入院日記 前回+1
- カテゴリ:日記
- 2020/11/01 17:55:49
今、療養病棟にいます
来週娑婆に戻ります
(・・||||rパンパンッ(・・||||rパンパンッ(・・||||rパンパンッ(・・||||rパンパンッ
究極の二択をしました
1.移植する、最初は毎日、様子見て回数減らして、最後は月一で検査と治療
2.進行が遅いので現状維持する、月一で検査
1の場合
治るけど
5年後に死ぬかもしれない
10年後に死ぬかもしれない
20年後に死ぬかもしれない は?
30年後に死ぬかもしれない え?
40年後に死ぬかもしれない あの~
50年後に死ぬかもしれない おいおい
60年後に死ぬかもしれない おいおいおいおい
70年後に死ぬかもしれない おい、それ老衰だろ
2の場合
急変して1年後に死ぬかもしれない
その時移植すれば7割の確率でリセットしてルート1に戻る↑
急変しなけりゃ
5年後に死ぬかもしれない
10年後に死ぬかもしれない
20年後に死ぬかもしれない は?
30年後に死ぬかもしれない え?
40年後に死ぬかもしれない あの~
50年後に死ぬかもしれない おいおい
60年後に死ぬかもしれない おいおいおいおい
70年後に死ぬかもしれない だから。それ老衰だろ
90過ぎまで生きたら充分だろ
命ある物、生まれたときから死に向かって生きてくもんだろ
ミミズだって、トンボだって、アメンボだぁって
みんなみんな死んでいくんだ、友達な~んだぁ♪
って歌もあるじゃんよ
せーーーーーーっかく
君の膵臓をたべたい とか 美波ちゃんかわいい
四月は君の嘘 とか すずちゃんかわいい
死ぬまでにしたい10の事 とか サラ・ポーリーちっさいときから美人だったけど、大人になっても美人だなぁ
見て盛り上がってたのに
うちの気持ちをどーせいいうん?
toruzo様
いもとはうちん嫁
やて、うちは現状維持を選んでます。
行き当たりばったりん生き方が、うちらしい。
かに仙人様
なん時、なんが起こるかいなんてわからしまへん。
なるようになる。
で、うちはええと思うのどす。
吊られた男様
10年で人工関節んメンテどすか。
一生もんではおまへんんどすなぁ。
足の長さが4cm違ったら
うちの経験じゃ比較にならんかもですが
6cmのパンプスのヒールが階段でつまずいたときとれてしもうて
うち、数歩歩いてうずくまったんや。よう歩けまへん。
ゆきみん様
どちらかちゅうと、どっちゃもメリットがへんって感じですかね。
今回たまたま、夏バテやらあれやこれやが重なって貧血がむちゃならはったんどすけど
それがなけりゃなんとかいなる。はず。どす。たぶんやで。
うち、コントロールんためんピル飲むことになったん。
ゆき様
そないどすねん
体力があらへんと手術も移植も、虫歯を抜くんもむずかしくなるんやて。
かといって、完治しはるならともかく 例え成功確率が10%やったら移植もいいんやけど
99.9%上成功しはるちゅう移植でも、再発しはる可能性は残るんいうたら
やるだけ無駄やんけとしか思えへんんどす。
梅缶のちまき様
缶しかんこってへん…w
小学生時代。うちはそないええ子おへんどした
いじめっ子グループにこそ入っておへんどしたやけど、いじめられっ子と話したことも無かったことやし
校則破って友達同士で原宿や渋谷、代官山で遊んだり
学校では斜に構えたクラスん中ん少数派どした。
中学で、校則厳しいんと制服んプライドで少数派ではなくなったんやけどな。
今も残る愛校心♥
そら様
ですやろー
あすん事なんてわかれへん。
アクシズ教教義かてあります。
「迷った末に出した答えはどちらを選んでも後悔するもの。どうせ後悔するのなら、今が楽ちんな方を選びなさい。
汝、老後を恐れるなかれ。未来のあなたが笑っているか、それは神ですらも分からない。なら、今だけでも笑いなさい。」
入院中時知り合った白血病んおばあはんに昔ん歌「男達のメロディー」?を教わったんや。
CDプレーヤーを貸りてきいたんや、
「運が悪けりゃ死ぬだけさ」って、名言どす。
そないもんやろうな。
人生って。
今、健康なひとだって明日は分からないものです。
一日、一日を大事に生きていくのが良いと思います。
よく医者から聞きます
体力がなければ手術も難しくなるのかなと
でも手術も怖いですよね
そこは医者先生の意見を聞いて
最善の方策を選んでくださいね
おだいじにね!
オッサンになってかなりの時間が経過した頃に症状が悪化。変形性股関節症です。左右の足の長さは4cmの差ができ、歩くだけでも激痛で傘や手すりを頼らないとダメなほどに。
当時かかっていた医師は可能な限り関節を温存し60歳で手術をするほうがいいと後ろ向きでした。半年に2回の診察で4回聞いたけれど答えは変わらず。紹介状貰い別の病院に行こうと思ったら、病院の医者が別の人になっていました。
新しい先生は「人工股関節の耐用年数は10年なので、将来、再手術をする覚悟が持てるなら」手術をしてもいい、「手術をすれば今の生活の質は上がり、筋肉なども戻れば10年後の手術もしやすくなる」と言っていました。
ほかの手術経験者も「自分は今の生活を早く変えたいと思ったから手術をした」と言っていたので、自分も普通に歩けるようになるほうが手術の苦しみよりもいいと判断して、手術を頼みました。リスクは低い手術でしたが無事終わり、幸いなことに経過も順調です。
子供の頃からン十年で手術技術はずいぶん進んだはずです。切羽詰まってなかったから待って正解だったと思います。反面、歩くのも辛くなってからの2年は時間がもったいなかったとも思います。
激的に行動範囲は広がり、苦痛も減り、生活は向上しました。
今年の夏にろれつが回らなくなった時は、周囲から「明らかにおかしいから病院に行け」と言われだし、弟が「車出すから、救急行く?」と言い出し、一晩考えて病院に行きました。悠長だなぁ…
その一晩は悩みました。もしかしたら死ぬのかも…。いつも死にたいとか思ってる癖に、死を感じたら怖いのか嫌なのか、不思議な気持ちで眠れませんでした。他の病気が考えられるか、後遺症はどうかと不安で。
現実とは向き合えてなかったと思います。
向精神病薬の副作用だったみたいです。
本当に脳の血管がどうにかなっていたら、自分は何を選んだかは今でもわかりません。
きっと、直近の生活や安心を選んだんじゃないかと思っています。
↑の確率なんて人それぞれの違いがあるので一概には言えませんね。
病は気からというし、身も心も落ち着ける方向で考えてみてはいかがでしょうか。
兎に角、幸運を祈ります!