アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2011/01/20 16:40:38
ここ数年、私の仕事は「(マスコミ志望の)大学生の就職対策」のお手伝い。
年々早まる採用試験のお蔭で、1月~4月下旬まで、超ロングホリデー。
どんなに忙しく働いたとしても、1~2週間ものんびりすれば疲れは取れます。
心身ともに元気になったところで、「さて、この休暇、どうしましょう」となる。
「楽しめて学べる」・・・すると旅行。
それも海外旅行と、ごく自然な流れで日本脱出を画策しはじめるのです。
私は常々、大好きな国は英国、そしてローマ(not イタリア)と公言してきました。
それに変わりはないのですが近年、切望して止まない国、いえ場所が二箇所あるのです。
一つは、『ヴィアドロローサ』(悲しみの道)・・・イスラエル
ここは、キリスト教徒の聖地ともいえる場所。
私はクリスチャンではありませんが、海外を巡る度にその存在を思い知らされます。
よく知らないからこそ知りたい。知的好奇心とでも言うのでしょうか・・・。
この「道」はゴルゴダへと続き、キリストが処刑された場所には現在
『聖墳墓教会』が建てられています。
つまり道は、キリストが鞭打たれ、十字架を担ぎ何度も倒れながらも歩いた所なのです。
以前、『パッション(The Passion Of The Christ)』 (監督:メル・ギブソン)を見たことがあります。
これはキリストが、処刑されるまでの12時間を描いた2004年製作の映画。
正視に耐えられない、衝撃的な作品として、今も私の脳裏に刻み込まれています。
“キリストが鞭打たれ、十字架を背負わされ、ゴルゴダの丘へと歩く。
そして処刑地で、磔刑(たっけい)に処された・・・。”
クリスチャンでなくても、多くの人が知っています。
でもそれを映像にし、見せ付けられると、衝撃は計り知れないものでした。
鞭打たれ、血肉が飛び散る様がどれほどむごたらしいものなのか。
キリストにツバを吐きかけ、口汚くあざけり嘲笑しながら死へといざなう。
なぜそんな酷いことができるのか・・・。
ビデオを途中何度も止め、心を静め、先へと進めたものです。
以来、この『ヴィアドロローサ』が、気になってならないのです。
でも悲しいかな親族・友人は関心がなく、加えてイスラエル国内の情勢も不安定な為
「そんな危険な国は御免!」の一辺倒。
一人旅は・・・さすがに怖い。かといってツアーに、“お一人様”参加も何やら寂しい。
でも、近いうちに是非訪れたいものです。
もう一つが、『アウシュビッツ=ビルケナウ(ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所)』・・ポーランド
こちらは誰もが知っている、『負の世界遺産』 (1979年認定)
友人からは、「ヴィアドロローサ」以上に奇異な感を持たれますが、
個人的には“是非訪れるべき場所”だと思っています。
「特殊な状況下で、人はここまで残酷になり得る」、それをを再確認するためにも。
そもそも興味を持ったきっかけは、『ミルグラム実験』(1963年)。
そしてその類似実験、『スタンフォード監獄実験』(1971年)の存在を知って、です。
心理学の実験で、特に『ミルグラム実験』は
「アイヒマンとその他虐殺に加わった人たちは、単に上の指示に従っただけなのかどうか?」を実証する為に行ったもの。
それは「閉鎖的な環境下で、権威者の指示に従う人間の心理状況を実験」したものです。
簡単に説明すると、
集められた被験者を「教師」と「生徒」役に分け、それぞれ別室に入れます。
インターフォンを通じてのみお互いの声が聞こえる状況にします。
そして「教師」が「生徒」に単語テストをし、間違えると電気ショック(罰)を与えるというもの。
この実験のポイントは、
「教師は何ら武器などで脅される等、物理的プレッシャーがない」にあります。
つまり、“自己判断・自己決定”です。
流される電流は数段階に分けられ、最大では450ボルトまで設定されています。
450ボルトというのは、通常死に至る危険性があるとされています。
それらを踏まえた上での実験開始ですが、当初大方(学者等)の予想は
「最大の電圧を加える被験者は極わずか(平均1.2%)だろう」とみなされていました。
それが実際は、実に被験者(「教師」)40人中25人・・・62.5%が、
最大値450ボルトまでスイッチを入れたのでした。
一問間違えるごとに15ボルトずつ上げていき、
「生徒」の絶叫がインターホン越しに響き渡ります。
(実際には「生徒」に電流は流れず、絶叫は演技でしたが「教師」は知りません。)
後に行われた『スタンフォード監獄実験』でも、ねらいは同じです。
舞台を刑務所に代え、「看守役」と「受刑者役」に分け、
『役割』によってどの様に人間性が変わっていくのかを調べたものです。
こちらは予想以上に看守役は看守らしく、受刑者は精神に異常をきたす者が続出し、
途中で実験を中止しています。
これらの実験は、ごく平凡な人間にも、『狂気の芽』が内在することが実証される結果に。
今回縁あって、「アウシュビッツ・ビルケナウ強制収用所」を訪れる好機を得ました。
『人間の狂気』を、しっかりこの目に焼き付けて来るつもりです。
平和な時には決して感じ得ない・・・・『内に潜む狂気』を。
I see, you have not known the result.
