら多くの犠牲を生んでしまうかも。
世の中、白黒付かないことも多いし、白黒つけない方がいい物もあるような気がします。