Nicotto Town


錆猫香箱日和


夕空が晴れたなら Ⅴ

日が傾きかけている。

涼しい風が吹きわたり川沿いに植えられた柳の葉をサラサラと揺らしている。

その川沿いにも、川に浮かぶ船にも、橋のうえも人で溢れていた。

人々は、夕暮れを待っている。花火があがるのを待っているのだ。

江戸時代の橋は木でできていて、現代の橋の2、3倍の横幅があった。

その広い橋の欄干に人が鈴なりになっている。

江戸っこ達は狭い橋のうえで男も女もこざっぱりとした装いで団扇を使い

はしゃぐ子供を老人が相手してやっていた。

「金魚~!めだかァ~!」

水の入った桶を担ぎ、金魚売りが声を張り上げている。




善吉さん・・・パパはどこにいるのだろう。

パパが姿を消した近くに倒れていた少女は、3年前の私自身だった。

気絶している私に周囲の大人たちが気がついて大騒ぎになったところへ

ママが血相を変えて駆けつけ、気絶している私を抱いて連れて行った。

そしてパパはあの時同化した石の力でこの時代に飛ばされたのだろう。

でも時間を移動できるのに何故すぐ帰ってきてくれなかったの?

今になってママの前に現れてまたすぐ消えてしまったのはどうして?

パパに会ったら言わなきゃ。

私とママの所に帰って来てって。

ママがどんなに寂しがってるか、パパに言ってやらなくちゃ。

シン、私は絶対にパパをもとの世界に連れて帰るわ!



「お嬢ちゃん、思いつめた顔してどうしたんだい?」

声をかけられて我にかえるとすぐそばに男の人が立っていた。

とても派手な柄の地獄絵図を描いたと思われる半纏を来ている。

柄もさることながら色もすごく鮮やかな半纏だった。

ふところからは猫が顔を覗かせている。

ちょっと変わった感じの人かもしれない。

その私の考えを読んだかのようにその人は胸の前でヒラヒラと手を振った。

「あたしはあやしいもんじゃないよ。

あたしは歌川国芳という絵師なんだが猫が好きでね。

お嬢さんが連れている猫があんまり綺麗な子なんでつい足が止まったんだが

よく見るとお嬢さんも変わった異国風の装いだし

なにやら仔細ありげに見えたんでちょっと気になってね。

お前さんはどうやら花火見物にきたわけじゃあなさそうだね?」

そう言って私の顔を覗き込んで、絵師のおじさんは親しげに微笑んだ。

どうやら悪い人じゃないみたい。

「パパを・・・父を捜しているんです。

私が7つの時の花火大会の日に姿を消して・・・

今私は10歳なんですけど、先日偶然この近くでお父さんを見かけて・・・。

お父さんは善吉さんっていう花火職人になっていて、

この近くでお役人みたいな人達と喧嘩をしてました。

お役人はこのシンっていう子が追い払ったんですけど」

「花火職人の善吉さんかい?!」

絵師のおじさん・・・歌川さんは飛び上がらんばかりに驚いていた。

「あんた、善吉ッつあんの娘なのかい?

水くさいねえ、あのしとに娘がいるなんざ、あたしァ初めて聞いたねえ」

絵師の歌川さんは懐手を組み、首を振って唸った。

「あの、父を知ってるんですか?」

「ああ知ってるとも。

あたしは3度の飯より祭りが好きでねえ。

このあたりの祭りも仕切ることが多いんで、自然このあたりには顔が広くなって

数年前から花火職人として居ついた善吉ッつあんともすぐ仲良くなってね

お花さんともども家族ぐるみでおつきあいさしてもらってますよ」

今度は私が飛び上がって驚く番だった。

「じゃあいま父がどこにいるかご存知ですね?!

連れて行ってください!私をお父さんの所へ!!」

「もちろん連れて行きますよ。

そのかわり、あとでその白い猫ちゃんをあたしに描かせておくれ」

この歌川国芳さんという絵師はよほどシンが気にいったらしく

本当なら今すぐ描きたそうな顔だったけれど、親切にこう言ってくれた。

「では急ごう。日暮れには花火が始まる。

花火は作った職人本人が打ち上げることになってるからね。

花火を打ち上げはじめてからだと善吉ッつあんは花火につきっきりで

あたし達は花火が終わるまであのしとに近づけないからね。

おあつらえ向きにあすこに駕籠かきがいるじゃないか。

ちょいとひとっ走り善吉ッつあんとこまで連れて行ってもらおうじゃないかい」

私と歌川さんは折りよく近くにいた二組の駕籠にそれぞれ乗った。

駕籠に乗るのなんて生まれてはじめてで、ドキドキした。

それに、もうすぐパパに会えると思うとさらに胸が高鳴る思いだった。

駕籠は前棒を担ぐ人と後棒を担ぐ人が

「はあん」 「ほう」 と交互に掛け声をあげる。

駕籠は驚くほど早く、しかも独特の調子と威勢のいい掛け声をあげながら

雑踏を抜け、河川敷の道をひた走っていた。

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