Nicotto Town


Olivier


先輩方の命日。

幼いころ誰かが言っていました。
それが誰なのかも忘れてしまいましたが、
その言葉はよく覚えています。

   『目の前の出来事に偶然はない。
     すべての物事に必然性があり、
       それをどう解釈し、胸に刻み、生かすのか』なのだと。

この言葉は今も、私の中で指針になっています。
だからどんなことでも、バカがつくくらい真っ正直に対峙してきました。
友人には「不器用ね~」と揶揄されたりもしましたが、
立ちはだかる壁の向こうにきっと『何か』が待っている
壁は現れるべくして現れたのだと、馬鹿正直に信じていました。

ヒトのみならず、手に取る『本』一つとっても同じです。
目的意識があって探し出されたものではない、そんな本は、
「今読むべき本」なのだろうと心をpureにして向き合いました。

前置きはこれくらいにして・・・。

毎年9月下旬になると、決まって「死」が私を束縛します。
死への願望などあるはずもないのですが。
それはきっと、高校時代のある事件に由来するのでしょう。

高校時代私は、県下一と言われる進学校に通っていました。
中学時代の成績はまずまずで、私の街からただ一人の合格者。

当時は、勉強は楽しい趣味のようなもの、周りの期待すら心地よく、
自らの前途に暗雲などあろうはずがない・・・などと楽観していました。
しかし、さすが県下一の進学校です。
私のような『井の中の蛙』は、瞬く間に、
「能力の限界」を見せつけられましたっけ。
あとで知ったのですが、内申オール5の満点&当日の試験満点が、
合格者350人中、実に70人もいたのです。
失点1とパーフェクト、このたった1の違い、
でも実はこれには雲泥の差があるのです。

多感な時期ですから「劣等感」は半端じゃなく自分を追い詰めていきました。
地元では「あの子は凄い」などと言われ、そのたびに胸をえぐられ。
「まともな大学に入れなければ、恥ずかしくて死ぬしかない」などと、
本気で悩んだものです。

そんな高2の秋のことです。
ある早朝、母が、「あなたの高校の3年の男子が自殺したわよ!」と、
新聞を見せに来たのです。
そこには「電気コードを体に巻き付け、タイマー仕掛けで深夜
(心臓に)通電して亡くなった」と書かれていました。
学校関係者の話も添えられていて、
「つい先日3者面談が済み、このまま順調に東京大学進学に向け
頑張ろうと話していたばかりだったのに・・・」とありました。

打ちのめされました。
言葉は悪いですが「自分の願望を・・・先を越された」、
そんな気持ちで一杯でした。

その日は体育大会でした。
その朝の、朝礼の光景は今も忘れられません。
私の高校はもともと「整列」の習慣がなく、
各々好きなところに群れて、指令台に立つ先生の言葉を聞くでした。
その朝はさすがに事件を受け、校長先生が立たれました。

なのに、校庭の(ある一角の生徒を除き)ほぼ全員が、
私語に興じていたのです。満面の笑顔で。
ある者は自分の出場する競技について、ある者は昨晩見たテレビについて、
声を上げて笑い合っていたのです。

私が、「先輩亡くなったの知ってる?」と言うと、
「ああ、朝刊についてたね。あれカシコイ死に方だよね。
首つりとかだったらありきたりだけど、『タイマー仕掛けの通電死』って」
「ほんと、ほんと。でももったいないよね、東大確実だったんでしょ?」
「それよりさ、明日は休みでしょ?何する~?」

愕然としました。
ヒト一人が死んで、この対応はあんまりではないかと。
もちろん、皆が皆悲しむ・・そんな妄想はありえないにしても、
少なくとも同じ高校の同じ悩みを抱いているだろう生徒なら
もっともっと悲しんでもいいのではないか?
まるで「自分が死んだ後の様子」を重ね合わせるかのように、
かすかな期待(自己存在・有用性)を完全に打ち砕かれたようで
ショックでした。

しかしその先輩の死が、今思うと、私の再起に繋がったのでした。
「悲劇のヒロイン」気取りではありませんが、
自分の死が友人知人の脳裏にいつまでも鮮やかに刻まれる。
そんな「妄想」は、金輪際捨て去りました。

