Nicotto Town


†るみりん†


武蔵と大叔父なお話し。

先日、大叔父が亡くなりました。
大正15年生まれ。享年90歳。

原因は年齢も健康も関係がない
ヒートショック。
私の妹と同じなのだわ・・・。

農協職員、民生委員、自治会、消防団、ボランティア活動。
と、顔が広い人だったので
同級生の家に遊びに行くと、「A町の苗字」を名乗ると
そちらのお祖父さん、お祖母さんから
「大叔父の孫なの?」間違えられたものです。

そんな大叔父の衝撃の過去をお寺さんが通夜の席で
話してくださいまして
「武蔵が沈んだ時、亡くなった人を引き上げた」と。
・・・・・つまり、レイテ沖で武蔵沈没の場に居た!?

戦争中、大叔父は海軍で高雄 (重巡洋艦)の乗っていたのですよ。

軽くWikiっただけですけども、高雄は確かに武蔵と一緒にレイテ沖に出撃していて敵の魚雷でエンジンが大破。洋上に停止。
武蔵や他の駆逐艦も沈没していく中、高雄はエンジンを修理して
味方の戦艦に守られる形でブルネイに到着
後、修理のためシンガポールに。

と、wikiにはあるのですが
大叔父はこのような修羅場を生き延びたのかΣ(゚д゚lll)
てか、この体験は超重要な歴史の証言じゃ
そういうの研究している人たちは、きっと何としてでも
いろいろ聞いておきたい事が山とあったのじゃあ(-_-;)

と、話が少しずれたけども
大叔父は生きて帰った自分は何としても
人の役に立たなければいけない。という、意志があって
民生委員、自治会、消防団、ボランティア活動とやっていくことで
人の役に立つ道を自分なりにやっていたのだなぁ。
そして最後は献体まですることを決めていた。

もっと、色んなお話を聞きたかったです。

アバター
2017/01/22 21:08
コメありがとうございます。
ずっと元気な方だったので、なんとなくまだ生きているような気がします


こういう言い方は悪い気もするのですが
世間の「戦争体験」て、物が配給で~とか
空襲が怖くて~。人がたくさん亡くなって~。
と、いうのがありふれていて何となく
戦争=生活難のような雰囲気をまとったものが
多いような気がするのですよ。

妹と二人でこれは
「NHKのあなたの体験聞かせてください(戦争編)で絶対に取材に来るレベル!!」
「もし、武蔵の特集があったりしたら絶対使われるレベル!!」
と、ちょっとだけ熱くなっていました。
しかし、大叔父はもう居ないのでせめて此処で
「私の大叔父さんはレイテ沖に武蔵と一緒に居た」
と、いうことを残しておきたかったのです。
語り部活動のようなことは一切やっていなくて
この「武蔵が沈んだ時に・・・」と、いう話も長年の付き合いを持つお寺さんでさえ
昨年末に初めて「ちらっと話した」レベルなんで
語らぬままの部分の方が多いのだろうなぁ・・・・
アバター
2017/01/21 10:21
凄い経験を持った方だったんですね。
小説や映画の中では何度かであった話ですけど・・・その場に居た方とは(^^;

その体験から人の役に立ちたいと思った考えは、私達の浅い経験からのとは
厚みが違う決意だったのでしょうね。
お悔み申し上げます。><
アバター
2017/01/20 17:35
濃い話ですね・・・
本にできるくらいに話があったでしょうね・・・

うちの嫁の祖母が大正11年です
施設にいるけどまだ元気なので
色々と話を聞いておきたいと思いました(๑⊙ω⊙๑)




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