Nicotto Town



涙ロード

今から紹介する詩は、私の実の姉が、S新聞に投稿し今日2月26日付けの新聞の
介護の欄に載ったものを、全文 ご紹介します。

 母が昨年12月2日に亡くなって2日後の、お葬式の帰りの車の中で姉が「○○ちゃん、一寸こんな詩を書いてみたよ」と言って、その詩が書かれた紙を渡してくれたので、何の気なしに
その時は読んで、フーンと思っていました。
 しかし、この詩がS新聞に掲載された今日、凄い反響があったみたいで、姉や、私の友人からも沢山のメールを頂き、そのメールを読んで改めて母のことを思い出して、
二度、三度とこの詩を読んでいるうちに、
母のことがどんどん記憶の奥から思い出されて、ボロボロ泣いている自分を見つけました。
そして、改めて母の偉大さを思い、今日は何時とはなしに、涙が溢れて仕方がありませんでした、そして、、確か8年ほど前に施設に入れられ、その最後の3年間、この詩のように寂しさで気も狂わんばかりだったろう母のことを「これで、ばあちゃんは、幸せなんだろうかもう、これくらいで父の元に逝かせてやりたい!」と言う気持ちに何度もなった僕は間違っており、母は最後まで、いえ死んでからさえも周りの人に感動を与える凄い人だったんだと思い返しています。

母は、死の恐怖も喜怒哀楽や生老病死という、人間につきものの悩みの世界から
何も心配の無い、赤ん坊の世界に行ってから、この世を静かに去って行ったんだと
思います。父も、苦しむこと無く、大好きな絵を(梅の木を写生に行ってその現場で、頭の血管が切れて、そのまま何も苦しむこと無く、逝ってしまいました(私が37歳の1月7日でした)。

つまり、私の両親は二人とも、こんな死に方がしたいという、誰もが願う逝き方をしたんだなって思います。それは、とても。とても幸せなこと!

僕も自分の両親のような、素晴らしい死に方をしたいと強く、強く、今思って居ます。

それでは、姉の素晴らしい詩「涙ロード」を紹介します。

桜塚から岡町北に続く
この道を 涙ロードと名付けましょう

母の施設へ通った道
「今日は笑顔で 出迎えてくれるかな」
わくわくしながらバイクを走らせた道

私の顔も分からず
つらそうに顔をしかめた 母の顔

さみしさと悲しみで涙でくもった帰り道
父の元へ旅立った母の思い出がよみがえる

この道を 涙ロードと名付けましょう

兄の招待で みんなで過ごせた有馬温泉
車椅子で 妹と3人
一緒に巡った 伊勢路の旅
幸せそうだった 母の笑顔

 住み慣れた我が家から
再度 施設に戻るとき
 テーブルにうつ伏してしがみつき 
ここに置いてと泣いた母
しがみ付くその両手の指を 一本、一本、
はがして車に乗せた娘です
 涙で震える肩を 抱きながら 共に泣いた
この道を 涙ロードと名付けましょう
                           
 つらい時いつも題目をあげていた
母の後ろ姿
 いつも太陽のように 温かかった
母のぬくもり
あなたの強さの源を 背中が教えてくれました
 私もあなたのように 生きていこうと思います