But I believe you will be able to pass them !!
Hahaa,, in fact,,i don't know the exam result yet..
just complete for 2 days,, and tmr,, is the final subject for this sem..
i just hope that the result can be pass~~><"
Fu~~~God~~please bless me...>~<
i hope that all of the exam can be pass...
Cograturations, lumlum !!
Even so, you are quite busy, are'nt you? work & study・・.
Please do your best, but do not do them so much.
Thanks you so much!
i will fighting!!
pass the exam!!
Yeah!
Thank you very much, lumlum.
I miss you, too !!
oh~~miss you a lot!!
welcome back^V^
Take a break first,,u should so tired now~~
see you!!>3<
ブログ・・・興味深く考えながら、読ませていただいていました。
nagataさんの、一刻も早い冬眠からの目覚めを願っています。
このまま眠り続けないで下さいね!
Tomorrow is another day ! です。
わたしは もう少し 続けます。
旅行 欲張りな旅ですね。楽しんできてください。
I'm going to visit your home after coming back to Japan !
See you for a short time, lumlum.
yes,,the exam is coming (feb)...><"
wow~~it's so nice for the trip!!
it must be fun!!
but on the other ways,,i can't see you a few days,,
will miss you a lot~.~
then now,, wish you happy chinese new year!!
see you,,lumlum
haha,,yes,,this month is a little bit busy~.~
but i think next month will be better~~^V^
see you>3<
いえいえ、変な話だなんて・・。
貴重な体験を教えていただいて、本当に感謝しているのですよ。
私が「年上の方が好きな理由」は、何といっても豊富な経験です。
勿論、サクセスストーリーには心躍ります。
でも失敗談こそ、心して聞くようにしているのです。
「私の落ちた穴に、あなたは落ちないでね」。そう仰った方もいて、有難かったです。
今回のJunoさんのお話も、勿論貴重です。
幼い頃の記憶は、少なからず人間形成に影響を与える。それを再確認しました。
Junoさんの体験されたことが(後に先生がフォローしたという点で)必ずしも悪いとは思いませんが、
児童の『心理的ダメージ』をいま少し教師が考えてくれていたら・・と思いました。
余談ですが、私は小学生の頃、母が買ってくれたペンケース(筆箱)が大のお気に入りでした。
布製だったのですが、4~5年使い続けたと思います。
小6の頃には布は破れ、見るからに薄汚れて・・・それでも買い換えられないでいました。
するとある先生が、「お~、すごいな!筆箱もきっと喜んでいるよ!」と笑顔で言ってくれたのです。
嬉しかったですね~。
以来現在に至るまで、「物を大切にする習慣」が確立されましたね。
このように幼い頃の体験は、人間形成の面でとても影響力があるのです。
最後に、イチロー選手が言ってました。
「出る杭は打たれる。でも、出すぎた杭はあがめられる」と。
なるほど・・。
私の代わりに怒って下さってありがとうございます。
変な話をしてしまって済みません。
私が子供の頃は「いじめ」なんて言葉も存在していなくて,
教師は,学級で疑似裁判をやり,裁判の仕組みを子供に教えるくらいのつもりだったのでしょう。
私には「みんな色々言いたいだけだから気にしなくて良い」なんて言っていました。
おかげで私は大人になるまで自分は皆に嫌われる存在なのだと信じ込んでいましたが。
地域性は,自分の体験から考えても,すごく!あると思います。
私の郷里は九州で,東京のような競争はありませんが,
九州の中でも特に「出るモノは打たれる」場所です。
私は変わった子で,18歳で故郷を出るまでずっと人から胡散臭い目で見られ続けていました。
本州へ出てきて,みんなすんなり私を受け流してくれて,何て住みやすいのかと思いました。
別に私は人間嫌いでもなければ,人から嫌われるだけの存在でも無いし,
友達だってできるのだと知りました。
私は故郷の土地を愛していますが,住めないなと今でも思っています。
Yes, yes, money is quite important !
