しょこたんの にゃんそろじー
- カテゴリ:日記
- 2014/10/05 07:16:59
今年のPショップのハロウィンアイテムは、やたら猫モノが目につきますね。
ニコではそれだけ にゃんこ好きな人が多いんでしょうね。
私のところに訪問してくださるかたも、
かなり猫好きさんがたくさんいらっしゃいます。
で、その猫大好きなみなさん、職場などで人から
「○○さん、猫を飼ってらっしゃるんですってね。
何匹いるんですか? 昼間誰もおうちにいないんでしょ?
餌とかどうしてるんですか?」
などという話題をふられたこと、1回や2回は経験ありますよね?
こういう時、みなさんは何て答えてますか?
私は、この質問、すごい抵抗を感じてしまい
いつも不機嫌さを隠しきれず、
あー猫ですか、いますよ。 なんて愛想のない返事をしてしまいます。
この質問の何が抵抗あるかというと、私の嫌いな言葉だらけなんです。
「飼う」 「~匹」 「餌」
私はこれらの言葉を使うことにメチャメチャ抵抗&ストレスを感じるんですが
みなさんはこの言葉、平気ですか?普通に使えますか?
日本語として、どこもおかしくないというのは わかっています。
わかってるけど、私は、王子やチェロたんやまめさんを飼ってるんじゃないもん!
愛するにゃこたちに、私の家に一緒に住んでもらってるの。
友人として、そばにいていただいてる、と思っています。
そして、その友人の数を一匹二匹なんて動物を数えるみたいなことや
まして、「餌」なんて、にゃこ様達にに失礼すぎてホント、無理。
でも、こんなこと職場で言ったら
たちまち変わり者の烙印を押されることは間違いないので
「何匹ですか?」
と聞かれたら、むっつり押し黙って指を3本たてて、
これでこの話は強制的に終了。
という乱暴な手段をとってきたのだけれど
たまたま最近読んだ
新潮文庫の 「にゃんそろじー」 中川翔子編
猫のエッセイをしょこたんが選んだアンソロジーのなかに
町田 康さんの「猫について喋って自死」というエッセイがあって
町田さんも自分の友人である猫を「2匹」とは言いたくない。
できれば「ふたり」と言いたいが、虚栄心があるから、言えない。
なので、「あっ」と言って急に用事を思い出したふりをして
仕事場に電話をかけにいって、時報や天気予報をきいたり
外人風に「トゥーですね」などと答えることにしている、と書いてらっしゃる。
やはり、猫好きの考えることは同じなのね、と嬉しくなってしまいました。
それにひきかえ、夏目漱石ときたら・・・・。
「猫の墓」という、自分の家の猫(我輩は猫であるのモデルらしい)
が、だんだん痩せて弱っていき、
亡くなってお墓をつくってあげるまでの過程を書いてるんだけど
猫があきらかに病気で弱っていってるのに、
ものすごく淡々と猫の様子を描写し、
弱っていく猫を放っておくばかりか
3度のものも吐くようになった猫を、布団や来客用の座布団が汚れるからと
吐いてるのに気がつくと表に追いだす。
しかも、漱石はこの猫に名前もつけてあげてないという冷淡さ。
名前がない猫だから、お墓も石にl「猫の墓」って書いてる。
「我輩は猫である。名前はまだない」って言ってから
生涯ないまんまだったんですね。
私、以前からこの人が世間で猫好きの作家だと思われてるのが
本当に納得いかないんですけど。
それなのに、なんで
「にゃんそろじー」のトップバッターに漱石を選んだんだ、しょこたん!!
