Nicotto Town


ぐうたら日記


度々起きる暴言


教員を諦めたのは自分の性質によるものですが、記憶の中にはクソ教諭が案外登場します。

私がクソ教諭と言ったりクズ教員と言ったりしますが、私自身も、教員になったならばクソ教諭やクズ教員になっていたのは間違いないでしょう。

さて、本日はとあるクソ教諭の話をしようと思います。

ある日、とある少女は国語の授業を受けていました。

先生は言いました。

「何でもいいので、知っている、数字を含む四字熟語を黒板に書いてください。既に出ているものを書いてはいけません。また、すべて漢字で書かなければなりません」

この先生は、非常に厳しく、トイレに行きたいし、喉も渇いてお茶も飲みたい。でも、先生の出した問題は終わらないまま、中休み(30分)が終わろうとしていて、「わかりました(だから休憩にさせてください)」と言ったところ、「じゃあどうやってといたの?」「えーっと、それは……」「出来ていないのなら、そういう嘘をついてはいけません」と、結局、トイレにも行けず、お茶も飲めず、次の授業を受けることになり、授業中我慢できなくなって先生にトイレに行きたいと告げると、放課後残されてこっぴどく叱るような、ちょっと変な先生でした。

少女の席は後ろの方。前から順番に書いて行けば、少女の番が来るころには簡単なものは全て出つくしてしまうでしょう。

案の定、少女の番になった時には、一石二鳥や二束三文と言ったものは出尽くしてしまい、少女が知っているのは八方美人だけになっていました。

意味はあまりよくは知りません。どこかで読んだ、という記憶を頼りに、黒板に書いてほっとしました。

全員が書けない、もしくは書いてしまった後、先生は八方美人という文字を指して言いました。

「これを書いたのは誰?」

少女はそろそろと手を挙げました。大体こういうとき、この先生は……。

「意味は知っている?」

「いいえ。忘れてしまいました。」

「そういうのは、知っているとは言わないのです」

先生は、黒板の八方美人を消してしまいました。少女のその時の心は、「へーそうなんだー」ではなく、絶望でいっぱいでした。

他にも、三寒四温と書いた少年がいましたが、彼はクラスの中でも相当優秀な少年だったために聞かれることはありませんでした。

後で少年は「僕も意味は分からなかったんだよね~」と言っていました。

なぜ、先生は少年には聞かず、自分にだけ聞いたのかと少女は深く考えました。

その後、そういったことが何度もあり、少女は何を聞かれても「分からない」と答えるようになり、分かる人と言われても手を上げることはなくなりました。

先生はその後は、そういう少女の態度を叱り飛ばすばかりになりました。少女が先生に嫌悪と不信を抱いているとは知らず……。

終わり。

こういう、繰り返す失敗で学習性無力感と言いますが、まさにこの少女は学習性無力感に陥っている状況です。

なぜそこで怒ったのか。

しらなかったら覚えましょう!と言えば済んだ話だと思います。

私も、教員になろうと決めたのは高校の頃でしたが、実はかなり葛藤がありました。

私は義務教育の間に、そういう、信じてもらえないとか、わけも分からず一方的に怒られることがあったので、実は先生という職業の人が漏れなく大っ嫌いで、みんなそうなんだと思い距離を置き信用していませんでしたから、今まで自分が経験した不愉快な思いをさせないために先生になりたいという気持ちと、不愉快な思いをさせた人たちと同じになってしまう恐怖の為に、悩みました。

ですが、今では教員の問題だけではなく、体制の問題もあるのではないかと思うようになっています。

留学したとき、一番びっくりしたのは、間違えたとき「うっわw間違えよったw」と笑うヤツがいない事です。

Nice try!と言われたなら、また挑戦しようって気にもなるし、間違えを恐れることもあまりないかなぁと。

日本人の悪い文化の一つなのかもしれませんね。

日本の教育は、もしかすると肌に合っていなかったのかもしれません。生活も文化もまた然り。

学生時代に聞いた話ですが、この、前を向いて一斉に教育を受ける聴講式の授業スタイルは、近代化に伴って、大量に労働者が必要だったために、その大量の労働者を効率的に作り出すための義務教育のスタイルだったそうで、現在の授業スタイルはその名残だそうですよ。

聴講式の授業を始めた当時、必要な人材は、イエスマンだったわけです。

逆らわず、考えず、お国や資本家の為にその身を捧げてくたばっていく捨て駒なわけですよ。

そんな個性と真逆な名残を残した教育を施しといて、何が個性を伸ばすだばかやろー、と、私は思うわけです。

私が思うに、日本の教育は、個性だといいながら、個性を根絶やしにした囚人教育だと思います。

子供達がまるで、極めて透明性の高い監獄に入れられた囚人のようにしか見えないのです。

クソ教諭を根絶やしにする前に、このおかしな、前時代的な教育体制が変わらない限り、第二第三のとある少女は生まれ続けるのです。無限にね。

いじめがどうとか行ってる前に、先生から受ける理不尽な精神的暴力を完全になくして欲しいものです。


語れば実はまだ随分ととあるクソ教諭の話も自分の思いも出てくるのですが、この辺にしておきます。

長文失礼しました。不愉快になった方、本当にごめんなさい。忘れてください。あくまで私が体験して、話を聞いて、学んで、思ったことなので。

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2015/12/05 17:19
セラさん

前のバイト先の社員さん曰く、「塾があれば学校はいらない」その通りだと思いました。
平等に公正なんだと思いますよ~
平等に公正に、何もしない、助けてくれない、授業以外では教えてくれない
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2015/11/30 14:44
なんだろうね。あの権力を振りかざしながら私は間違ってない自信あります感・・・
その割りに、平等に公平にって最低限の事が出来ないし教えられないやつが多すぎると思う。
心のつながりが1つもないなら塾だけで学校はいらんよなって思う。



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