今、私が毎日観ているテレビ。
- カテゴリ:テレビ
- 2017/11/24 15:47:07
私が毎日観ているテレビの中に「火野正平さん」の「心旅」と言う番組が有ります。(この番組は東日本大震災の翌年から行われて来たのですが)
観ていられる方もいると思いますが、この番組は「BSプレミアル」で朝の7時45分とその続きが夜の7時から。
火野正平さんが、自転車で春は本州の真ん中あたりから北に向けて、秋は同じく本州を出発して南へと行く。
今年は、最後は九州7県を回って終わりなのですが、今週は「高知県」を旅しています。
こんな所に、こんなに素敵な風景があったんだ・・・とか、後自分の故郷を後に上京したりした人が、故郷を懐かしく想い「お手紙」を出して正平さんがそのお手紙を元に、自転車で旅をする番組です。
転勤族であった私には故郷と言うものが無く、両親も二人とも東京出身だったため、夏休みなどは東京に行き、夏休みが明けると男の子などは「おじいちゃんのうちにずっといて、虫取りして遊んで来た」とか、どこか羨ましく思った事がありました。
実は私はご存知の方もいらっしゃると思いますが・・・丁度10年前に「股関節」の大手術をして2か月の入院、そして1か月の自宅での療養。
その後も、リハビリに通い「歩く」と言う事しかできない体になってしまったのです。(長い間立っている事も出来ないので、その後仕事に付くのも大変な思いをしました)
そんな事もあり、今ではどこにも行く事が出来ません(長い間車に乗っているのも辛い)
でも、そんな私は正平さんは色々な所に連れて行ってくれるのです。
そして日本にも、こんなに素朴だけど素敵な所があるんだな~と。
毎日楽しみに観ている「テレビ番組」です。
最初は長男が組んでいたバンドは、沖縄から「歌手」を目指して来た「ボーカル」そして、その「お兄さん」を追いかける様に「三線」である大会で「日本一」になった弟。そしてドラムは、定職に付いていた人、そして当時大学生だった「長男」と同じく「長男の友達」(二人とも国立大学)しかし、「ボーカル」をやっていたお兄さんが「ラルク」を憧れて出て来て、「ドラム」の人も社会人だった事から、「三線」の弟と「長男」「長男の小学生時代からの友人」の三人だけしか、プロのPに取り上げてもらえなかったのです。何故なら、「ラルク」に勝てるバンドはいない。と言うのが結論だったのです。そして、「沖縄から来た三線」と長男のベース、長男の友達の素朴な歌声と言う事で「海人(うみんちょ)」と言う名で、メジャーとして、デビューする事になったのですが、上手くいくはず無いですよね。同じ事務所の人達と地方を回り、その前座でまず歌を披露して・・・。そのうち、「三線」をやっていた人が沖縄に帰ってしまったのです。レコード会社も決まっていたのですが、丁度「ジェロ」が出て来て、其方に力を入れた為もあったのですが・・・それで、ファンも沢山ついたのですが、一時解散になってしまいました。それから今の「UNIONJUNK」を長男が立ちあげた次第で・・・そうこうしているうちに・・・私が、この様な体になってしまったのです。でも、夢を諦めたら全てが終わってしまう。例え叶わぬ夢でも、夢があるからこそ人間は生きていける。そんな、気持ちで毎日を送っています。
コメントありがとうございます。 今精一杯に生きるって大切であり、またそれが素晴らしい事ですよね。
私も、まだ夢は諦めていませんよ。 何せ、大学時代に抱いていた夢(馬術部に入る事)
母親の、たった一言の言葉「ここまで育てて来たのに・・・落馬して、命落としたらどうするの?」の一言で諦めてしまいました。
また、偶々「大学時代」に「音楽祭」のイベントで2年続けてMCを務めてプロの歌手が出演する前にアカペラで歌を歌いその時も、音楽祭で来ていた方からも、「うちの事務所」に来なさい、と言われたのですが・・・母に相談したら、今はやるべき事をやって卒業してからでも良いじゃないって・・・でも、プロの世界って、「話が出た時に受けるかどうか」が運命なんですよね。
そして、大学を卒業して仕事に付き「結婚」が決まった時に、やっぱり何かやり残した事がある。とあらゆる所に「デモテープ」を送って・・・ある事務所から朝電話がかかって来ました。でもその日は、「結納」の日でした。どこまで、ついてないんだろう・・・って感じですよ。