猫好きの代表格、内田百閒先生が6番目ってどういうこったい。
あ、でも漱石で不愉快になったのを
百閒先生の猫愛で泣かせてもらえるからこの順番でいいのか。
でも、漱石のこの「猫の墓」は、西洋の静物画とかで
テーブルに腐る寸前みたいな果物やら
死んだカモやら枯れた花やらを描いたものがあるじゃないですか。
ああいう静物画を思わせるような 静謐な死の匂いの漂う作品で
さすがに作品としては完璧なんですけどね。 ムカつくけど。
百閒先生は「クルやお前か」で愛猫クルが
病気で亡くなるまでを書いてるんだけど
漱石と違って、病気になったクルを「かわいそうに」と泣きながらなで
弱ったクルに添い寝をし、毎日早朝から主治医を呼んで治療をしてもらい
クルの容態に一喜一憂する百閒先生の様子は
読んでいて 猫より百閒先生のほうが心配になるほどだ。
クルが亡くなったあと、先生は好きだったお刺身も食べられなくなってしまう。
クルが元気だった頃、先生は毎晩クルに
自分のお膳のお刺身をとりわけてやって、一緒に食べていたので
( 鯵や鯖は脂こくって猫によくないので、鯛や平目のお刺身ですって。贅沢だなあ )
「その時の様子を思い出すと、
私はクルのいないお膳でお刺身を食べる気がしない。
食べるに堪えない」 と嘆きまくります。
クルが亡くなったあとは夜もあまり眠れずに泣きくらし
先生は、クルが亡くなった初7日には菓子屋に
チョコレートでクルの名前をいれたドイツ風のお菓子をつくらせ
クルの最期まで11日間連続でずっと手を尽くしてくれたドクターに届けて
クルを看てもらった感謝の気持を伝えることも忘れない百聞先生。
家出した愛猫 「ノラ 」 を思って嘆き悲しんでる百間先生や
家出したノラに生き写しだったクルをも喪ってしまって
私は泣いてる百間先生の背中をそっとさすって
「お気持、とてもわかりますよ。でも、ちゃんと寝てくださいね」
と声をかけてあげたくなる。
百間先生の猫に対する態度をみてると、私の亡くなった父親を思い出します。
生前の父は、私が知り合いから強引にもらってきた猫の太郎を溺愛して
私が家を出たあとの私の自室をそっくり太郎の部屋にしてしまい
私に 「お前の部屋はもう家にないぞ。あそこはもう太郎のものだ」
などと言って、娘より猫を大事にするような人で
やはり私が幼少の頃から 家にいる動物たちに
「餌」 とか 「飼う」 という言葉は使わない人でした。
「雑種」 という言葉も嫌いで、
我が家に来た人がこれらの言葉を使うと、たちまち不機嫌になりました。
犬や猫も好きでしたが、インコや文長、リスにハムスターも
暇さえあればケージからだして、
筋トレで鍛えぬいたガチムチの懐にいれ
「おお、よちよち。いいこでちゅね~!」と幼児言葉を発しながら小動物を愛撫し
ハウス子供劇場のフランダースの犬をみながら号泣する父の姿と
百間先生をどうしても重ねてみてしまうのです。
あと、大好きな作家 金井美恵子さんが、
狩猟とケンカが大好きな 7キロもある愛猫トラーが近所のヘビを殺戮しまくり
全長70センチもある青大将をトラーに部屋に持ち込まれてウンザリしたりする
「猫と暮らす 蛇騒動と侵入者」 も、愛猫の狩猟に手をやきつつも
「体重7キロのクロトラ柄の大猫が七十センチの蛇を咥えて歩くにしても
ジャンプするにしても、それはある意味でなかなか勇壮な光景ではあるまいか」
というトラーの野生をじつは誇ってるような表現にも
「ウチの子、ちょっとスゴイでしょ」という気持がにじみでていて
この金井さんの愛猫自慢にも、
うんうん、わかりますよ、と読みながら大きく肯きたくなりました。
最後の「解説にかえて」ではこの「にゃんそろじー」を編んだしょこたんも
自分の愛猫について書いています。
この本をこれから読もうと思ってるかた、ネタバレ全開でスイマセンです。
しんでしまうこと とても かなしいね。。。
しかし 祖母きらいだったにもかかわらずに この ねこ すきになったのことは とても
すごいのことね!!
やはり ねこ 人間 いやすのこと できる ^^ あたし それ おもった^^
しかし。。。 あたしも ねこ いるので さびねこさん こころ わかります。。。
いま ゆくり してね
まだ いえ いないですか?