『死』は消滅。
一部の親しい人間を除き、この世からも、人の記憶からも消え去る。
それが悔しいのなら『生きろ!』、そう思うようになったのです。

年月が流れ、
それでも毎年この時期になると先輩の死を思い出します。
「先輩はなぜ死んだのですか?
成績もよく、友人にも恵まれていたのに」。
答えの返ってこない疑問が沸き起こり、消えていきます。

そしてこの夏、ふと思い立ち、
その先輩について記事が残っていないかと検索を始めたのでした。
そして、神田理沙さんを知ったのです。
同じ高校の、ずっと先輩になる神田理沙さん。
彼女もまた、奇しくも先輩と同じ9月30日、
自らの命に幕を閉じたのでした。

『17歳の遺書』(サンリオ文庫)、彼女の日記。
新聞記者が取材中その存在を偶然発見し、出版したもの。

青春とは、‘心の揺れ動く時代’なのだ。
あるときは、自分が「この世で一番えらいものだと思い込むかと思うと、
あるときは、自分がこの世で最低の人間だと思うほど、
自信喪失者になったりする。
いつも心が柱時計の振り子のように、揺れ動いているものなのだ。
これは、いつの時代でも、また、誰にでも同じようにある青春特有の
心象風景なのだ。
だから、世の中が自分の思い通りにいかないからといって、
人生に絶望的になることはない。
ましてや、自らの手で、自らの命を断つことなど、
絶対にあってはならない。
若さとは、苦しみながら自分の可能性を追求し、
探求していくことのはず。
一時の苦しみに負けてくれるな。
たくましく生き続けてほしいーーー。

この日記を読むことで
‘ああ、苦しんでいるのは自分だけではないのだ・・・’と、
一人でも多くの若者が奮い立ってもらえたら・・・と、心から願って。

こう記しています。

先輩の死から偶然手にした(同じく先輩)神田理沙さんの日記、
『17歳の遺書』。
www.risa-1972.net/kanda_risa.htm
それについては、後日改めて書かせていただきます。

9月30日、
先輩方の命日。
合掌

  

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2020/03/28 06:35
私は病気で具合が悪いときに、死にたいと思うようになっている今日この頃です。
若いときにそんな思い出いたのですね。
将来の事を悲観したりしています。
今になって死にたいと思っています。
でも、両親のため生きています。
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2015/09/20 00:50
そらさま、コメントありがとうございます☆

そらさんのコメントのお陰で久しぶりに自らのブログを読み直し、
改めて、この悩みが昇華に近い形で消え去っていることに気づき、安堵しました☆彡

書くという作業は、自らの悩みをあぶりだすだけでなく、
整理され自然に解決にも繋がってゆくのだということを実感しました。

ただ、今もしばしば「死」については考えます。
死にたい云々という事ではないのですが、
「死を考えることで、より良く今を生きる」その観点からです。

アンジャラ・アキさんの『手紙』という楽曲をご存知ですか?
誰もが今に悩み傷つき、明日が見えなくなりそうになっています。
もしも未来の自分に問いかけることができたらなら、何が知りたいのか?
きっとそれは「今、あなたは(自分は)幸せですか?」ということ。

悩みを抱え込むとどんどん深みに入り込み、
そらさんの仰るように自らを追い詰める形になります。
身動きが取れなくなったら・・そうなる前に、
どこかで誰かに思いの限りを吐き出し、心を軽くする。

「死」が唯一無二の手段でないことを、
正気の心が感じ取ってくれることを、心から願うばかりです。
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2015/09/19 17:56
自分をストイックに追い詰めてしまうと、若い頃にはそういう気持ちを強く持ってしまうかも
しれませんが・・
私は、ある時 そういうプレッシャーやらくだらないもの全ての為に自分が死ぬなんてバカバカしい!
と開き直りましたw

しかし私も東京在住時代、9月に友人を亡くしております。
その子を助けてあげる事ができませんでした・・。ご実家までお参りに行きました・・。
私は自殺も・・ある意味心の病ゆえの寿命なのではないかと思っています。
今はその子の魂が安らかであるよう祈るばかりです。
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2014/08/11 13:21
ご配慮ありがとうございます。
それでは今度からこちらのコメント欄を使わせて頂きますね。

私はお盆とか関係ない生活なので、まぁ普通に過ごしています。
基本的にインドア好みで人付き合いもなく、
本やパソコンに向かって
何か頭にインプットしたりアウトプットしたりしていれば幸せなのです。
秋になったら月に一度一人で行く高尾山登山を再開するつもりで、
それはそれで楽しみにしているのですが。