But I do not want to be swayed by that.
Fufufufu・・it must be ideal.
Thanks for your comment~~^^
i will take it easy,,>V<
i want to have a trip but no money...=3=
see you!>V<
今回の旅(1月29日~)は、『アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所』です。
『ヴィアドロローサ』は熱望していますが、親族・友人等誰も乗ってきません。
誰か一人でも説得できないかと、作戦(?)を練っている最中です。
「イスラエルのツアー」がメジャーな旅行会社にお目見えしたのはここ数年前で、
まだまだ催行決定率も低いです。(不人気)
治安の面でも、日本人の安全基準からいえばギリギリのところで
「クリスチャンか、もの好きしか行かない」と暗に揶揄されています・・。
「学級裁判」って・・何と腹立たしい!教師も教師です。
思うのですが、私の嫌悪する「いじめ」は“流行”のようなものがあります。
東京のような、競争社会が主軸になっているところでは恒久的かもしれませんが、
我が郷里はかなり“波”がありました。
確かにその頃TVドラマ等では「いじめ」を取りあげていましたが、
体験していない私たちは一様に「東京に住んでいなくてよかったね~」とお気楽なもので。
それが私が高校生になった頃、ついにやって来たのです!その波が。
気弱で優しい性格の弟が、餌食の一人になりましたねぇ。
でも2年もすると、嘘のようにまた元の平和な街に。
姪(11)が今、我が母校(小学校)に通っていますが、「いじめ」は皆無だそうです。
私は姪を小学3年の頃から海外に連れ出し、
『世の中には普通の概念は(基本的には)ない』ということを教えて来ました。
勿論、『モラル(道徳)』は別です。人間として最低限のマナーですから。
ただ「行動規範」については、環境(国)や両親等に大きく左右されます。
ですから、「普通は・・と称して、相手の自由な発想の芽を摘んではいけないよ」と言い続けました。
もう一点常に心掛けたのが、『自主性の芽生』えです。
「あなたは何がしたいの?あなたはどう思うの?」常に問いかけました。
先日姪が、「わたしね、『〇〇市(郷里)で一番外国に行った児童』で有名なんだよ」と、
嬉しそうに教えてくれました。
「普通と違う行為」を、ごく普通に受け入れてくれた郷里(人々)に感謝すると共に、
その住みやすさに安堵しました。
このように「差別感情」は、地域によって大きく違います。
『みんな違って当然』・・それを教えるのも、教師の大切な仕事の一つなのですが。
パッションの前にも 映画化されていますね
それ 見たことある。
私はかなり辛い目に遭いました。
「みんなと一緒に外で遊ばない」という理由で小学校の頃「学級裁判」にかけられたり
中学や高校でも学校中の有名な変人扱いされたり,ね。
今ではそんなこと何とも思いませんが,当時は未熟だったので辛かったです。
「こんなに誰とも話が合わなくてみんなに変人扱いされるなんて,
私は本当は地球の人間ではないのではないか?」と真剣に悩んだくらい(笑)。
そう,私も常に明日があるかどうか分からないと思って生きています。
子供の頃からそうでした。
座右の銘は「Learn as if you will live forever, Live as if you will die tomorrow.」
どうぞ悔いのないご旅行を。
確かに仰るとおりです。
本多氏一個人があの時代、自由に中国国内を取材・インタビューできたのか、
その点はかなり疑問です。
ただ、『中国の旅』が出版された。その点は意義のあることだと思います。
大学時代教授に、「この30冊を夏休みに是非読んでおくように」と言われた中に
この本が含まれていたのです。
本のジャンルは多岐に渡り、『蟹工船』(小林多喜二)や足利鉱山事件を基に書かれた
『辛酸』城山三郎)も含まれていました。
世は正にバブル景気に突入の頃。
教授の提示した本は、「辛気臭い」と学生たちにかなり不評でした。
はなから「オレは読まない!」と言う学生も沢山いました。
でも私は単純ですから、「読めと言われたんだから、読まなくちゃ」と全部読みました。
自分から敢えて手に取らないだろう本ばかりです。
興味の点でかなり苦戦しましたが、後に社会人になって、本当に役立ちました。
『中国の旅』への批判は知っています。
今もマスコミは「南京大虐殺」に関しては、かなり慎重にコメントしています。
何せ、はなから「全てでっち上げ」と信じて疑わない人が膨大にいるのですから。
加えて少しでも“認めるコメント”をTV等で言ったが最後、猛烈な抗議の電話・手紙が寄せられます。
