ツタンカーメンの、悲劇の王妃アンケセナーメン!
- カテゴリ:日記
- 2012/05/25 11:03:51
ツタンカーメンは、父アクンエンアテンの死後、次の王になったスメンクカラーが、早死にしたため、僅か9歳でエジプト王になった。そして、統治6年の時、父の行ったアメン信仰からアテン信仰への宗教改革を否定しアメン信仰に復帰している。
ツタンカーメンの王妃はアンケセナーメンであり、この夫婦はとても仲睦まじいかった事は、彼の副葬品の中にある黄金の椅子の、背もたれの部分に張られた黄金のレリーフがよくそのことを物語っている。(この椅子の写真は以下のURLで参照して下さい)。
http://www.travelerscafe.jpn.org/egypt/image013.htm
この背もたれにの絵柄には、王と王妃が黄金のサンダルを片方ずつはき、椅子に座っている王の身体に、かいがいしく王妃が香油を塗ってあげている姿が描かれている。私はこの椅子の実物[黄金の椅子と、黄金のサンダル]を大阪万博公園の博物館で、見ているので特に印象深い。
この仲の良い夫婦に悲劇が起こる、それはまだ18歳の若さで王が突然、死を迎えてしまったことである。
発見当初X線による解析で、王は誰かに暗殺(撲殺)されたのでは?という説があったが、現在では、近年のCTスキャン・DNA鑑定によって、この説は否定されている。(詳しい。死因については新しいカタログ参照)
若くして。最愛の夫を失った王妃は、王との間に男子をもうけていなかったため、王室が臣下に奪われることを恐れ、隣の国のヒッタイトの王シュッピルリウマシュに以下のような手紙を送っていることは歴史的に有名である。(以下、1965年カタログ参照))
「私の夫は死んだ、私は男子がいない、しかし聞くところによると、あなたには、男子が多くいる。もしも、あなたが私に1子をくれるなら、彼は私の夫となろう、私は決して私の召使い(=臣下)を選んで、私の夫とはしない。・・・・私は恐れている」。
この手紙を受け取ったヒッタイトは、エジプト女王を疑っていたので、さらに使者ハニシュ公を送り親書を送っている。
「エジプト人は私をあざむいていると、そのようになぜあなたはいうのか。私に一男子がいたら、私自身および私の国の恥を外国に書きましょうか。あなたは私を信用せず、私にこんなことすらいう。私の夫だった人は死んだのです。私には、男子がいないのです。私の臣下を採って、私の夫とするようなことは決してしません。私はどの国にも手紙を書きませんでした。あなたにだけ書いたのです。あなたには男のお子さんがおおぜいいるといいます。だから私にあなたの男子を下さい。かれは私の夫となりましょうが、エジプトでは王となりましょう」。シュッピルリウマシュ王は情け深かったから、その夫人の言葉に応じて子をエジプトに送った。ー中略ー
さて以上の如く、ヒッタイト王子は、たしかにエジプトに入婿(にゅうせい)すべく、シリアをへてまさに入国しようとしたので有る。しかるに、このヒッタイト王子は、途中でエジプト軍に捕らえられて、ついに目的を達することが出来ず、一方、未亡人となった王妃の運命も、その後は一切解っていない。おそらくシリア方面駐屯軍の将ハルエムヘブによって、この陰謀が暴露されて、二人とも悲運な目にあわされただろうことは、この老将軍が、エジプト風にいえば非合法に王位に就いたことでもわかるし、またその後の彼の行状がこれを示していると言えよう。
最後に、ツタンカーメン王墓で、二体の胎児(5ヶ月と7ヶ月、多分早産又は死産)の謎のミイラも発見されていますが、近年のDNA鑑定に依ればこの二体は王の子であり、王妃の子であることがほぼ解っています。
これまでの事柄を全て考えに入れてみると、王妃アンケセナーメンは、「ツタンカーメンをとても愛していた、年上の姉さん女房」で、「正義感が強く」、そして「とてもプライドが高い女性だった」と思われます。だからこそヒッタイト王への手紙にあるとおり「私の夫だった人は死んだのです。私には、男子がいないのです。私の臣下を採って、私の夫とするようなことは決してしません。」と臣下に政権を取らせることは断固として阻止したかったのでしょう。(当時のエジプトでは新しい王は、前王の、お后と婚姻しなければならなかった)
王妃は最愛の夫の王を亡くして、よりどころとなる有力な味方も無く一人で、次の王を
狙う者達と、熾烈な闘いをしなければならなかったのですね。
しかし、事敗れ悲惨な死を遂げた他のでしょう。
しかしその悲劇の王妃がKV21Aとしてミイラとして葬られていたのは、ツタンカ-メン王の直後に数年間、王となった当時の神官アイがハムエルヘブに知られぬよう、こっそりと、この悲運の王女を弔ったのだと僕は思いたい。
仲睦まじい、若い夫婦が、夫の突然の死と、悲しい事に二人の間に子が(男子も女子も)無かったことで、王妃の運命を悲劇で終わらせたことは、同じ人間として、とても心が痛みます。
追記
王家の谷のKV21で見つかったKV21AというミイラがDNA鑑定で、多分、悲劇の王妃「アンケセナーメン」であろうと、言われています。
すみません漢字をひとつ間違えました。
あなたが紹介してくれた白水社の「ツタンカーメン秘話」も手に入れてみようと思っています。(発注済)
僕も、いつかエジプトへ生きたいと切に思っていますが、現実は厳しくて、かなり難しいですが、夢は、夢として追い続けようと思います。コメント、ありがとう!
受験で世界史を選択したのに こんな秘話まで勉強しませんでしたからね、、
ツタンカーメンのミイラを見ると後頭部が伸びている頭蓋骨をしていますよね、、
ファラオの血統を辿っていくと面白いかもしれませんね
白水社から出ている「ツタンカーメン秘話」読んでみたいなって思っていました。
光さん どうもありがとうございます^-^
今度ゆっくり学んでみたいです。そしていつかエジプトへ行きたいですヽ(´ー`)ノ
jun-aki さん>凄い人気で、会期が40日ほど延長になりました。でも、展示会でカタログを買って、ユックリ読まないと、詳しい内容が解らない(展示だけ見ただけでは、あまり良く解らない)展示会です。
腰振亭フル珍師匠さん>確かに、今も昔も女性は強いようです。
rnao さん>毒を盛られたのでは無くて、多分兄姉(きょうだい)婚によって生まれた、ツタンカーメンに遺伝的、欠陥があったものと思われます。まー、ツタンカーメンは発見された副葬品の数に比べて、生きていたときの行状が、殆ど解らないのでも有名で、エジプト王の中でも最もミステリアスなファラオですね!
でも、このようなお話を知れば公の場にでることなく静かに眠ってもらいたかったなという思いも拭えません。すごく興味はあるのに・・・矛盾してますよね^^;
なんと言いましょうか、どの時代も女性が強いんですなぁ~( ☉_☉)
胎児も、ミイラにしてたんですね、、
おそらくなにか早産するような毒を盛られたりしたのでしょうか?
エジプトには、まだまだ、、謎がいっぱい、、ですね
それから、このブログの最後の方に、私自身の思いを今朝付け加えて頂きました。
黄金の椅子を実際に見たい!!と思ってしまいました。
しかしながら、ツタンカーメン展にはやはりいけそうにありません(T_T)
夏ごろまで開催されていたら、行けそうだったんですが残念です・・・