長い間 ありがとう
これからも この道を走るとき
あなたを思って 涙するでしょう

 この道を 涙ロードと名付けましょう

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2013/03/24 01:08
ルッコラさん、お久しぶりです。「ぶどうの木」のHPの質問欄に、今年の9/10~9/15に北海動旅行を計画しており
旭川動物えんのあと、其方へレンタカーでお邪魔しようと思っている旨カキコしましたが、読んで頂けましたか?
 母への詩「涙ロード」に対する、私の思いをA4.枚と少しの原稿(体験談という分類に入る文章を書いて、我々壮年の集まる会合で3/3に発表しましたが、これもかなり、反響があって、何度か発表する機会があり、最近一寸静かになったところです。母への思いを綴ったこの文章は、自分でもよく出来ていたように思います。
 9月に、其方にお邪魔するとき、「涙ロード」の新聞の切り抜きと、私の文章を、プレゼントしますので、宜しくお願いします(読んでね!)、「涙ロード」の方は、その情景のイラスト入りで掲載されており、最近ようやく、涙が出なくなりましたが、3月中旬(ついこの間)までは、読む度に涙が溢れて、仕方がありませんでした。
そして、昭和57年3月22日、長居競技場で開催された「第1回関西青年平和文化祭」が、シナノ企画によって、8mmのシネスコ(ワイド)版で昭和57年の秋に発売されました、当時の金額で確かセット価格7万円余りの8mm(18Cm巻き、2巻上映時間115分)のクライマックスの場面後に、
 母が観客の一人でそのドきゅメンタリーに思いも掛けず出演していたので、この特殊な8mmをなんとかDVDに落としてくれる会社が無いか探して、東京に有る会社が、出来ると言うことで大枚¥30,400(変換作業料+税+着払い手数料)だして、DVDに落として頂き(フィルム自体が30年前の物で、少し劣化しており 買った当時のような鮮明さは無いのですが、十分当時の出来事を再現してくれました。
そして、全編117分の中の 112分ぐらいのところで観客席に居る母の顔が画面の中央に、元気だった頃の笑顔で居てくれました、「涙ロード」の詩で、私と、姉の心の中で蘇った母が、再び私の目の前にとても元気だった頃の姿で蘇りました。本当に、感慨無量な物があります。このDVDは全部見ると、実際の文化祭の開催されていた時間とほぼ等しい(というか、その中身全てを忠実に再現しているからなのですが)時がかかるので、見て頂くことが難しいのが残念ですが、9月に其方にお邪魔する折りそのDVD]mo持って伺うつもりでいます。
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2013/03/20 22:20
なんとも 考え深い詩ですねぇ
うちは まだ両親とも健在なので
いつかは 必ずやってくる事ですよねぇ
きっと 素晴らしいお母様だったのですね
ご冥福を 心からお祈り申し上げます
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2013/03/06 02:12
くぅみんさん>本当に、当事者である私にとっては、読めば読むほど、母のことがいろいろ、沢山思い出さ   れて、これでもかと涙があふれる、そんな詩です、貴女らしいコメントアリガトウ。

あきさん>この詩は、今私の住んでいる地域のある組織でものすごく話題になって結構大阪の広い地域
   で感動と涙の連鎖を読んでいます。明日、岐阜の私の奥さんの妹さん義妹になるのかな?の
   ところへも私がこの詩を読んで感じたことを15分くらい(A4で4枚と少しある)である会合で
   発表いしたところこれがまた、偉く評判になってあちらこちらからそのお話の原稿を私自身が
   読んだり、妻が読んだり、して発表して回っていますどうやら、これから半月~1ヶ月は
   大変なことになりそうです。嬉しい悲鳴とはこのことでしょうか。自分の母の死を、誇りを
   持って離せることは、何と素晴らしいことでしょう

みいこさん>母は若い頃はとても働き者で、私たち兄姉4人を育てながらお店もやって、ある組織の活動も
   私から見て、どうしてそこまでやるん?と思うぐらい活動して、沢山の人を励まし、蘇生させてきた
   そんな母です、私の書いた原稿は私の個人のホームページで今週中に、全世界に公開しようと
   思っています、その下準備は先ほど(3/6,AM1:20)終了しました。後は、
   ホームページビルダーで加工してUPLOADするだけです。そのURLはニコットのブログ
  「涙ロ-ドが大反響を呼んで」というブログを明日の朝にはニコットにUPして、そこに
   紹介しますね!ただし、私個人のホ-ムペ-ジへのUPがアズの朝に終わったらね!

キャサリンさん>私は、母の最後の2.7年を生きている間、見てきて、これでよかったんやろうか?
   との疑問が、ふつふつとわいていましたが、あの詩のおかげで180度考え方が変わりました、
   そしてその後私があの詩を読んで、発表するのに10分あまりかかる原稿(
   ざっと6,900文字の)を書き、3/3の朝、ある会合で発表したものが、これまた
   大反響を呼んでおり、講演要請を何件かいただいております。
   これから半月~1ヶ月は忙しいことになりそうです。
   すてきなコメントアリガトウございました。
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2013/03/05 18:08
(T_T)・・・素敵な詩ですね。
涙ロード・・・・涙が溢れて言葉になりません(T_T)

素敵なお母様・・・(T(T(T(T_T)T)T)T)うるうる



お母様のご冥福を心よりお祈りいたします<(_ _)>

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2013/03/04 22:23
お母様のご冥福を心よりお祈りいたします。

素敵なお母様だったんですね。
私もいつか子どもにそう思ってもらえる母になれるよう日々がんばります!

素敵なブログをありがとうございましたo(*'▽'*)/☆
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2013/03/04 12:56
早速、お邪魔しました。
なんだか、ジ-ンときちゃって。なんて言葉にしていいのか?
自分でも、文字が浮かばなかったりしてます。

素敵な、お母さまだったんですね。
その姿を見て育った、お子さんたち。
愛情の深さが、見てとれました。

涙ロ-ド・・・悲しい言葉のようで、実は、そうとは感じない。
そんな印象でしょうか。

お母さまも、天国で喜んでらっしゃると思います。
素敵な詩、本当に、ありがとうございました。
アバター
2013/02/27 05:51
素晴らしい詩ですね、、、(。♋‸♋。)ぅるぅる゜




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