「100人切り」・・こんな項目もありました。
これに関わった人物は処刑されましたが、遺族は依然「事実無根」と抗議し続けています。
少し前、『The Rape Of Nankin』(Iris Chang)を取り寄せ目を通しました。
これはアメリカ等では広く読まれているようですが、
日本は「事実無根の項目が90箇所以上もある」と日本語版での出版を見送っています。
・・・だからこそ、この目で「その地」を見たかったのです。
情報は多いに越したことはありません。
勿論それを鵜呑みにするのではなく、(自ら)検証・判断してこそだとも思っています。
小学生の頃から「変わっている」と言われ続けているので、
今さらその台詞を言われてもピンと来なくなってしまいました。
そもそも「変わっている」って何?といつも思っていましたね。
人間は千差万別。環境・親の教え・当人の趣味嗜好等々・・。
みんな違って当然なんです。
それを「普通は・・・」の概念に入れ込もうとする圧力に、昔から抵抗感がありました。
「枠の中に入れないで!小さな世界に閉じ込めないで!」
母曰く、幼い頃からよく私が口にしていた言葉だそうです。
幸い我が郷里は「いじめ」が皆無で、こんな私でも級友たちは
「この子(私)はこういう子だから」といった大らかな扱いでした。
もう一点「刹那的」とは少し違うのですが、明日の我が身の保証だって不確かなのです。
不慮の事故で命を落とすこともあるかもしれません、不治の病を宣告される事だって。
だから決めたのです。
「(人さまに迷惑を掛けないを大前提に)興味を抱いたら全てやってみよう!」と。
勿論10代は経済面で、20代~仕事のしがらみで自由気ままに行動することは出来ませんでした。
それでも、その気概はいつも持っていました。
Thank you so much for your comment.
You have been quite busy lately, haven't you ?
Please take it easy, lumlum.
Trip is one of great ways for a change !
海外旅行から戻ってくるたびに、「日本は平和だなぁ」とつくづく思います。
勿論政治・経済等、諸問題を挙げたらキリがありませんが。
生きるに精一杯の国の民などは、明らかに「目」が違います。私たち日本人とは。
顔は笑っていても、瞳の奥に悲しみ・空しさが漂っています。
「生きていたって何もいい事はない。何も変わりはしない・・」と言っています。
マイナス思考に満ち溢れたの世界に長く身を置くと、希望・活力の芽さえも根付かない・・・。
日本は刻々と貧弱国へと向かいつつありますが、それでもどこか牧歌的。
「ケ・セラ・セラ」なのか、無関心なのか・・。
すみません、「平和な国」に反応して、話が逸れてしまいました。
うさたさんも「ロンドン塔」で、独特の雰囲気を感じられたのですか?
多いですね、そう仰る方。
でも私、全く全然、なんです。「感知」能力(第六感)は高いのですが、霊的なものは・・。
でもそのお蔭で、処刑場所跡地、斬首刑に使われた斧
そして(幽霊目撃談多数の)教会もじっくり鑑賞できました。
あっ!そういえばありました。一度エジプトで「乗り移られた?」経験がありました。
急にもの凄い吐き気と眠気に襲われ、3時間(only!)死んでいました。
でも、とあるミイラを鑑賞すると、スッと体が軽くなり全ての不快な症状が消え去りました。
今も不思議でならない出来事です。
としさんのコメントにもあり、映画『es』を認識しました。
確かにnagataさんの仰るように、最低、最悪の実験です。
ただ、学者等は当初、人間の理性がこんなに簡単に崩れ、
歯止めが効かなくなるとは思っていなかったようです。
またそれは特定の人間にだけ表れる現象ではなく、普遍性があるということも。
(としさんのコメントにも書かせていただきましたが)
権力を持たされた人間は、初期スピードこそ緩やかですが、
ある時を境に一気に「狂人」と化します。
その姿はまるで自分が「神」にでもなったかのように。
nagataさんは「いじめ問題」を、しばしば取り上げていらっしゃいます。
いじめに至る人間の心理も、私はこの実験があぶり出している気がします。
私も「いじめ」を嫌悪する人間の一人です。
この実験は、内なる狂気の存在を知るという点では、
今後の「いじめ対策」に生かせるのではと考えます。
全く意図していなかったのですが・・・言われてみればそうですね。
何という“(我が)興味の関連性”でしょう。
単なる偶然です!でも、偶然ではなくて必然だったりして・・。
「ゴルゴ13」は凄腕のスナイパーという知識しかなく、
そうそう、最近TVのCMでグ~って眠りかける(ガムでしたか?)
