ニコット登録3周年になりました。生きているって?
- カテゴリ:日記
- 2011/11/26 12:08:16
11月25日、仕事を終えて家に帰りなんのきなしにメールをチェックしていました。
Yahooのメールをみたら、ニコットからメッセージが届いていたので、読んでみると
なんと
今日(2011年11月25日)が、僕がニコットに登録して3周年
なのでその記念品を
くれるとのことで、早速3周年記念のお部屋アイテムをGETしました。
そして、長らく触っていなかったニコットのMyroomにそのお部屋アイテムを飾り少しだけですが、お部屋の中をマイナーチェンジしてみました。
今度大幅に、Myroomを改造してみようと思っています。
10月9日(土)に、ほぼ1年ぶりに、僕は豊中の老人施設にいる母に会ってきました。昨年の4月に長男夫婦を除いて僕の兄姉(長女。次女)の家族でバーちゃんの米寿のお祝いを兼ねて、その施設の5Fに一寸したパーティーの出来る部屋があり、そこを借りてみんなでお祝いの小宴をやりました。
この時には、義兄と僕が両側から支えないと無理でしたが、まだ母はなんとか歩くことも出来たし、集まってきた少なくとも我々兄姉のことは認識できていたのです。
しかし、10/9に日の会った母は、僕が母の顔をのぞき込んだ、最初の瞬間はニコッと微笑んで、僕が来たことが解って居たみたいでしたが、それ以降約、1時間身体をさすったり、色んな事で話しかけたのですが、全く無反応で、何も解らない状態でした。
この時僕は、「生きているって、どういうことなんだろう?」と考え込んでしまいました。僕たちは、まだ(もう60歳も過ぎましたが、毎日働いて、PCの事をゴチャゴチャしたり、TVゲームをして遊んだり、TVを見たり、家族や友人と話をしたり、とにかく自分の周囲色んな事に、自分の意志で行動し、考え、喜怒哀楽の感情を持ち合わせて、日々悲喜こもごもなことを感じながら人生をいきていますよね!
でも、この時の母にはそういう、外界の事柄を認識する能力が消えてしまっている状態なのです。でも、母は生きているのです、体温も暖かくて手も
目も動かしているのです、しかし、自らの意志では何も出来ない、何も感じない人間という物と、死んでしまった人間との違いって何でしょう?
この母との再会を機に「生きているって事は、どういうことなのだろう?」と考え込んでいます、仏法では我々動物のことを有情、草木などを無情というふうに区分していますが、その草木(くさき)だって、立派に生きていますよね、
水をやらなければ枯れてしまいます。彼らが自ら動いたり喋ったりはしませんが、生命が宿っていることは、私たちは知っています。
では、泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだりする、我々人間の心の中から感情が消え失せ、重度のアルツハイマーになってしまって、
心が無くなってしまった人間も
息をしており、点滴にしろ栄養分を補給して体温もある。
でも草木と何ら変わらない、暖かな物体と化してしまった母は、生きていますよね!
今年の夏、母が燕下障害(つまり、口から入れた食物を上手く飲み込めず
気管の方に食物が入ること)で、重い肺炎になったとき豊中のある病院に入院しました。
この病院で、母は3ヶ月入院していたのですが、3ヶ月の日が近づいたとき病院側は「これ以上快復の見込みがないのでどこか別の病院に転院して下さい」と言ってきました。
そのとき、母は点滴のみで栄養補給をしている状態です、受け入れ先の病院が見つからなかった場合、その点滴はうち切られます。そうすると、どうなるか・・・
何もしなければ母は確実に死を迎えざるを得ません、それも『栄養が補給されない=餓死させること』 になるのです。
このとき、困った姉は、私たち兄姉に「胃瘻(いろう)」の処置をしたいと申し出ました。(胃瘻についての詳しい情報は次のURLで、確認してくださいね http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%83%E7%98%BB )
しかし、長年直接、母の面倒見てきた姉とは違い兄姉は僕を除いて全員「そういう
延命措置はしない方がよい」という意見でした。しかし、姉は、この可愛い母から点滴を外すだけで、餓死させることなど絶対に出来ないと、自分で胃瘻の処置をしてくれる病院を探し、その病院に転院させ胃瘻の処置をさせてやってくれました。
そのおかげで、1年以上母の顔を見ていなかった僕は10月に生きている(?)
