肺炎の度合いを現す数値(正確な名称はCRPといいます)
正常値は0.5だそうで、医師が、肺炎と診断する数値が1.0
だそうで、妻の先程の血液検査の数値は85で正常値の170倍
という、「生存している事が、不思議という状態」だそうです。
妻に使命が有るから、と皆様の祈りの力以外にこのような奇跡が起こることは
ありえません。
私は自分が37歳の時、4度の肺気胸の経験と、今見せていただいた森ノ宮病院での
CTでの断層写真で肺全体に(左右、前後、上下つまり3D的に肺全体の炎症状態)
大小さまざまな無数の白い影(炎症部位)を見せてくださった医師に私は思わず
「これ、全部ですか?」と聞くと先生は「私も、医者になってこんな状態で
生存しているという患者さんは見たことがありません!」と語っておられました。
(左右同時の肺炎は極めてまれ)大小数十箇所に及ぶ炎症を見て、私が気胸に罹り
3度目の再発した時、近大病院の救命救急センターからその日だけ貴島病院に
応援で来られていた先生に「光源氏蛍さん、貴方は、何時も右の肺だけだから、
今のうちに手術したほうがいいですよ、
何故なら両方の肺が同時にバンクしたら、悪けれど現代の医学では、絶対に
救えないんだよ!」と言われたことを思い出し、
肺が破れた者だけに分かる直感で、
妻の身に、起ころうとしていた戦慄する状況
(恐らく後数時間後に起こっていたであろう両肺の
同時破裂)まで残されていた時間は沢山は無かったと
感じました。
何故なら1/19(土)にW第1病院に妻が救急で診察を受けた折、
肺のレントゲンを取っていて、その写真に既に肺のアチコチに気泡が出来ている
事を、その時診察した女医から妻が聞いていました。
「肺に気泡=その部分が、膨らむにで風船と同じで底の膜が薄くなり、
やがてそこが破れます!(私の経験による)」。
それでも入院させずに家に帰らせたW第1病院の対応は、私の知識からは考えられ
ない対応です。
ましてや1/20(日)の午前(朝一9:00に、病院が開くのを待って、救急で
診察して貰いに行って、一時間も待たされたあげくに診察した
医師(?こんなのは医師と呼ぶに値しない)は
「今日は、胸部に専門の医師が居ないので、診察は出来ない。検査入院も出来ない!」
とのたまうので
「何か、出来る処置はないのか?」と、妻に詰め寄られ
「それじゃ-、点滴を打ちましょうか?」だけ!
一日前に撮ったレントゲン写真を見て、私でさえもこれはかなり危険な状態と判断
できるのに、この医師(???)は、それさえ見ていないとしか考えられない、
ずさんな対応で、家に帰らされました。
そして、点滴で少しだけ気分が良くなった妻が「お腹が減った、ラ-メン食べたい!」
というので、家の近くのラ-メン大王に行き、二人でラ-メンを食べました。
妻は「美味しいね!美味しいね!」と言って、食べてくれました。
そして、家に帰り体温を測ると、またもや37℃を越えていました。
妻は、長年飲んでいるロルフェラミン(解熱・鎮痛剤)のせいで、熱が出ない体質
なので、その妻が発熱する=重篤な状態と私には、判断できますので、
即刻、議員さんに電話して指示を仰ぐと
「すぐ119番して、救急でどこかの病院に入院すべきです!」との一言で、私は
入院の準備をして119番の救急搬送を依頼しようと決断したのです!
そして、地獄のような搬送受け入れ病院探しと
それに続く、今述べた森ノ宮病院での、前述の驚愕の事実へと続きます。
皆様の祈りと、妻には、この世でまだ果すべき使命が有ったが故に
「生きてありつるは、このことに、あわんがためなりけり」
大いなる仏様に
愛する妻を二度までも命を助けて頂きました、
この御恩返しは、私が死ぬまで、いえ未来永劫、
広布に戦う事を御誓い申し上げるものです。
地区の同志の皆様、心の底より御礼申し上げます、
有り難うございたした、妻は必ずや元気でを広布
の庭に帰って来ます!
最終電車で瓢箪山駅からの帰り道にて。
奇跡は2度起こった!
光源氏蛍
ブロコメ、ありがと。リコメのお届け。
もぉ!またしてもバタバタの朝でしたぞ。
毎度のコトながら、やらかしました(汗)
今週の行く末が見えたな( ̄▽ ̄)
父の日ね。しまむら、知ってますよ。
近所にあるもの。庶民の味方だよね、
にしても、こっそりプレゼントとは!
娘さん、優しいねヾ(@⌒ー⌒@)ノ
微笑ましい話を、ありがとぉ!