あれは印象に残っています。
ゴルゴ13の名前の由来がゴルゴダ(の丘)だったのですか。
それにしても13だなんて、なかなかニクイ(エグイ?)付け方ですねェ。
「スタンフォード監獄実験」を基に、映画化されていたのですね。
『es』ですか?聞いたことがある気もしますが見ていません。
私は“記録フィルム”(ミルグラム実験)を見たのですが、印象的だったのは
「教師」役が、初めは恐る恐る電気ショックのボタンを押していたのが、
450ボルトあたりでは「取りつかれたような恍惚の表情」でスイッチを押していた点です。
「相手の運命を自分が握っている」という、至福に満ち溢れた不気味な笑顔が今も忘れられません。
短く書いてしまうと語弊が生じるでしょうし。
ただ本田氏の著書の検証性の乏しさについては指摘しておいた方がいいかなとは思います。
ウィキの記事が全て正しいわけではありませんが参照までに。
あと、「中国の旅」が文化大革命の時期に取材して書かれていることにも注意を払う必要があります。
文化大革命の悲惨さや当時これに批判的であった日本の新聞社が現地取材できなくなったことはご存知だと思います。
そのような状況で中国国内を安全を保障されて旅ができ、かつ中国政府が選抜していただろうにしても直接中国人と取材が許された日本人というと体制寄りであったことは確実ですし、元々は朝日新聞の連載記事ですから途中で取材中断とならないよう配慮があったのも当然。
そのことを割り引いて読む必要があります。
やはり多くの人が好む趣向とそうではない趣向があるようで,
「変わっているわねぇ」と言われたりしますね。
私も最悪的に政情不安定だった頃のペルーへ日食を見に行くと言ったら
皆に呆れられ止めるように説得され,
一緒に行く筈だった友人は家族の反対で諦めました。
でも行って良かったです。
Olivierさん,体調を万全に整えて納得できる旅行にしてきてくださいね。
お返事とか無理して書かなくていいですよ。
私が書きたいこと,Olivierさんに話したいことを書いているだけですから。
お大事にね。
haha,,Jan is really busy,,but is also ok^^
coz will earn money,,but a little bit tired
never mind,,tmr can take a break,,so good!!>V<
are you always travel??sound so nice~~^^
友人に「アウシュビッツに行って来るね!」と伝えると、
一様に「何を好き好んでそんな所に・・」と不思議がられます。
母に至っては「あなたは昔から変わっていたものねぇ」です。
『百聞は一見にしかず』、今回の訪問は正にそれなんですけどね。私にとって。
アウシュビッツ等の“記録フィルム”は、過去に数多く見てきました。
その度に思ったのは、人の心の弱さ・危うさです。
一度「方向付け」が浸透すると、いかにたやすく群集(心理)が一方向に動いていくのか。
そしてそれは、過去で完結している問題(課題)ではないということも。
1月16日の日経新聞(朝刊)にこんな記事が掲載されていました。
『・・・アウシュビッツ強制収容所敷地の博物館は、
2010年の訪問者数が前年より8万人増えて138万人となり、
過去最多を記録したと発表した。
昨年は同収容所がソ連軍(当時)によりナチスから開放されて65年で、関心が高まったようだ。
悲劇を語り継ごうと社会学習に取り入れている地元ポーランドや、
ドイツなどの学校の生徒が目だった』。
日本人にもこの気概が必要なのでは・・・そう思わせる記事でした。
ナチスドイツの暴走の過程と終焉は、数々の実録フィルムが物語っています。
数年前、英国BBC製作の『アウシュビッツ』(実録フィルムを主体に構成)を見ました。
そこでは、あの恐るべき弾圧行為は、ナチ党ひいてはアドルフ・ヒトラーの権威の維持、
そして民衆の心を一つにまとめ上げるための手段として描かれていました。
何かひとつを強引に悪者に仕立て上げることで、人心がまとまり易くなる。