また 明日きます
まあ、個人的には可愛いうちののーちゃんの話を聞いて欲しくてたまらないのでw
その為にも相手が呆れない程度の温度の言葉づかいにして
のーちゃんの可愛さをいかにほかの方々に布教しようかっていう戦略的言葉づかいと思っていただければ幸いですw
だって、折角のお猫様の可愛さをそのこだわりで伝えられない方が社会的損失じゃないですかぁ~(*´Д`)
あ、勿論サビ猫さんの言いたい事も十二分に分かりますし、
悪魔でくりすの考えなので押し付ける気は毛頭ない事は申し添えておきます。
言葉が足らずご不快に感じられる部分がございましたら、申し訳ないですm(_ _)m
以前からこの件に関してはコメントしようと思いつつ
なかなか時間が取れなくて今更ですが私的コメントを少しだけ…。
ごめんなさい、私はのーちゃんの事を職場の人等に話す時or聞かれた時に
「何匹?」って言われてもそれほど気にせず…というか、むしろ自分から1匹って言ってしまいます(/ω\)
あと、食事の事もご飯と言ったり餌って言ったりもしますね。
何と言うか、ケースバイケースかな…と。
勿論のーちゃんを始め、お猫様の事はとても大切で家族だし、
人間以下の存在だと思ってるわけではありませんし、
可愛い愛息子だとすら思ってて最早のーちゃんさえ居てくれれば
自分の本当の子供なんか要らないとすら思ってるるわけですけど
聞いてきたor自分から語って(可愛いのーちゃん話を)聞いてもらってる相手が
私ほどの猫馬鹿マニアだという可能性はさすがに低いと思われますので
とりあえず、他所の人に自分の身内を話す体で話してます。
他社から掛かってきた電話の応対で部長と言えども呼び捨てにするのと一緒の感覚です。
散々猫様を愛しておいてなんですが、
愛犬家と言う名の犬馬鹿芸能人みたいな人がTVなんかで
「おうち、ご飯、リードです^^小屋じゃありません、餌じゃありません、綱じゃなくぁwせdrftgyふjkl」
…みたいなシーンを観てると、ああ自分もああ観られるんだろうな…と。
まだ、自分がそんな風に観られるだけならいいのですが、それによってその芸能人の犬まで
「あぁ~、アホ犬に育ってるんだろうなぁ~(;´Д`)」
みたいな目で観てしまう自分が居るのもまた事実でして…。
まあ、犬と猫とでは飼育方法も勿論違うわけですが、
私が親馬鹿全開丸出しにする事によって、
可愛くて賢いのーちゃんさん様が赤の他人に甘やかされまくりの馬鹿猫等と思われるのは我慢がならないのです。
故に、日本人的な感覚ではありますが敢えて「匹」等の言葉も相手に合わせて取り入れております。
多分、ウチの喋るニコネコアルテミス君も猫なのにくりすの事を「ご主人様」とか呼ぶのは
そのへんを意識して敢えてそうさせてたりします。
あとは、猫様は神が作り給うた至上最上の生物に違いない事は一遍の疑う余地もない真実であるのですから
だとすれば、人と同じ「○人」等と同列にする事が正しいとも思えなかったり…。
おなじね~^^
そして ねこたち もってたの~w?
フランス 人 は 日本 おんなひと みんな やさしい かんがえる。
これ ちがうのか。。。 つよい こころ あるのか^^
しかし フランス人 おんなひと もっと つよいかな~w
がいこくのひとから みると、にほんのじょせいは やさしく
なんでも いうことをきくように みえるみたいですね。
しかし、そんなことは まったく ありません。
わたしの にこっとのおともだち、 ジャッカルさんやYUKOさん、amilitaさん、みんな強いでしょ。
かのじょたちが とくべつ、というわけではなく、
にほんじょせいは むかしから でんとうてきにつよいですよ。
せんごくじだいの ぶしのおくさんなんて、つよくなければ つとまらなかったですからね。
よかった~^^
今日 また カフェ いくが 今日は しずか~^^
いいよ~
いえいえ、あくまで私個人の感覚で、言葉に対する感覚は人それぞれなので 謝る必要は全くないです。
実際、「自分は 匹、餌 普通に使います」 というかたのコメントもかなりあります。
↓のほうで、最初のほうにコメントくださってるお友達のネコ衛門さんというかたのコメントで
「ネコを匹と数えるのは抵抗なくて、むしろ自分も匹と数えてたり」
「ネコはニンゲンと同じじゃない、というか、ニンゲンごときと同列には数えられない。
すると、匹でも人でもどうでもよくて」 というのを読んで、
なるほど、そういう考え方もいいねって思いました。
百間先生のこの鈴の音のところは切ないですよね。
猫がいなくなったりなくなっちゃったりすると
しばらく生きていた頃の猫の面影というか 余韻というか
残像のようなものが家の中に残って、鈴の音が聞こえたり、クッションが一瞬 猫に見えたりしますね。
亡くなったあと そういうのが寂しいので、うちは猫に鈴をつけないことにしています。
岩合さんが 海ちゃんのことを書いた写真入りのエッセイ本があります。