でも、結婚しなかったら今の息子たちは存在しなかったと言う事で・・・、それから、次男が「競馬のジョッキーになりたい」と小学生の時に行った時(次男は、生まれた時は仮死で総合病院だったから助かりました。その後も2歳までの間に危篤状態になり3回も入退院繰り返して)その時に、母から言われた事と同じ事を言ったんです。そしたら、次男から帰ってきた言葉は「大好きな馬の背で死ねたら本望だ」と・・・そして、次男を近くの乗馬クラブに入会させました、私はいつも次男と一緒に乗馬クラブに通い「お母さんも馬が好きなんですね、家族割りだったら安く会員になれますよ」と何と20年ぶりの夢をそこで叶える事が出来たのです。また、長男がバンド活動を始めた時にある人から例の音楽Pを紹介されて、会いに行った時に、しばらくして電話がかかって来ました。長男の事かな?と思ったのですが、実は私にでした。「お母さん、以前歌っていた事あったんじゃないですか?しゃべり方や、その声からわかりますよ」と・・・プロのPって凄いなと思ったのですが・・・実際にプロの世界は厳しいです。
永遠に続くよう願っても叶わないことも多いです。
貴重なお話をありがとうございます。
今を精一杯大切にしていきたいとしみじみ思います。
コメントありがとうございます。
実は、YouTubeにある動画の「長い夜」は私の最後のステージだったのです。
あの時も、足の激痛の中やっと歌い切った歌だったのです。
あの日は、ジョイントコンサートで本来ならば3曲歌うはずだったのですが、急きょ「午前中」にヘルプで歌った歌が、一人のギターの音源が入って無かった事がわかり急きょ、私が一人で歌う「長い夜」の前にもう一度歌い、その次が私の出番だったので・・・慌てて楽屋で着替えて、私の歌を歌いました。
でも、楽しかったな~・・・午前中に終わった歌ヘルプで歌った「NANA」をもう一度歌えたし・・・グループで長男の大好きな「ビートルズ」の「片道切符」を歌ったり。その間に衣裳替えを何回もして最後に「私の歌」もう、その時は疲れ切っていた。セットしてあった髪の毛も何度も着替えて肝心な自分一人の出番の時にはボサボサだったし、
実はその1年前にもやはりジョイントコンサートが有り(500人入る会場満席で)「EPIROGUE」を歌いました。
そして最後のステージの約1年後に手術を終えてようやく杖を突いて歩けるようになった時に・・・息子たちと私のプロの「音楽P」(西城秀樹さん等を育てた方)である方から「自らその姿で、歌を作って歌を歌ったら?」とも言われたのですが、いつの間にか断ち切りになってしまい、私も生活しなくてはならないので、リハビリを続け何とか再度仕事に付けたのですが・・・また、悪化してしまい、今は家で出来る仕事をしています。
もう一度、大勢の人達(ジョイントコンサートでは500人の人達の前)の前で歌を歌いたい。いくつになっても、それだけは今も変わらない私の夢です。(あは・・・あの動画が実は11年前の私だってばれちゃったね(笑))
ねねさんが、そういうふうにお身体を患っていたこと、知りませんでした。
手術前はステージで歌われたり色々とても活発に活動されていたのではないかと思いますが、その後行動に制約があるのは、何事をするにもとてもお辛いと思います。
旅番組、いいですよね。今は映像も凄く美しいし、実際行くより美しいかも。(*^-^*)
寒くなったけど、体調に気を付けてね。
コメントありがとうございます。
「心旅」は普通の「旅番組」とは違って、決して豪華な所へは行かないしお昼の食事も「予算」が決められている様で、庶民と同じものを食べて・・・
本当に身近に感じる、旅番組です。
山道を、はぁはぁ言いながら鼻水をすすりながら上がって行く姿。
高所恐怖症の為に高い橋を渡る事が出来ずに、ぺっぴり腰で自電車を押しながら渡ったり。
またスタッフの人が、他に4人後ろに付いて自転車に乗り、その他に車で待ち伏せしてその様子をカメラにおさめたり、本当に今日はどの様な様子をそして、どんな所に行くのかな?何を食べるのかな?と言う楽しみが有ります。
本当に、最近はちょっと何かをするとベッドに座ったり、潜り込んだら最後寝てしまって起きてびっくり、今何時?状態になってしまう事が多いです。
何か、身近で楽しみになる物を見つけて下さいね。
そんなに長く患った事はないけど本当に動けなくて体も気持ちもダメってっいう時今までそんなに感じなかったことで日頃の健康のありがたみって感じる
そういえば今続けてみてる番組ないなぁ。ちょっと体制崩れて、横になると爆睡してしまってる
楽しみになるものを見つけなくては、ストレスばっかりたまりそう(-_-メ)