母に会うことが出来ました。ただ、僕のことが全く解らない母を見ていると悲しくなりました、でも、それでも母には生きていて欲しい、それが僕の本音です。
ただ、
僕の心の中で「生きているって何?」という叫びが消えません、
皆さんはどう思われますでしょうか?
♡おしごとおさめ♪きちゃたデスね~☆。・らぶらぶショッピングもしちゃたンだあ♡♥♡きゃ―☆。・
ことしもガンバで、おつかれさまでしたあ~♥
ゆっくり おやすみとって デスねっ♡ヾ(❀╹◡╹❀)ノ゙♡♥
わあ・・♪ あしたは センセ、忘年会なンだあ☆。・
たくさん おいしくてあったか時間してきてくださいデスう(*´ I `*)ノ♡♥
外環状線沿いに出来たシマムムラという衣料品の大規模店に寄って、冬物や暖かい下着等を買いました。
そして2年~3年エメラルドとダイヤで出来た4つ葉のクローバのネックレス以来の(ケーキ以外の)クリスマスプレゼント、妻にコートを買ってやりました。明日から12/28までは早番なので今から急いで眠ります。したがいまして、28日まではニコットにIN出来るのは15時~19時の間のみとなります。
12/29からやすみになりますが、12/29は鶴橋駐輪場の忘年会で昼にJR桃谷駅付近の「がんこ」で行われるのに参加します。酔っ払って居なければ、この日の晩からは1/3までは、22時頃からニコットにINしますので、それまで皆様お待ち下さいね!それから、かなり寒いので皆さんも風邪を引かないよう充分睡眠と、栄養、特にビタミンCを多く取るようにして下さい。
今の所t\ろの勤務体系がはっきりしないので、少し様子を見るコトンなります。
12/29から1/3まっで連休でwす、(多大29日は忘年甲斐なのでむりかな、あとの5も頑張ってニコット生活を一日綾って見るつもりです。
とにかく、」急に寒くなったにでm皆さんが風邪を引かないよう強く祈っています!
おはヨですう♪
あ”あ”ぁ""~~っ!!! 6(火),8(木)、10(土)って――・・そらたンだあ・・☆
めうがスケートいけなくって ごめんなさいでしたあ・・☆。・。・゚(。´д⊂)。・
受験とかのいろいろが あとちょとだから
そしたらまた リンクに行けるようになるデスう☆(=´∀`)人(´∀`=)♡♡♥♡
センセえ♪
さむくなたから まいにち あったかでいてデスね☀ε(=^ェ^=)з
えとえと・・ やっぱり
センセえ、ありがとお デスう❤(///o///)・・・ .。.:*・゜゚・*:.。. ❤.。.:*・゜ ふえん☆。・
預けておりますが、週に1~2回姉が、見に行ってくれています。
母の世話するための費用を、私たち4人兄姉が毎月お金を出し合って、母を支えています、そして直接そのお金の管理と、母のせ話をしてくれている姉から、収支報告と共に、母の近況についての報告があります。
(今まで世話をしてくれてきた)姉さえ全く認識できない母の面倒を見てくれている姉には、足を向けて眠れないほどの感謝をしております。
それだけに、このブログに書いたような、思いがどうしても僕の心を離れません、「心がない状態の人間」ってどういう存在なんだろう、と思う気持ちと、たとへそんな状態であっても、母には長生きして欲しいという気持ちが複雑に絡み合います。
ブログへのコメントありがとうございます。
4周年に向けて僕も頑張ります、今日当たりから、季節が冬に突入して大変寒くなってきましたので、風邪など引かないようにしてください。
生命、人生、色々と考えさされます。家族が寝たきりや痴呆になると家族は大変です。親や伯父など大変のようでした。私が介護をすることは無かったのですが、一緒に住んで面倒を見ている家族には頭が下がりました。
ボデーラングウェジなどなどいろんな心を伝える手段を持っていますが、表面上その能力がみんな
使えなくなってしまったあとに、残るものは何か?が解りませんが、でも、何かが残っているよう
に思います。ダイレクトに意志が伝わらないのは確かに悲しいのですが、でも生きていてくれて
いることは、やはり嬉しい!それが肉親の情という物なのでしょうね!こめんとアリガトウ!