これは人心掌握の常套手段で、現在も中国・北朝鮮等がこの政策をとっています。
「戦時下」の人間の心理は、恐らく想像の域を遥かに逸脱したものだと思います。
つい先日、ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンの実録フィルム番組を見ましたが、
総統に上り詰めるまでのヒトラーは、かなり人間的な優しさ・弱さを持った人物のようでした。
とり立てて魅力的な容姿ではないヒトラーでしたが、女性(有権者)からは
“カリスマ性のあるスター”的存在だったようです。
その映像はまるで、ビートルズが来日した際の、ご婦人方の異常な熱狂振りに極めて似ていました。
そんな中で、着々と進められていった反ユダヤ主義とゲルマン民族至上主義。
一度車輪が回り始めると、いつしか手のつけられない大暴走に至ったとしか私には・・。
話は変わりますが、去年、南京(中国)を旅しました。
この地も、以前から是非訪問したかった所だったのです。
「南京大虐殺」、ご存知だと思いますが、
日中戦争の際日本軍が放火・略奪・強姦等あらゆる残虐行為を行った地なのです。
大学時代『中国の旅』(本多勝一)を読み、冗談ではなく背筋が凍りました。
そして「いつかこの目で・・」と切望していたのです。
「日本人が一人で歩き回るのはリスクが高すぎる」の助言でツアーにしました。
しかし、肝心の『侵華日軍 南京大虐殺 遭遇難同胞記念館』は、
反日感情が特に強い時だっただけに、入場が叶いませんでした。
(南京大虐殺に関しては今も日本国内で、“幻論・でっち上げ論”が根強く残っています。)
(つづく)
そういえば以前も仰っていましたね、幼い頃から広島の原爆関係の話題には体が拒絶すると。
私は幸か不幸かその感覚が、いかなる場所でもありません。
その場にたたずみ精神を集中させると、心に響いてくる声や映像はあります。
かなりリアルな時もありますが、それを怖いと思ったことは・・ないですね。
(もっとも霊感の強い、感受性の強い友人は・・・Upsetして大変ですが。)
サモワール教授は歴史にお強いですから詳しいと推察しますが、
人類の歴史を紐解くと、何と多くの殺戮が繰り返されてきたことでしょう。
同じ人間が、ささいな理由付けで狂人と化し、平穏な日々を握りつぶしにかかる。
私は人間が大好きですが、同時にとても怖い生き物だとも思っています。
自分が生きている中で、怖さの核心を突き止められそうにもありませんが、
あえて『狂気を直視』する目的は、(人間に対する)探究心でもあるのです。
被害者には申し訳ない言い方をしてしまいますが、
起こってしまった事象は過去で完了しているとみなします。(時には例外もありますが)
よってそれらは、今後の改善課題を探る貴重な事象として、吟味対象に位置付けが変わるのです。
人間は未来を描く能力を持っていますが、学びは過去からしか(?)出来ませんから。
それが発現しない、平和な世の中、平和な国に生まれたことに感謝です。
ロンドン塔には行ったことがありますが、独特の雰囲気がありましたね。
なんだか、多くの人の怨念が渦巻いているようで、怖かったです。
霊感なるものは信じていませんが、ロンドン塔にはなにかありそうな気がしました。
最低 最悪の実験
映画では 殺人事件にまで 発展してた
『ヴィアドロローサ』って言うんですね。
聞いたことあると思いますが忘れてました。
ゴルゴダの丘へは行ってみたいですねぇ~^^
人類全ての罪を背負ってのキリストの処刑、
2日後?3日後の復活と・・・神秘的ですよね
。
っていうか、ゴルゴ13の故郷?ですからそっちに興味があったり・・・^^
そこからの「アウシュビッツ」っネタって。。。
キリストを処刑したユダヤ人、ユダヤ人ホロコースト
なかなか、渋い話の流れですねっっ!素晴らしいっっ(^_^)/
私は、アウシュビッツよりヴィアドロローサへ行ってみたいですねっっ
スタンフォード監獄実験は有名ですね。
映画「es」で有名になりましたから。。。見てはないですがね(^_^;)
今回のブログテーマは「人間の狂気」ですかね。まとめがお見事!!