海ちゃん、もらう段階から岩合さんは写真に撮ったときの色移りを考えて
白とオレンジの毛色の猫がいたらほしいというのを知り合いに頼んでいて
その時ちょうどその毛色の子がいて、それが海ちゃんなんですよね。
海ちゃんは結構多産で、海ちゃん似の子もたくさん産んだようですが
避妊手術をしないあたりが野生動物の写真家さんらしいなと思いました。
百閒先生も奥さんもお手伝いさんも、みんなが聴いた、というところで切なさ過ぎて涙が出ました。
飼う、餌、匹、
全く抵抗ないです。
自分もそういう言い方してます(スミマセン)
↓岩合さんは確かに被写体として猫を見ている部分があるかもしれません。
最初に海ちゃんという猫を飼ったのも、被写体として飼われたようです。
そそ、本とか読んでいて 自分よりはるかに猫バカな作家さんのエッセイとか読んでいると
読みながら ひとりでニヤニヤしてしまいますよねえ。
それにしても、猫好きな作家さんの多いこと。
おかげでたくさん猫に関するこういうにゃんそろじー的なこういう本がたくさん出回ってて楽しいですね。
いろんな作家さんの編集したにゃんそろじーがあります。
岩合さんは、動物写真家だから
もしかすると猫に対する感覚も我々とは違ってて
岩合さんにとっては猫は家畜やペットや家族ではなく、
野生動物とそんなに変わらない目でみてるのかもですね。 被写体としてね。
星さんの小説はチクリと毒が効いていて
しかも、その毒に星野さんならではの爽やかさがあるんですよね。
この、しょこたんの「にゃんそろじー」に選ばれている短編「ふしぎなネコ」も
悪人達が悪巧みをしているところに どこからともなくネコが現れ
ネコにその気はないのに、悪人達はネコに悪事をみすかされていると思い悪事を思いとどまるという
もので、こちらも面白かったです。
小説にでてくるネコの描写のしかたなどを読んでいると
星野さんはもしかしたらネコ好きなのかも・・・・と思ってしまいます。
だって、ネコ目線でみた人間の姿のみっともなさ、こっけいさが抜群なんだもん。
自分が立派な猫バカだから
本の中などで自分と同じ、またはそれ以上の方を見つけると
自然に顔がゆるんでしまいます♪
「世界猫歩き」の岩合さんの言葉にさえ
時々「えっ?」って思うこともあるくらい
猫様に対する言葉には敏感かもw。(*^ー’)/☆
短編集の「イソップ物語」なんか、膝を手で打って「あぁ!そうだ、その通り!」って
思う事が沢山ありました。
猫の話は読んだこと無いですが、実に…面白い( ̄m ̄〃) 満点あげちゃいます!(爆
まったくもってその通り! m9っ`Д´) w
「位」 「柱」 はかわった単位ですねえ。
いっそ「いちにゃん」 「ににゃん」 「さんにゃん」 と「~にゃん」を正式な単位にするのはどうかな。
わたしは普段やむなく「匹」を使わなくてはいけないときは結構かわりに「にゃん」で数えてます(^^;
人間の上から目線の言葉はイヤですね。
以前読んだ ほし しんいちさんの小説で、地球にきたエイリアンが
たまたま猫と生活してる人間の家を訪れ、この星の頂点が人間だと思って地球を見にきたのに猫から
「かれらは、わたしたちのために家をたててくれたり、たべものを用意してくれたり
わたしたちの言うことは何でも聞いてくれるの。人間ってなかなか役にたつ生き物よ」
と猫から聞いて、この星の本当の征服者が猫であることを知り
「こんな温和な生き物なら、地球は大丈夫だな」と宇宙人たちはうなずきあって帰っていく・・・・。
というお話があり、確かに人間と暮らしてる猫はこれぐらい思っていそう・・・とおもっておかしかったです。
キアラとアラミスはあたらしく きた ヴォラスが かわいいんでしょうね。
うちも チェロ きたとき おうじと まめさん せいかく かわったです。
じぶんより ちいさい こどものねこに やさしいですよね。
きっと あいしょうも よかったんだと おもいます。
ねこたちが げんきなのを みると こちらも うれしくなりますよね。
そういうところに自然界への冒涜が見え隠れしているような気もします。
”天使の数え方”で検索すると「位」「柱」「人」… だそうで、
しっくりくるのは人かなぁ…(´ω`) ンー…
TVを観ている時に、隣に腰を下ろして一緒に観てたりして、つい
「(⌒▽⌒)アハハ、今の可笑しかったよね?」って肩をポンと叩いたら、
「そう?(*゜ω゜)」みたいなクールな反応をされて、こちらが( ゚д゚)ハッとしたり、
音楽にじっと耳を済ませている様子に「良い音だろ?」って聞いてしまったり…
折角楽しんでたのに邪魔してごめんね(-m-)”
まぁ、人間ウォッチングされている時は「アホな生き物だにゃ…」と
思われてるんだろうなぁってつくづく感じますw
実際アホですもんねぇ…人間って( ´Д`)~3
あたし の いえの ねこ げんき^^
ヴォラスくるあと みんな 性格 かわった~
あんずちゃん、可愛い名前ですね!