私は、現金支給は既に終了してたから。
ま、軽~く何かしようとすると…
胃袋、掴むしか無いだろうと(笑)
あたしの料理よか、ビールの方が嬉しそうだったけど。
お金は、ほとんどかかって無いんだよね(^∇^)
さほど、手間もかけてないし(笑)
今年は何故か、親父さまも家庭菜園のコト、
やたら気にして、世話してるんだ。
野菜の収穫は、自分でしてくるし。
なんで、その野菜たちを使ったって訳です(^-^)
本人が採ってきたモノが、すぐに調理されたら、
それだけでも、ポイントアップでしょ?(^∇^)
とりあえず、残さず食べてくれたし。
ま、良かったかな。
もしか、いつものように残飯整理が回ってきたら?
煮野菜はまだしも、野菜炒めは…。あたし、いらないし(^^;;
ある意味、助かりました(笑)
庶民には、こんな父の日で充分。
ってか、親父さま自身、父の日用に作った料理って、
気づいてないと思うわ(^∇^)
さ。また今日から、仕事だよ。
とにかく、頑張ってくるね。
仕事を?お局さま対策を?って話だけど( ̄▽ ̄)
でも、光源氏蛍さんの体調が心配です(゚д゚;)
お仕事に、希望さんの看病で大変だとは思いますが
休めるときには、ゆっくり休んでくださいね。
わざわざ、結衣のブログにコメントくださって
ありがとうございました。
なんとか、一命を取り留めたようで
安心しています。
希望さんの回復は、順調に経過していますでしょうか(*´д`)??
希望さんには、国試の前からずっとお世話になっており、
希望さんのコメントで、いつも元気づけられていました(Pq∀`*$)
希望さんに、ゆっくり休養をとるようお伝えください。
長文失礼しました。
お疲れ様でした。
奥様のお体が健康を取り戻せますように…。
また、
ご夫婦の上に祝福がありますように・・・。
人生歴が長くなるといろいろあるものですね。
大変な事になってたんですね・・・・・
奥様、頑張りましたね
蛍さんも、大変ですが
少しでも、休める時は横になって下さいね
巡回は、休んで下さいね
蛍さんまで、倒れてしまったら
大変なんですから、
奥様の病気が早く良くなります様に・・・・・・
お大事にして下さいね
奥様のご病気との闘っておられるご様子を2ページに渡って拝見しましたw!!
西洋医学の世界では、Drゎ奇跡と言う言葉は使いたくないが一般ですね。それが
お見事に病魔と打ち勝たれたとゎ、素晴らしいとしかいいようがありませんね。
わたしゎ『脳出血』引き起こして早4年目に血小板も平常値が140以上なければいけないのに
その半分の70しかなくて右脳の血管が5mmにわたって破裂してしまい血が止まらず駄々漏れで、輸血の連続で
その日の深夜が耶麻だと危篤状態でした。でも三途の川とやらを渡って向こう側へ行きましたが、ある方から
(話せば長文になるので省略させて頂きますw。) 追い返させられました。それであの世とやらから
生還してきましたwでも今でもw後遺症が残ってリハビリをしていますが、場所が場所だけに、
今後の脳障害の再発の恐れゎ大だそうですw次、脳梗塞の恐れもありうるそうですと癌にもw
でもわたしゎ生かされてますwですから今こうして毎日が楽しく過ごせたら幸せなんですw!!
生きる喜び今こうして生きてることが奇跡であり、明日自分が朝めざめて生きていれば奇跡だといつも
願って病みません!!wお友達のアリちゃんも言ってましたよwこれからも前向きに生きていこうと
あきらめないで生きる希望がわたしゎ重要だと思いました。とうとう話ちゃいましたが、
今後とも<(_ _)>よろしくお願いしますw!! 生きる喜びって・・・・・ 幸せ・・・☆。◕‿◕。)ノ♡☆
うちの母は100こえてる数値の肺炎を患い、
何度も何度も再発しましたが生還できました。
院内で「奇跡の人」と呼ばれてたそうです。
母はもう天国に逝ってしまったけど肺炎で死にませんでした。
奥様も絶対死にません!
どんなことがあっても生還し続けます!!
奇跡は何度も起きると思います。
奥様のがんばりに拍手です。
なくなった方は親友ではなくて2.3年前からお付き合いのある
仕事関係の知人です。
でも2日前に元気だった人が突然いなくなってしまう事。
人生とは明日がわからないことなんだなってつくづく思いました。
とても可愛がって頂いたので・・・
とてもショックです。
明日は我が身と日々を大切に生きなければと思っています。