Nicotto Town


錆猫香箱日和


8年前の恋 2

約束どうり、クリスマスイブにアンパントトロ・・・アツシの知り合いのフレンチレストランで食事をした。
ブルースバーの時と違い、彼はあがりまくっていて、口数も少なかった。
私は彼に対する印象をちょっと改め、引き続き様子を見ることにした。

年が明けてわりとすぐにアツシの店はオープンした。

約束どうり、尋ねて行ってみて、彼を見て驚いた。
店内からはキッチンの様子が全部見えるようになっているのだけれど
厨房のなかにいるアツシは、私の知っている彼とはまるで別人みたいだった。
すごく厳しい表情をして、黙々と動いている。
アンパンマンみたいな優しい顔も、いつもと違いひきしまって見えた。
大きな手が、魔法みたいに動いている。

こちらを1度も見ないのに、私が店に来たのはちゃんと気がついていたらしい。
ソムリエが

「シェフからです」

と言って赤ワインのボトルを私に見せ、コルクを抜きグラスに注ぐ。

そして、運ばれた料理を口にして

「!!!!!!!!!!」

美味しい・・・

私の、アツシに対する評価は、この瞬間、激変した。
頭の中で、NHK喉自慢大会の『合格』の鐘が激しく打ち鳴らされていた。



それから、まもなく私はアツシとなんとなくつきあい始めた。

彼は店が閉店すると、終電がでてしまう時間になるので、よく銀座から吉祥寺まで
深夜にタクシーを走らせて尋ねて来た。
そして、ウチにたどり着くと私がお茶を入れている僅かな間に眠っていた。
そして、また早朝にあわただしく出て行く。
次の日が店の定休日だったりすると、深夜にタクシーで来て翌日の昼まで寝て
ムックリ起き上がり
「ちょっと店に行って来る。営業中に掃除できないところを掃除したいから」
と言って店に行ってしまうのだ。

でも、私はそれを、あまりかまってもらえないのを全く不満に思っていなかった。
彼がどんなに自分の仕事に情熱をかたむけているか、よくわかっていたから。
だから、そんな日が続いたある日、彼から

「ゴメン、俺と別れてくれ」

と突然言われた時は、一瞬言われた意味がわからず、呆然としてしまった。


「別れるっていきなり何で・・・・・・
急に私のことが嫌いになったの?私にはあまりあなたに嫌われる理由がわからないんだけど」

「いや、嫌いになったとかじゃなくて、むしろどんどん好きになってて・・・
でも時間がなくて・・・」

「ああ、私のことをかまってくれる時間がないことを気にしてるの?
つまんないこと気にしないの。
まだ店がオープンして間もないんだから、私はそんなこととっくに納得してます。
私、お店が軌道にのるまで待つから。
何年でも待てるから大丈夫だってば」

「君をそんなに待たせていると思ったら、俺は仕事なんてできない」

呻くように言った後は、堤が決壊したように、言葉はとまらない。

「俺は間違いなく君を愛している。
初めて会った時からいいなとおもったけど、
でもこんなにまで、仕事が手につかなくなるぐらいに君を好きになるなんて
全く予想外だった」

「どうして私のことを好きなのに別れたいの?」

「俺は、
最近いつも君のことばかり考えながら仕事をしている。
それは、俺の料理を食べに店に来てくれる客に失礼だろう。
俺の料理は、俺の料理を食べに来てくれる人の事を思って作らなきゃいけない。
そうじゃなくちゃいけないんだ。
厨房に立っている間は、俺の料理を食べてくれる客が恋人でないといけないんだ。
でも、俺は君がいるとそれができないんだ。
ゴメン、俺の勝手だけど・・・」

彼は泣いていた。

私のしらないところで、彼はそんな苦しい思いをしていたんだ。
もう彼をこれ以上悩ませてはならない・・・。

「自分から別れたいって言ったくせに、そんなふうに泣いたりしちゃ駄目じゃない。
最後は笑って別れようよ。
短い間だったけど、楽しかった。ありがとう。
いつもあなたが言っているように、世界一のコックさんになれるといいね。
もし、あなたが世界一のコックさんになれたら、絶対私を招待してね。」

「ありがとう。約束するよ」

「元気で」 「君も」


こうして、私の短い恋は終わったのです。

この日、彼と別れておうちでお風呂の湯船に浸かっていたら
いつのまにか涙がひとりでにボロボロ溢れてきて、とまらなくなりました。



それから、8年経ちます。



彼に未練なんて全くないのですが
私は相変わらず彼のことが大好きなのです。

今年もクリスマスはひとりで過ごすことになると思うけれど、
私はいつも彼の思い出と一緒にクリスマスを過ごしているのです。

いつか、彼が世界一のコックさんになれる日がきますように・・・・。



照れるので、コメントを受け付けない設定にさせていただきます。ごめんなさい。



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