ウチにいた子はあまり吼えませんでした。 たまにないても「きゅう~」みたいな(笑)
やはりお腹壊しやすいんですね。
ヨーキーの血が入ってるとそうなのかな~?
13歳とか8歳だともうシニアのほうになりますね。
いつまでも元気で長生きしてほしいですね!
そぅちゃん、たまにチェロたんが懐かしくなるみたいで
チェロたんの写メとかおくると冗談で「返して!」って言われます(笑)
なるほど、空気を読まないのがコツなんですね!(爆)
私は、猫の好きな人にわが子自慢をするのは好きなんですが
世間話として猫話をふられると、つい頑なになってしまいます。
あまり猫のことをわかってない人と話をすると、見当ちがいな質問とかされるでしょ。
私、そういうときメチャメチャ顔にでてあからさまに「はあ?何言っちゃってんの?」って顔してしまうので
仕事で接待でそういう顔しちゃうのはかなり危険なので、いそいで話題を変えます。
仕事関係のときいがいはでれでれにわが子自慢しちゃいますけどね。
にゃんたちが一緒に寝てくれないのはメゲますよね~!
私もねこらがいないと寝れないので、旅行とかできません。
あっちゃんだ~⇒あんず にしました。
ちょっとおなかこわしやすいのですが、食いしん坊で、ほぼ、病院には行ってないですね。ビオフェルミン毎日1粒がおやつがわりです。
お姉ちゃん犬も食は細いんですけど、病気はしないですね、年だけど元気ですよ(^_-)-☆
サビ猫さんのところには、そぅちゃんから譲り受けたねこちゃんがいるんですね~。にゃんこ同盟そのものですね~♪
「茶虎と錆柄の娘が居ます! 髭と尻尾のある娘なんですけれど~vvv」
と、溺愛する娘達のことをここぞとばかりに惚気ます。
コツは”空気を読まない”ことです!!(笑)
でも、そうすると、同類しか猫の話を持ちかけなくなるので一石二鳥です。
お陰で何処でも猫溺愛してる人と思われてますが、事実なので問題なし!
因みに、猫は一緒に寝るものと疑ってもいません。
なにしろ生後一週間で自宅に入った時から猫と一緒に寝ていましたから。
むしろ一緒に寝てくれないと、めげます(笑)
猫馬鹿上等! なにが問題あるってんだ!!(笑)
チワワとヨーキーのハーフ、きっと可愛いでしょうね。
私も高校生くらいのとき、家にヨーキーがいました。
父親が、知り合いのご年配の夫婦から事情があって家においておけなくなったのを貰ってきたので
我が家に来たときはもう大人だったのですが、なんだかいつまでたっても赤ちゃんみたいな子でした。
名前もべべ(フランス語で赤ちゃんという意味です)で、赤ちゃんみたいに頼りなげでした。
そのべべは、しょっちゅうお腹を壊したり、足を骨折したり
頻繁にお医者さんに通わなければいけない とても体の弱い子でしたが
エイトさんのところの子は丈夫ですか?
いろんな人のブログをみて、猫ちゃんやわんちゃんの写真を見るのは楽しいですよね。
いま いえにいるチェロたんは 1年ぐらいまえに
そぅちゃんが保護した写真をブログにアップして「サビさん、この子いりませんか?」っていわれたので
青い目のシャム風の子猫があまりにも可愛かったのでつい「ください」って言ってしまいウチにきました。
当時、そぅちゃんのとこにはニャ太がいたから、自分ちにはおけなかったんです。
いまだったら、そぅちゃん迷わず自分とこの子にしただろうな~!
まいごちゃんの実家、銭湯だよね。
お店番ってことは、猫ちゃんが番台にちょこんと座ってたりするのかしら。
それ、メチャメチャ可愛い~~!!
