Nicotto Town



抜け弁天 その2-東京スピリチュアルワールド

目の前に相模灘の海が広がっている。
陽の光をうけて金銀のさざ波が海一面にきらきらと輝いている。
遠くに霞む真鶴半島から右手に弧を引きながら湘南の海岸線が延びていた。
「この場所をよく覚えてください。ここに立てば抜け弁天に帰れるでしょうから。」
足元には波が寄せて今にも濡れそうだ。後ろには断崖絶壁がそそりたち、その崖から波打ち際は一メートルぐらいしかない。海の中に取り残された岩場にたっているような錯覚でくらくらとする。
首に巻き付いた直さんの腕に、思わず実留はかじりついた。佳は反対の腕をしっかりと握っている。マンホールのふた程度の広さしかない黒い石の上に4人はたっていた。
「今、干潮ですよ。干潮の間、浜は広がります」と直さんは落ち着いた声で言い聞かせた。
ということは、満潮になると海の中ってことじゃないか。夜は絶対来ちゃいけない場所だ。
経丸は4人の輪を抜け出すと崖下の右手に見える堤防を目指した。石をごろごろと鳴らしながら波が引いていく。
実留と佳は石に足をとられないように経丸の後を歩き始めた。直さんはゆっくりと三人の後に続いた。
堤防の手前で実留は昨夜見た夢の中そっくりに石が並んでいるのに気が付いた。
実留は見た夢が必ず現実に結びついていることを知っている
大きな石があって・・・その石にもたれかかるように立っている平たい石が・・・と追うと、確かに三角の頭を上に向けた石を見つけた。
「この石に音の出る穴があったんだけど」とひっくりかえすと、ひとつの穴がある。夢の通りだ。
引いていく波を追いながら石を洗う。
-この石を持って帰っていいものなら音を聴かせてくださいー思いを込めて実留は息を吹き入れる。

鋭い音が高く響く。音は背筋を通って頭上へと突き抜けていく。
直さんが駆け寄ってくる。
「これは!岩笛です。3年前に抜け弁天で聴いた笛の音です。」岩笛と書いていしぶえと読ませる石の話を実留は本で読んだことがあった。
「岩笛は有名なものですか?」佳が質問する。
「わたし、三島由紀夫の小説で読んだことがある。岩笛の音で神がかりするという設定でね、それだけに石笛の音色を事細かに表現していて、深い井戸の清水からこだまが返ってくるような音色というようなことが書いてあった。この石は高い笛のような音だね。練習していろいろな音色を出したいな」
「三島は明治時代の霊学家である友清歓真(ともきよよしさね)の『霊学筌蹄(れいがくせんてい)』を読んで書いたそうですね。岩笛は、昔、大本教の方たちが捜し歩いたというくらい希少なものです。日本太古の楽器と言われて古墳からも出土しています。一番高音を出せるひちりきよりも高音を出せるそうで、人間の耳には聴こえない範囲の音がでているそうです」
「わたしも知ってる。実留の書棚にあったアンアン先生でしょ。」
「そうそう、別名オキタマヒコなんだよね。いっぱい名前を持ってるし、あんまり難しい書名がついてるから、布で本袋を作ってタイトルを「アンアン」にしたのよ。すぐわかるでしょ。めったに読まないしねえ」
明治の宗教家も実留と佳にかかると、まるで親しい近所の老人のように聞こえてしまう。直さんが参ったなと苦笑した。
皆で代わる代わる岩笛を吹いてみると、佳と実留は音がでる。
直さんは音の出る場所をと探しながら試すが音が出ない。よく見るとひし形の模様がある。
「おお!このうろこ模様は江の島弁天の白い蛇の頭に見える。きっと女性にしか吹けないのは弁天の化身だからではないでしょうか。」
実留は大げさなと少し白けた気分になる。第一、実留にとっては江の島は亀の島だ。この模様なら亀の頭と言えなくもないじゃないか?と、夢の続きを思い出した。
「佳、夢では亀の甲羅があったのよ。できるならそれも見たいんだ」
佳は砂地がわずかにのぞく崖の下に沿って探す。
「あった!ここに」
波で崖下に押し寄せられたのだろう、それは本当に小さな小さな甲羅が藻の中にあった。
「これももらっていくの?」
「それがね、埋めたのよ。ここに。良かった~夢の中で着ていた服を着てきたからね。見つかると思ってたよ~」
実留は夢を再現することを日課にして5年ほどになる。今では夢が現実になって目の前に現れることが多くなった。だから、夢で着ていたものは絶対に翌日着ることにしている。
頭には自分でデザインしたピンク色の極太い毛糸で編んだ丸い耳付の帽子をかぶってきた。丈の長い大正羽織は海老茶を銀色にいぶらせた松の模様だ。黄色のセーターを羽織の下に着込み、タイシルクのモンペの前をきゅっとリボン結びしていた。足元は何があってもいいようにスニーカーを履いた。
どうだ!完璧~と叫びたい気分だ。
実留は人からじろじろ見られたりわざと無視されるのが平気だ。いくらなんでも会社にはこの恰好では出勤できないが、今日はぴったりな衣装だと朝からそれだけでご機嫌な実留だった。白い砂の中に甲羅を埋めるところまで現実に起きるなんて大満足なのだった。

堤防は漁船が係留できるようにくさびが打ち込まれていた。
その向こうは、200坪ほどはあろうか小さな砂浜になっている。
実留は三年前にこの浜辺に来たことがある。
抜け弁天から移動した場所が江の島のどの場所だったのか小田急に乗って確かめにきたのだ。その時に江の島最古の佐助稲荷を訊ねたのだった。
佐助稲荷はこの浜から左手に盛り上がった丘の上にある。丘の向こう側に江の島の天然温泉の裏窓が見えた。右手には浜に面した人家の屋根の向こうに江の島弁財天に上る階段に沿った店の屋根が見えた。表階段に出る路地へ入るとすぐに左手の丘に登る細い山道がある。赤い山肌に置いただけの不揃いの石がでこぼこな階段になっているものの、人ひとりがやっと一歩を踏める程度の段だ。実留は先にたって身軽に登っていく。
20段ほど上がると、そこに小さな社があった。案内板などもとよりない。観光パンフレットにも載っていない稲荷社だ。経丸は神妙な顔つきで水を供え深草の石、抜け弁天の石、崖下の石と三つ並べた。
実留は岩笛を吹いた。低く高く音が伸びていく。青い空にトンビが集まりだし舞い始めた。




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