Nicotto Town



忘れられない旅ー従軍慰安婦とは何か

「松代大本営跡」を30年ほど前に見学したことがあります
松代大本営跡というのは、第二次戦時下、敗戦まじかの東京から
政府の中枢機関と軍事施設を長野県松代に移すために
作られたものです
「朝鮮半島から拉致してきた人たち」や
強制労働をさせる人たちの住居とした三角屋根の小屋もあった土地を含む「戦争犯罪跡」です
何人もの人がそこで危険な作業に従事させられ、
逃げ出したり、中のものを持ち出せないよう
厳重な管理を行う門のある場所でした
その門の横には「従軍慰安婦」にされた女性たちが、
日本人から取り上げた民家に住まわせられていました
 カメラを向けたところ
シャッターが下りなくなってしまいました
それまで
戦時中に作られた滑走路を予定した松代の町の大きな幅のある道路など
貴重な写真を撮りました
結局、大本営跡に刻まれているという
「戦争が終わった バンザイ」というハングル文字も撮れず
ここで、自分の身うちが亡くなったと泣きながら手を合わせられる方や
硬い岩山を爆破するために危険な強制労働に従事させられた「アイヌ」の方の話を聞きながら
荒々しく削られた痕跡を残した発破の跡を撮影することもできなかったのです
 
この旅のために買ったカメラでしたので
東京に戻ってミノルタ新宿店に持っていきました
「どこもおかしくないのにシャッターだけがおりませんね」と担当の方が
 新しいカメラと取り換えることになりました
「それにしてもおかしいですね、原因がわからない故障は初めてです」と
担当の方が首をかしげながら最後のシャッターを何気なく押したとたん
それまで下りなかったシャッターが軽やかに下りました
わたしは、長野の記者といっしょに大本営跡を歩いたのですが
記者もおかしなことに出会ったと「大本営跡を歩く会」の感想文に書かれていました
わたしは、ミノルタ新宿店の出来事を記者には告げていないのですが
説明しがたい体験事象を記者の方と二人で大本営跡の地下道で体験したためです

「従軍慰安婦」と言われる体験をさせられた女性が後世に伝えたいメッセージ
それがあると確信しています

*このブログ記事は「かをる 元気!さん」のブログに投稿したものを加筆・削除・修正したものを掲載しています

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2017/04/29 20:38
大潮さんに伝えてほしいという表れなのかもしれませんね。
こうしてブログに書いてくださるだけでも
知ることができますもの。
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2017/04/29 17:10
 その後に外交交渉を行い調印したことを無視し、国ぐるみで強請り・恐喝を繰り返すことを問題視しています。
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2017/04/29 14:23
コメントありがとうございます。そう、「松代大本営跡」。私は、行った事はないのですが知っていました。

長野県在住の方以外は、あまり知られていない様ですね。

太平洋戦争最末期、長野県松代に地下壕を掘らせて大本営を移動し、地上ではどんな事態が起きようとも徹底抗戦しようとした場所。

戦争末期の食糧難のとき、国民の命も財産も、将兵の命もまったく顧みることのなかった大本営が、逃げ出すこともできない朝鮮人や、勤労動員を拒否できない日本人にどれほど苛酷な使役労働を強いていた場所。

私も、カメラを通して、メッセージを伝えたんだと思います。

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2017/04/29 13:01
従軍慰安婦問題は、日本だけの問題ではないように思います
戦争は、悲惨 二度と起こしてはならないと思います
思いを残して、命を落とした方々が何かを伝えようと思ったのですね
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2017/04/29 11:28
不思議なこと、、、ですね、、

説明しがたい、、体験とは?なんだったのでしょう?



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