そんな銭湯あったら、わたし、毎日かようおもうね!!
ウチの実家にいる猫もすごく不細工です。
エキゾチックショートヘアという種類の猫なんですが、こう、鼻がべチャっとつぶれた顔してます。
コムギちゃんは不細工でも愛嬌あるならいいですよ。
実家の太郎は不細工なうえに、私のことが嫌いで、私が実家に行くと慌てて隠れます。
猫って本当に個性がハッキリしてて、みていて面白いですよね。
でも、父親が亡くなってからは 犬や猫を拾ってきたり どこかから貰ってきたりする人がいなくなったので
動物は増えず、いまは実家に太郎しかいないので しかたなく不細工で無愛想な太郎を
無理やり可愛がってます。
シーズー13歳、ハーフの子が8歳、どっちも長毛でふわふわです♪
ネコちゃんはいませんけど、いろんな方のブログとか、投稿写真を見て、きゃーかわいい!と叫ぶこと多々あり・・。
どうぞよろしくです(^_-)-☆
父も、退院してからは、少しマヒと痴呆があるものの、
普段の日常生活は手を貸してあげれば自分でできるところまで回復したので、
商売しててずっと相手できない寂しさを猫ちゃんたちが埋めてくれるのだと思います。
ほとんどの子が年を取ってきて、昔のように走り回ったり遊んだりしてくれなくなって
そこに小さな「コムギ」がやってきたのも縁だと思うんですよね。
この子は、本当に模様も斑で、顔も決して可愛くはないのですが、
甘えん坊で、おてんばなので、すっごく可愛いんですよ。
ほかの猫ちゃんたちが結構美形ぞろいなので、「不細工~!でも可愛い~!!」って感じです。(笑)
愛嬌の力はすごいです!
でも、ベッピンはツンデレでもプレゼントがいっぱいもらえます。
これはこれでやっぱりすごいです。
↑ ベッピンの「凛ちゃん」はお店番をしてます。招き猫です。
それぞれ個性が有って面白いです。
私はアレルギーがあるので一緒に寝たことはありませんが、
妹たちはそれぞれお気に入りと一緒に寝ています。
私も 職場では「何匹ですか?」と聞かれると「3匹です」と、
やむなく「匹」を使ってしまうことが多々あります。
でも、日本語としては全く間違いではないし、外では外の事情があるので仕方ないと思います。
私は猫も大好きですが、物心ついたときから わんちゃんもそばにいました。
私の父親が動物が大好きな人だったので、
父親も生前はよくわんちゃんたちに 人間より高いお肉をあげていました。
私も父親も、にゃんこやわんちゃんをゲージに寝かせたことはないです。
わんちゃんやねこちゃんが一緒に寝てくれるほど嬉しいことはないですよ。
とくに、これからの季節は。
シーズーの血が入った わんちゃんたち、
きっと毛がモコモコで可愛いんだろうな~と想像して、思わずひとり ニヤニヤしてしまいました(^^)
家はわんこさんが2人いて、子ども(成人している)の妹分扱いでいますので、家族です。
ごはんも人間よりワンコさんが先に食べる、時々人よりも高い肉を買って塩味無しの料理を作って食べさせ、
夜も○○ちゃん美人だね~かわいいね~と一緒に寝る(ホントは、ダメなんでしょうけどね)バカ親丸出しです。
でも、外で説明するときは、シーズーと雑種の2匹がいますって答えちゃいます。
変かな~
いつもお父様のお世話、お疲れさまです。
病床のお父様をたくさんの猫ちゃんたちが元気づけてくれているのですね。
そうそう、にゃんこを膝や胸に抱いて、あのゴロゴロを聞いていると不思議と心が落ち着いてきます。
あの暖かさ、柔らかさは触れてると幸せな気分にしてくれますね。
トシをとった猫ちゃんが懸命に生きる姿も
きっとお父様に勇気を与えていてくれることでしょうね。
猫は、どんなに具合が悪かったりしても決して生きるのを諦めません。
私もそういう姿にたくさんたくさん励まされて いまの自分があります。
チェロたんは、おそらくシャムの血が入ってると思われます。
クリーム色の毛並みに、チョコレート色のお耳とあんよとしっぽ。
お顔の中心もチョコレートをぼかしたようで、その茶色いお顔に青い目が美しく輝いています。
性格も活発で、わんこのように遊び好きです。
こんな可愛いチェロたんを捨てたひとは 頭がおかしいのでは?と思います。
チェロたんは、新潟のニコ友さんから託された大事な子なんです。
「プリンス・しろ・ボンソワーヌ」 可愛いお名前ですね。
青い瞳の子には和っぽい名前ではなく、カタカナ名前のほうが似合いますよね。
私も外では変わった人だと思われたくないという見栄があって (この点、サラさんはエライ!と思います)
つい、便宜上、猫達に「匹」とか使ってしまったりします。
でも、言ってしまったあと 頭をかきむしってわが子たちに詫びたいくらい後悔しちゃいます。
なかなか流せない!!
