<人魚の章>
- カテゴリ:小説/詩
- 2011/01/31 00:07:22
夜更けの海は凪いでいた。
船室の小さな窓の向こうに、真っ黒な海が月明かりに照らされて
白い波頭を輝かせている。
明日もきっと、雲ひとつない晴天に違いない。
明日・・・・・・
明日、その晴天の下で、人々の祝福をうけながら
王子様と隣の国の王女様の婚礼と王子の王位継承の式がとり行われるのだ。
その王子を私は婚礼のさなかに狙撃しなくてはならない・・・・。
王子様・・・・・・
あの青い瞳、明るいブロンドの髪、くったくのない笑顔・・・
王子の命を狙うため、足ひれを義足につけかえる手術をし、
魚の泣き声がでないように声帯に手術までした、人間の敵である人魚の私を
王子様は海に溺れて流れ着き、記憶をなくしたかわいそうな女だと
露ほども疑っていない。
あのかたはきっと、生まれてこのかた人を疑ったことなどないだろう。
本当に、なんて心の美しいかた・・・。
何の見返りもお求めにならず、私をお傍において
本当の妹のように愛してくださった。
そう『妹』として・・・・・・・
・・・・・人魚姫・・・人魚姫・・・
大事な妹・・・まだ起きている?
突然姉さん達の声が頭に直接響いてきた。
私達人魚は人間と違って言葉でやりとりをしない。
直接心に語りかけるのだ。
私はそっとドアを開け、自分の船室を出る。
明日婚礼が行われるとはいえ、この船は客船ではない。
魚雷を搭載した軍艦だ。
何しろ、人間と私達海の国は戦争の真っ最中なのだから。
それが何故、王子の婚礼が私達敵のど真ん中で行われるのかといえば
どうやら王子の周りの宦官どもが戦場での婚礼を強く薦めたらしい。
あのいやらしい宦官たち、いったい何を企んでいるのだか・・・。
船の甲板に出るまでに何人か警備の兵に出くわすが、
彼らは私が船内を歩き回っていても全く気にとめる様子がない。
何しろ私は『記憶をなくし、言葉を忘れた気の毒な女の子』なのだから・・・。
「あまり海に身をのりださないでくださいよ。鮫が襲ってくるかもしれませんよ」
と軽く声をかけられただけだ。
甲板の端までたどりついた私はその場に座り、真っ黒な波間を覗き込む。
いたいた。
波のすぐ下に姉さん達の顔、顔、顔・・・
12人の人魚の姉さん達が勢ぞろいしている。
「トレーズ、大丈夫なの?」
1番目のアン姉さんの心が真っ先に呼びかけてきた。
「みんなあなたが明日王子を狙撃できるのかってみんな心配してるのよ」
「姉さん、大丈夫よ。銃もちゃんと手にいれたし、婚礼で人間達が浮かれてるなか
王子を狙撃するのは結構うまくいくと思う。私が王子を狙撃したらイルカか海ガメが
私をこの船から脱出するのを手伝ってくれるんでしょ?うまくいくと思う」
「そうじゃなくて、私達はあんたが王子に情を移してるんじゃないかと心配してるの。
あんたって、昔から優しいところあるから。
でもね、よく考えて。
私達の海がこんなに汚染されたのは誰のせい?
魚達の乱獲なんかで生態系のバランスが崩れているのは?
温暖化は?フカヒレだのキャビアだのって体の一部分に高い値段つけて
あとの残った部分はいらないってふざけた食べ方許せないわよ。
ねえ、このままだと、私達の海は人間のせいで住めなくなるわ。
人間を何とかしないと、私達は滅んでしまうのよ!!」
「わかってるわ、姉さん」
「トレーズ、あんた今『わかってるわ、姉さん』のあと『でも』って思ったでしょ。
いいえ、聞こえたわよ。『デモ』なんなの?言ってごらん!!」
「姉さん、あのかた・・・あ、いえ、王子は我々の敵ではありません。
あの王子は戦争がお嫌いです。王子は宦官達にいいようにあやつられているだけ
なんです。先代の国王も宦官達に国を追放されていますし、王子が宦官達に逆らえ
ば、王子も国を追放されるか、悪くすれば殺されてしまう・・・。
王子は私達海の民と争うことに日々胸を痛めています。
王子を狙撃しても、私達と人間の争いの根本的な解決にはなりません!」
「・・・あなた、まさか私達を裏切る気じゃないでしょうね。
そこまで王子に肩入れしてるなんて・・・。私達を裏切ったらどうなるか・・・・・・
わかって言ってるんでしょうね?」
「まさか、姉さん達を・・・国を裏切るなんてそんなことはできないわ!本当よ!」
「わかったわ、私達はあなたの愛国心を信じることにします。
じゃあ、明日、しっかりね」
「まかせて、姉さん」
姉達は音もなく、真っ黒な海に溶けるように消えていった。
しばらく放心したまま、姉達の消えていった海を見つめていた。
明日、王子の狙撃ができなかったり失敗したりすれば、
姉達は私を許さないだろう。
私は・・・きっと姉達に殺される・・・。
「おい、青い顔してどうした?気分でも悪いのか?」
気がつくと、見張りの兵が傍らに立っていた。
何でもないです・・・と兵士に向かって両手をヒラヒラと振ってみた瞬間
水中から突如飛び上がった姉の姿が月を背に浮かびあがった。
姉の手にしたボウガンが正確に兵士の喉を貫く。
兵士が水音を立てて海に落ちた。