ではでは、素敵な夏を。
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2013/10/11 01:53
うさたさま、コメントありがとうございます。

うさたさんのブログに高校時代の内容がしばしばあり、
その度に「私の高校と環境が似ているな」と興味深く読ませていただいていました。

うさたさんの育った関西(大阪)の環境が、
(イジメを除く)生徒の自死率を低下させているように思います。
十分大人になってから関西に移り住みましたが、まず感じたのは「生きやすさ」でした。

大阪は、良くも悪くも学習到達レベルが低いです。(註:ビリ2)
このような大都市、つまり全国的には収入も低くないはずなのに、子どもの成績は良くない。
不思議な話ですが、関西に住むとまんざら不思議でもなくなりました。
勉強と同等にスポーツがあり、オモシロイ(人間性)等が(人の判断基準に)あったからです。

うさたさんにとっては当然かもしれませんが、他県出身の私にしてみれば驚異でした。
私の地元は勉強第一でした。つまり成績が全て。
たとえスポーツに秀でていても、絵画や書の才があっても、決して「凄い」にはなりませんでした。
「いくら野球が上手くても、成績があれではね~」。よく耳にしたセリフです。

そのような環境では一度「落ちこぼれる」と悲惨です。存在価値がなくなってしまうからです。
中~高校と、そんな生徒をたくさん見てきました。
屈託なく笑っていた彼ら彼女らが、いつしか不良の真似事をし始める。
これも自己防衛本能の一種なのでしょうが、悲しいことです。

そんな両極端な世界しかなかった私の郷里。
それ故関西に来て、「(不良になった彼らが)もしも関西で生まれ育っていたら、違う道もあったのに」と
複雑な気持ちになったものです。

場所を違えばまだまだ封建的で学業至上主義、そんな県もあります。
私の郷里は、とても優秀な生徒の自死が多い県で有名(?)でした。
ヒトの価値の多様性、そんな精神が根付けば、もっと(関西のように)生きやすい場所になるのですが。
天職に巡り合う以前に命を落とす、それは余りにももったいない・・・。

うさたさん同様私も、自分のすべきことに専念し満足出来たら、
いつ死んでもいいかな、などと思っています。
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2013/10/11 01:09
ozさま、コメントありがとうございます。

お忙しい中コメントを寄せてくださり恐縮至極です。
どうもありがとうございます。

書く行為は、本人が考えている以上にその‘人となり’が分かるものです。
ozさんのブログを拝見させていただくと、
ozさんは本当に良識ある可愛らしい方だと思いました。
当然過去には苦難もあったでしょうが、様々な助けなりで大きな痛手を受けることなく
切り抜けてこられた・・・そんな気がしました。

生まれてきたことにも意味があり、必然性がある。その通りだと思います。
ほんの幼いころには、誰もが明日を信じ、期待に満ち溢れていました。
それが年月とともに、様々な外的要素&心(精神)の浮き沈みで明日が信じられなくなる。

そこまでなら、誰もが辿る道でしょう。
でもそこから本当に死を選択してしまう、はたまた生還するかは、
「環境」が大きく関係するのではと思います。
追い詰められ精神を病む人間は、往々にして「独立独歩」型が多いです。
口に出せば大したことのない悩み事でも、悶々と思考を深めると「最悪」な結果を招きかねません。
思考を深めて楽観的になるなど、先ずないですからね。

『17歳の遺書』の神田理沙さんも、かつての私自身も、
悩み事を両親はもとより友人に相談したことは皆無でした。
幼いころから相談されることはあってもしたことがなかったので、
悩みを口にするは行動規範になく、恥に近い感覚だったのです。

今思うと、私の高校にはそんな生徒が溢れていました。
だから、彼ら彼女らの笑顔の裏は全く知りません。
極端な言い方をすれば、他者の裏(悩み)などどうでもいいこと。
他者以前に今自分が何をすべきか、どんな段階にいるのかに注視する、そんな高校時代でした。

当然イジメなどありません。イジメはヒマ人のすることですからね。

表面的には仲が良さそうでも、心がつながっていない学生生活は、ある意味「断崖絶壁」のようでした。
そんな環境下でも自分を律し未来に突き進む、そんな生徒は決して死など選択していません。