そのくせ、サラさんのように「変人と思われてけっこう」とまでは割り切れないし
流す56さんと開き直るサラさん、どちらも羨ましいです。
自分、中途半端で本当にダメダメですね・・・・。反省します(^^;
そうそう、ウチの子だけではなく、よその子とか野良にゃんにも「餌」とかは使いたくないですね。
私は近所の子や野良にゃんをみかけるとつい 「ウチにゴハン食べにきまちゅか~?」などと
デカイ声で言ってしまうので、もしかしたら近所では変な人だと思われてるかも。
でも、自分ちの周囲ではあまり気にならないのは何故なんだろうね。
hanaさんはわんちゃん好きだったのですね! 長いおつきあいなのにはじめて知りました。
もちろん、猫だけではなくわんちゃんも一緒に暮らしてると「飼う」という感覚ではなくなりますよね。
私の実家には子供の頃からわんこもいましたので
わんちゃんが「紳士的」というのはわかります。
つねに家族を守る騎士のような気概を感じますね。
なので、少し前に盲導犬が刺された事件は本当に憤りました。
あの盲導犬は刺されたときに声もたてなかったそうで、
自分の身よりまず盲導犬としての役目をはたすことを優先したのでしょう。
わんこは本当にそういう いじらしいところがありますね。
犬と人間は主従関係などとよく言いますが
そういう言葉は人間の驕りで、ほんま どれだけ偉いつもりやねん!と思います。
百間先生の 「ノラや」 「クルや お前か」 は、
長いこと猫と暮らしていると大半の愛猫家が一度はとおる道じゃないかなって思います。
行方不明になったノラの帰りを涙ながらに待つ百間先生の姿や
その後現れたノラに 「毛並みと云い、顔かたちと云い、そっくりノラの生き写しである」クルが
百間先生のところにきてから5年ほどで病気で亡くなってしまうのですから
これはもう、かなりの悲劇ですよね。
悲しいかな、人間は猫よりも寿命が長いので
人間は生きてるあいだにたくさんの愛するわが子とお別れしなければなりません。
でも、天国にいってしまったわが子たちが
その短い一生のあいだにくれる愛が 私たちに教えてくれるものは
どんなに感謝してもたりないほどですよね。
私なんかは、古い感覚でどうしても猫はペットと思ってしまっているので何匹とか餌とか
いっちゃいます。ゴメンナサイ。
悪気はなく、感覚の問題ですね。
昨日も父のお世話に行って、たくさんの猫ちゃんたちと戯れてまいりました。
みんな歳をとってきているので、また具合悪い子がいます。
でも、必死で生きようとする姿は勇気を与えてくれます。
父が可愛がっていた子がいなくなって、また、新しい子が迷い込んできました。
今はその子が父と遊んでくれます。
猫のゴロゴロは人間にもいい影響があるそうですね。
なでているだけでも癒されますし、ひざに乗るサイズといい、体温といい、
こんな人と相性のいい生き物はいないですもんね~。
チェロたんはシャム猫の系統なのかな?
青い目は綺麗ですよね。
うちにもいました。「プリンス・しろ=ボンソワ・ヌー」というとっても綺麗な子が。
(・ん・)?サビ猫さん・・下僕でしたっけ?
サラさんが奇人変人?
いや、私は一度もサラさんのブログとか伝言板のコメントとかみて
サラさんを変人とか思ったことは一度もないですけどね。
猫がどんどん増えてるのは、ごく自然だといつも思っています。
この、」にゃんそろじーのようなものは、たしかにたくさんありますが
今回、この しょこたんの「にゃんそろじー」の感想を書きましたが
わたしは文庫本なら このしょこたんのなんそろじーよりも
中公文庫 クラフトエヴィング商繪の「猫」をお勧めしたいです。
この文庫は、50年くらいに書かれた猫エッセイを編集したものです。
サラさんは、大沸次郎先生とすごく気があうような気がします(笑)
うん、私もね、漱石が嫌いなわけではないんです。
好きか嫌いかといわれたら、作品はすごく好き!!でも、性格が好きかっていわれたら、多分キライ!!