キャサリンさん>実は僕は「生命は永遠か?!}ていうテーマデ自分のホームページを作っています、
まだ全体の1/3ぐらいしか出来て居何のでまだ、公開していませんが1/2ぐらい出来たら
ニコ友さんには公開しようと思っています。ととも、興味有る内容で構想を始めてもう15年ぐらい
になるのですが、とても難しいテーマなので、これは既に僕のライフワークに当たる物になって
います。来年には公開にこぎ着けようと思っていますのでその時は読みに行ってやってくださいね!
一緒にスケートしませんか?6(火),8(木)、10(土)の22頃からスケト場覗くように
しますね、時間が合ったら来てください。久しぶりのコメントアリガトウ。
ありんこ さん>さすがに沢山の人と関わっておられるあなたの言葉だなと思いました、
「その人の存在が他人に影響を与え続ける限り、その人は『生きている』」そうですね、
たしかにそうも言えるかも知れません。ただ、感じる側のこちらでは無くて、ばーちゃんの側に
なって考えたとき、本院にとって今の状態は生きている、という実感になっているのかな?
てことが言いたかっただけです。いつもありんこさんのコメントは意味が深くて、とても
私の心に残るコメントです、何時も言いコメントをアリガトウ!
ルッコラ さん>やはり、肉親というのは不思議な感覚が存在することは間違い有りません。
その一つの例を挙げてみると、僕が34歳の時父が脳溢血で倒れ、倒れてから2日後の明け方に
無くなったのですが、その父がこの世を去るのと同じ時間に、僕は障害に一回しか見たことが無い
奇妙な夢を見ました、その夢は「暗いデコボコの坂道で片側(確か右側だったように思います)
が崖になっている、その崖っぷちを、僕はオートバイ脳城に上の姉を乗せて、只ひたすら、何かを
追いかけて爆走している」夢です。よく、肉親が死ぬと夢枕に立つとか言いますが、ああいう
ことって、確かにあるとその夢を見て思いました。
だから、バーチャンも目や耳では、もう僕を認識できなくなっているけれど、きっと意識の
どこかで、僕のことが解るんだと思います。
多分バーチャンはもう苦しくないと僕は思います、少し病んでいる仏様のような存在なのです、
きっと。
みいこ さん>「生きるって何?」というテーマはやはり難しい命題ですね。肉親の情というのは、言葉を 越えた所にあるので松江、僕もみこさんが言って下さるように、例え僕のことが解らなくても、
母には、出来るだけ長く生きて欲しいと思っています、コメントありがとう!
