Nicotto Town



中間テスト―中学時代


中学校では試験の点数が順位をつけて100位までの名前が張り出された
テストが手元に戻るまでのあいだ
気になるものは張り出しを見に行くがほとんどは見にいかない

通学には歩いて30分かかる
誘い合って通学する友人は気さくでさっぱりとした気持ち良い性格だ
その日は不機嫌だった
彼女はわたしの顔も見ず
「なんで言ってくれなかったの?」とぼつっと言った
何のことを言っているのかな?
すぐには解らなかった
「中間100点だったじゃない」
「へえ?何が100点だったか解らないよ」
「体育」
彼女は押さえていたものが一気にでたのだろう
なぜ言ってくれなかったのか?と何度もくりかえした
その感情に引き倒されて
何も言えなくなってしまった

張りだしを見ると
満点の110点ではないが100点のわたしが一位だった
ああ~ 満点じゃないのになあ
と、がっくりした
朝の話がなかったら、一位はうれしかったかもしれない

彼女の名前を探すと50位を下回っていた
クラスも違うし、点数も何位かも、これまで話題になったことはないのに
なんで彼女はこのテストだけこだわったのか

帰る時間は部活や委員活動で違ってくるのでそれぞれで帰る
翌日の朝、110点満点で満点は絶対とれないとわかっていたからだよと説明したが
彼女はかたくなに「話してくれなかった」とくりかえした
全部のテストの話をしなくちゃいけないんだろうか?
重たい気分の中学生は
点数や順位の名前張り出しはやめてほしい!
という結論になった

大人になって
彼女の経営する洋品店で扱う大判スカーフが新聞に紹介されて
彼女の写真が掲載された記事を読んだ朝
順位や点数ではなく
あなたとわたしは仲良しだから何でも知っていたい
という気持ちだったのかな?と懐かしかった



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2014/05/30 18:24
野武士さんへ
わたしは野武士さんと同じ理由で高校を中退しました
公立に合格しなかったら就職と親から言われていたため
どうしても進学したくて一つランクを落として高校に進みました
一学期に入ってすぐに父親が結核で再入院しました
実は毛細肉腫という血液ガンで夏になくなりました
ですから、まだ生きているうちに高校を辞めて働き出して良かったと思っています
小さい弟妹を残し、借金があるまま亡くなっていくのは父親には耐えられない心痛だったでしょう

20歳を過ぎて中学時代の親友の結婚新居に呼ばれていったとき
他愛ない話から「基礎のない人はだめね」とさらっと言われたことは大いに傷つきました
高校に行かないと基礎ができない?という疑問を抱くこともなく
ただ、恥ずかしかった
子どもを産み育て図書館に行くこともなくなっていた自分が恥ずかしかったのです
それからは、自分がほしい知識や情報を得るために
市民講座で基礎的な法学を学びました
大学と同じ講義は傷ついた心を癒してくれました
そのために近所の育休の方や沿線の方たちに呼びかけて
子どもの共同保育を始めました

50代に入って、地位もでき財産もでき食べるものに困らない生活を送れるようになってから
近所にある大学の社会人セミナーを受講しました
NHKの高校通信講座を受講したことはありませんが
番組を見るのが今でも好きです
面白いと思っているのは数学と地学です
振り返ると
その時々、職場や人生に必要なものを中心に選んで役立ってきました
今も、再受講したいと思っている講義があります
一生勉強できたら
どんなに豊かな気持ちでいられるでしょうか

若い人たちが経済的理由で進学をあきらめるのを見るとき
自分のために勉学する姿勢を忘れないようにと願っています
アバター
2014/05/30 13:16
中学校の試験順位の張り出しは嫌でしたが、俺は最下位に近くて一度も名前の出たことはありませんでした
でも、、、高校は行きたかった!田舎の貧乏では行けない時代でした



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