大学就活のお手伝いって講師かなんかやってるんですか??
私達は「ナチスドイツは特殊な例である」と思ってはいけないのでしょうね。
彼らに潜む狂気は自分たちにもあるものなんだということから始めていかないと同じ悲劇がいつまでも繰り返されることになるでしょうから。
ナチスは周知のとおりとんでもない戦争犯罪を犯しましたが、そこに到るまでの経緯というのも忘れてはいけないでしょう。
第一次世界大戦後、戦勝国は戦争の責任を敗戦国に押し付けて多額の賠償を取ることに終始。
そのためにドイツの経済は壊滅的な損害を蒙ることに。
(当時の生活に困窮したドイツ人にユダヤ人はどう映っていたのでしょうね。)
ナチスはそれまでの政権とは違い、戦勝国との講和条件を破棄し再軍備し国威発揚することで経済の回復を目指した。
これまで紙くず同然だったお金が使い物になるというだけでも当時のドイツ人は光を見たのではないでしょうか。
その後の悲劇を予想するべくもなく。
ヒトラーは狂気の人というイメージが強いですが、若い時分には違った顔があったとか。
何が彼にあのような行動を取らせたのか、という見方をしてみないと見えてこないものもありそうです。
ドイツが再軍備に走った要因も元をたどれば戦勝国の度を過ぎた要求にあったと思われますし、ドイツが他国への侵攻を始めたときにかつての戦勝国がそれを見逃したのは、戦勝国に今の日本と同じ戦争に対する嫌悪感があったから。
始めの段階で強力に干渉しておけば第二次世界大戦は起きなかったかもしれませんし、起きてもアウシュビッツはなかったかもしれません。
その教訓は日本にとっても決して他人事ではないはずです。
Olivierさんがこのような想いを抱いてお出かけになること,
よく覚えておきましょう。
実験は興味深いです。
私たちはその時代のその場所の人ではない。
私たちの意見も感想も全てがパラダイムの外から見たものであることを,
数値が証明していると思いました。
広島の原爆資料館には入った事は無いのですが、
昔よく全国巡回していた『戦争展』で、広島の展示物がありました。
被爆者の蝋人形再現だけでも、子どもには刺激が強すぎて怖かったのに、
三位一体の男性用衣服(亡くなった被爆者が身に着けていた衣服3人分)
の展示には、声を失った覚えがあります。
アウシュビッツは、とてもではありませんが行く勇気が出ません。
これでも昔に比べれば、負の遺産をだいぶ直視できるようにはなったのですが。
昔は戦争物の映画を見る事すらも拒否していましたので。
その昔、収容所の当時の映像を見て、うなされそうになった覚えがあります。
亡くなったユダヤ人の膨大な数の全裸遺体を、ブルドーザーが動かして行く映像。
例えばデビューしたての女優やタレントさんの多くは、どこか素朴な雰囲気が漂っています。
それを田舎臭い、庶民的と例える人もいますが。
それが一年も経たないうちに、驚くほど“洗練された美女”に変身していることもしばしば。
これは所属事務所の指導の賜物・・・でもありますが、
本人が「常に人から見られている」という高い意識を持ち続けるからこそなのです。
『意識』は人の心のみならず、外見さえも大きく変化させる力がある。これは、顕著な「好例」。
では今度はある人に、“大抜擢”と称して実力以上の役職を与えたとします。
こちらも往々にして時間と共に、役職に相応する成長結果がでています。
このように、「人間性の向上」にのみ“意識”が向いてくれたら、
紛争やいがみ合いのない世界が実現するのでしょうね。
しかし現実には、今も国を違えば争いごとが絶えません。
多くの人命がこの一瞬にも奪われています。
「心理実験」は、『知り、学ぶ』に意義があります。
知識として頭の片隅にあれば、たとえ自分が(突然)理不尽な立場に置かれようとも、
無茶な行動の「制止要素」になり得ると考えます。
『臭いものに蓋をする』では、核心は見えてきません。
蓋を開け、あえてこね回すことで、一筋の光明が見えてくることもあると私は思います。
お兄さまは、若くして『アウシュビッツ・・』に行かれたのですね。
きっと何かしら“新たな芽”が、心に根付いたのではと想像します。
話を聞くと独特すぎるほどの雰囲気が漂っているそうで。。
あたしは海外へは出たことはありませんが沖縄のひめゆりの塔へ行ったときの
あの何ともいえない、気がずっしり重くて、胸が締め付けられる感じはほんと独特だと思ってます。
拷問や刑を執行する様子はたとえ演技でもあたしも見るに耐えられません><;
でもOliverさんの言う「是非訪れるべき場所」(知るべきこと)っていうのは共感します。
もちろん知らなくても生きていけますが、知ることで得ること・変わることはほんと大量にありますよね。
あと実験の話はすごくすごく興味があります!!