父親が小さい頃に病気で死別したので写真でしか顔を知らない。
山口のばーちゃんは頭は元気だけれど足が弱ってる。
ずーっと自分で歩けるようにとがんばってる。
頭があっちの人になったら、やっぱり悲しい。
リアで光源氏蛍さんと同じような境遇であります。
私の場合、父親ですが、まだ母が健在なので、母が介護をしております。
詳しくは、書けませんが、
【生きているって何?】は、難しい提言です。
私も心の中では、複雑で・・・。いろんな問題が多すぎて ><
また機会がありましたら、コメントさせて頂きます^^。。。。
そっかあ・・・☆。・ いろんなこと あるるデスね――っ(*´ェ`*)♥☆:*.゜
いろんなことのなかの いろんな・いっコずつのきもち☀
いつもぜ―――んぶ♪光センセ だいじにしてるかんじで いいな❤イイなデスう(//・_・//)♡♥♡
☆あ♪
ニコット登録三周年☆!!! タイトルみてとんで来ちゃたデスう♪
センセッ せんせえっ♪♫ ♡♥♡おめでとう━ヽ(*´▽`*)ノ━ございましたあ❤ .。.:*・
全くの主観ですが、その人の存在が他人に影響を与える限り、その人は「生きている」のだとアタシは思っています。
お母様自身が物を食べたり感じたりすることができなくなってしまっても、お母様の存在は光源氏蛍さんやお姉様を喜ばせていらっしゃいますよね。
それこそがその人の「生きている」という証拠、言い換えれば存在意義になるのではないでしょうか。
仏法でいう草木の無情、仏法の解釈はわからないのですが、草木はたとえ1本でも水と日光があれば「生きて」いけるわけで。
ですが我々人間は決して1人では生きられない生物で、だからこそ他人との関わりの中にその人が「生きている」価値があるのではないかと感じます。
私事ながら、アタシの父親は既にこの世に肉体を持ちません。
ですが、彼の存在は今もまだアタシの人生に大きな影響を与え続けています。
そういう意味では、肉体を失った父でさえアタシは今なお「生きている」と信じています。
誰でしたっけね、「人は人から忘れ去られた時に死ぬ」って言った方は。素敵な名言だと思うんです。
長文のコメントにて失礼致しました。
最後になりましたが、3周年おめでとうございます。
自分の意思表示もできない 何回か危篤になって もちなおしてました
本人は これでいいのか 幸せなのかって考えました
心の中で「死ねない」って思った 瞬間
まるで心の中の言葉が聞こえたかのように
お祖母ちゃんの目が ギロって 目があいました
意思表示が出来なくても 何か意味があって生きているのではないでしょうか
だけど きっと苦しいだろうなぁって思います
まずはにこっと3周年^^ヽ(〃・ω・〃)ノ☆゚'・:*☆おめでとうございます♪
2年前の11月にお会いしてから光源氏蛍さんにいろんなことを教えていただきました。
感謝しております。そして、これからもよろしくお願い致します(m_ _m)
光源氏蛍さんのお母様のご状態、ご心配でしょうしお会いした時の複雑なお気持ちもお察しいたします。
「生きてるって何?」
一生懸命考えてみましたが、私には答えが見つけられませんでした。
私も親にはいつまでも生きていて欲しいと思います。それが、たとえ自分をわからない状態でも・・・。
きっとお母様も光源氏蛍さんと会えて嬉しかったと思います!
光源氏蛍さんも同じではないですか?
それが大事だと思います(*^-^*)
結婚前は戦時中で、満州のハルピンの近くの映画館で働いていて、看板屋の仕事をしていたいまは亡き父と、中国の地で、巡り会い結婚したそうです。
長男(私の兄)が生まれて1年後ぐらいに、日本が戦争に負けて、命からがら日本人の集落から正に映画になるような危ない端を渡り、親子3人日本の舞鶴港に引き上げてきた話し。
そして、私が4人兄姉の末っ子として昭和25年8月19日に当時、父が日本でも看板やを、母は南区(今の中央区)でうどん屋をしていたこと。昭和37年に母がある病気で凄く苦しんでいて、それが治るからと有る宗教に入信し、そこから、沢山の人を引っ張りながら父が亡くなった昭和59年ごろまで、人のために闘い続けたこと、等、等、思い出したらきりがないくらい、母の思いでは僕の心の中に満ちあふれています。
最初にも言いましたように、僕は、母には自然に命が終わるまで、出来るだけ生き続けて欲しいと思っています。
認識は出来なくても、母が生きているだけで僕は嬉しいのです、「子として生まれた宿命」というより、沢山、生きてくれる母親を持った、幸運の子と思っています。母に命の輝きが消えるまで、出来るだけ長く、長く、生きていて欲しいと思っています。
貴重なご意見本当に有り難うございました。
人生経験も浅く、そのような事態に直面したことのない私には難しすぎる提言です。
でも、最初の一瞬でも光源氏蛍さんを見て微笑まれたお母さんは、それだけで生きている価値があるように感じます。
命の続く限り、たとえ何も判らなくなっても、人生を全うさせてあげる。
それが子として生まれた宿命なのでは…と思います。