っていうとこでしょうか~!!
この↑「猫の墓」もね 猫好きの立場から読んだら
「てめー漱石!!自分が一緒に暮らしてる子があきらかに病気で弱ってるのに
医者にもつれていかねーで、あまつさえ猫が吐いたら家からつまみだすって、アンタ鬼かい!!」
って思ったんだけど、かたや文学好きの私が
「おお、この美しい文章!!まるで美しい静物画を観るよう・・・・。さすが漱石!!」
って思ったのも事実なんです。
で、さらにこの漱石の憎らしいところはさ
ほかの作家が、何年も何年もかけて、もしかしたら一生かけてたどりつくんじゃないか・・・っていう
そういう文章を、たった数枚の原稿にサラッと書いちゃってる。
そういうとこ、ホントに可愛げなくてキライ!! でも、作品は尊敬してます。心から・・・。
家ではやはり、ご飯だしちゃん君付けて呼んでます
やっぱり家族の一員として見てますが、他人には分からない
感情だと思ってあきらめています。
よそ様のにゃんこも、名前がわかれば
名前で呼ぶし、ご飯食べるかとかいってます^^
知らない人とかの便宜上と言う事で流します^^;
にゃんこちゃんや わんちゃんに対して失礼やわ!
亡くなった愛犬のぺぺは 家族で 優しくて 紳士でした。
父方の祖母が亡くなった時より号泣したくらいです。。
そういう言葉を使う人は 自分がどれだけ偉いねん!と思います。
いつか帰ってきてハッピーエンドだろうという予想を,悲しいかな裏切るためだけの百閒先生の淡々とした日常。
自分のうちのコの話をするときって,子どもがいない私でも,自分の子の自慢をする親の気分です。
だって可愛いんだもん。
失敗やイタズラも,大事な子のすることだから平気だもん。
っていうか,みんなにうちの子を褒めて欲しいもん。
という気分。
ネコは世話はそれなりに大変だけれど,コミュニケーションって言葉だけじゃないよって,教えてくれる先生として尊敬できます。
悪口やうわさ話をしないし,生き物として大事なことを教わっている気がします。
そういえば,谷川俊太郎さんが訳した「大事なことはみんな猫に教わった」も,示唆に富んでいる本でした。
溺愛者はぶりはすぐにばれるので隠してないです。
変人扱い大いに結構と開き直ってますよ。自他ともに認める奇人変人の部類ですしね^^
そのおかげ(?)か動物嫌いな人はほとんど近寄ってこないです。
最近「にゃそろじー」的文庫もちょくちょく出てて興味はあるのですがパラ見のみ。
今度じっくり読んでみようかな^^
でも夏目漱石も とっても好きです
漱石の猫の扱いは
なんていうか
自然のもの?の扱い っていうかなー
敢えてニンゲンが手を加えない ていうか ニンゲンごときが手を貸すのもおこがましい
自然に対する尊崇みたいなものを感じますよ^^
ウチは子供のころからネコがいたんですが
最初のネコは「ねこ」って名前でした^^
(σ´ω`*)は夏休み林間学校から「○○(苗字)おねこ様」って宛名でハガキ書きました(*。-ω-)。 フフフ
そのうち どんどん増えて十数匹(人?^^)になると
(σ´ω`*)も そのうちの1匹みたいになって
だから むしろネコ何匹って言うのは抵抗なくて
自分のことも1匹って数えたりして(*´▽`*)
ネコはニンゲンじゃない っていうか
ニンゲンごときと同列に数えられない
なんても思ってしまいます
すると何人でも何匹でもなく なんて言ったらいいんでしょうかね^^;
百間先生の場合はもう完全に「溺愛者」というのがふさわしいですよね。
あれっ、もしかして、私も百間先生サイドに片足つっこんじゃってる?
私は一般の猫好きの粋を越えてないつもりだったんですけどねえ。
でも確かに「猫が好き」って言ってる人とでも温度差を感じることがあります・・・・。
変な人の烙印をおされないように、職場などでは溺愛者というのは隠し通さないと!!
猫溺愛者と一般人の温度差なんでしょうなあww