心理的な実験はほんと色んなのがありますよね。
こんなの利用したら人間も軽くコントロールされてしまいそうで怖いです。。
もしかして自分は知らず野うちに、実験されてる身だったりして…なんてことはないと信じたいですw
以前友人と英国へ行った際、機内で突然
「体が締め付けられるようで気持ちが悪い・・」と言い出し、慌てたのを覚えています。
それが10分もすると彼女、「あっ、直った!」と何事もなかったかのように。
彼女曰く「私、霊感が強いの。多分さっき『アウシュビッツ』の上空だったんじゃないかな?
無数の手が体をつかんでくる感覚で、気持ち悪かったのよ~」と言っていました。
私は幸運にも、この世に存在しないものが「見えたり・聞こえたり」することはほとんどありません。
彼女ロンドンに着いても大変でしたよ。
「ロンドン塔」に連れて行けば、ある部屋で吐きそうになり・・。
確かにそこはその昔、暗殺のあった場で、
彼女は知らなかったようですが体は感知したのでしょうね。不穏な何かを。
ホテルの部屋でも、どうやら“何か”連れて来てしまったようで、
「アン・ブーリン(ヘンリー8世の二番目の王妃・斬首刑)が恨めしそうにつぶやいてる・・」。
霊感が強い人は大変だな~と、つくづく思ったものです。
『アウシュビッツ・・』にしろ『ヴィアドロローサ』にしろ、興味を抱いてくれる友人が
なかなか見つからず、加えて近年このスポットを訪れるツアーも激減していました。
これらを訪れた知人からAir Mailが届く度に、「いつか私もこの目で・・」と思いを募らせていたのです。
確かに『負の世界遺産』です。
でも、正視すべき場所でもあると思うのです。
理不尽に命を絶たれた150万人(当初400万人、それ以上とも)もの人々の、無念の地。
でもこれは、最大級の悲劇だからこそ言い伝えられていますが、
それに類する出来事は、実は我々の周りで今も行われているのです。・・・『いじめ』
その心理も、「人間の狂気」の一端に位置付けられると(私は)思います。
どんな状況下にあっても、『良心』を持ち続けたいものです。
「揺らぎない信念」を、正視することで。
私は広島・長崎もそうですが、大きな悲劇があった場所というのは苦手です。
住んでいる方には誠に申し訳ないのですが・・・
長崎に修学旅行に行ったときは何か得体の知れない臭いを感じたり資料館では展示物見る前に吐き気がしたり教会付近ではとんでもなくだるくなったりと散々でした。
とにかく早く退散したい、ただそれだけで。
広島市内はまだ行ったことありませんが、新幹線が高速で通りがかるだけでも圧迫感があります。
多分(飛行機問題をクリアして)アウシュビッツにたどりつけても中に入れない気がします。
Olivierさんが「狂気」を直視できるのはある種の勇気というか強さなのでしょうね。
ヴィアドロローサ・・・舌かみそうな名前ですね。
私の記憶違いでなければ、曽野綾子さんが昔障害者とボランティア全員実費で聖地巡礼ツアーみたいなのを何回かされていたと思います。
その中に多分ここも入っていたと思います。
ボランティアというと助けてあげているのだから交通費は出してもらって当たり前、介助してもらう方も旅費は出しているのだから・・・なんていうのもあるらしいですが、このツアーは、障害者は他人がボランティアできる充足感を与える立場で、ボランティアは貴重な体験をさせてもらう立場。
当時、それを新鮮な感覚で読んだ記憶があります。
曽野さんもご高齢なのでもう彼女自身が参加する企画はないでしょうけど、誰かが受け継いでくれていたら参加できるかもしれませんね。