自死は「心の弱さ」と一言で言ってしまえば死者に失礼になりまが、
そんな孤独な環境に身を置くと「正常」ではいられなくなる、それも事実です。

自死を正当化するわけではありませんが・・・。
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2013/10/10 22:49
私も町内の天才が府下で一番の進学校に進んで、
凡人だったことを子供ながら実感しました。
ずっと成績は低空飛行で、でも進学校だけあって、
それなりの大学に何とか滑り込めましたが。
同級生はみんな脳天気な感じで、自殺するような人はいませんでした。
卒業後、例の123便で亡くなった部活の先輩はいましたが。

本当に死にかかった人が言っていましたが、
臨死体験や死後の世界というものはなく、
パソコンの電源をプチッと切るように人は死ぬ。
死んだら電源の切れたパソコンと同じ。
死にかかってそれを実感したと。

私の残りの人生はさほど長くないので、ときおり
死のことを考えるようになりました。
まだ死にたくはないけど、ある程度仕事をやり遂げて、
もうやることが無くなったら、死んでもいいかなと。
決して自殺したいというわけではありません。
不治の病にかかったり不慮の事故なんかで死んでも、
残念だということではなく、もう満足だという感覚です。
実際その時になったら、違う考えになるかもしれませんが。
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2013/10/10 15:48
久々のブログですね
気になっていたのですが、少し時間ができたので、読ませていただきました

自ら死を選ぶことについて
すべての物事に必然性がある…のならば、自分が生まれてきたことにも意味があるはず。
自分の命は自分だけのものなのでしょうか?
誰か一人でも大切と思う人がいれば、自ら死を選ぶことはできないのではないのかな…
親でも、兄弟でも、子供でも、友人でも、愛する人でも…
そんな存在がいることも気が付かない精神状態になるのでしょうか
そこまで追いこまれたことがないからそう思うのかもしれないけど…。

他人の死の受け止め方について
いろいろな感情はあっても、人の死を知った時は、厳粛にうけとめるのが当たり前だと思います。
Olivierさんが、その時に感じた思い、すごくよくわかります。
「今までそこにいた人がいなくなる」そのことを悲しいと思う感情は当たり前だし、
その人の死を通して生きる意味を考えてほしいって思います。
若い人であるならば、なおさらそう思います。

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2013/10/10 13:27
Junoさん、

Junoさんこそ、お忙しい中コメントを寄せてくださり感謝いたします。
実は今回のお話には後日談があり、その日、「興味深い現象」が生じたのです。
ここで書くのは控えますが、近い将来時間を見つけてJunoさんの所に書かせていただきますね。
「そんなこともあるのか~」と軽く読み流してくださいませ☆

今回、神田理沙さんを軸にしてJunoさんと多くを語ることができ、
私も、とても有意義な時が持てました。
ありがとうございます。
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2013/10/10 12:52
こんにちは。お忙しい中どうもありがとうございます。
面倒くさがりなもので訪問などもご無沙汰ばかりしておりますが
たまにこうして Olivierさんとお話できると
いつも新しい何かが心の中に芽生えるようで,よかったなと思います。

Olivierさんが先輩の死によってうけた衝撃は
はかりしれないものだったのだなと,よくわかりました。
自分の存在を根底から否定するほどの絶望の日々は
苦しいほどに自分と向き合う日々だと思います。
神田理沙さんの言葉に溢れているどこまでも誠実で真剣な想いに共鳴する。

天が認めてくれなければ死ぬこともできない。
そうなのかもしれませんね。
Olivierさんには生き続ける未来が天から与えられた。
そして神田理沙さんの死から40年も経った今,
私は Olivierさんとこうしてお話ができていることを嬉しく思います。
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2013/10/08 11:46
Junoさま、

詳しく書いてくださりありがとうございます。
Junoさんの青春時代の一コマが脳裏をよぎり、
感慨深く読ませていただきました。

感謝いたします。
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2013/10/08 09:02
私の手元にあるのはサンリオ出版のハードカバー。
新装版(1978年4月発行)の第二刷(1979年4月)。
1979年6月22日に購入しています。
当時,学校帰りに町の小さな書店へ寄って
一人本棚を見上げて小一時間を過ごすのが日課で
そんな時間の中で表題に惹かれ中身に惹かれ買った本です。
購入日が誕生日の2日前なので,
おそらく自分の誕生日の記念に買ったのだと思います。
680円は,その頃の私には決して安い金額ではありませんでした。

私は「変わった子」で,小学生の頃から生きていくのが苦痛でした。
いつも消えてなくなりたいと思っていた。
思考の海の底に沈み込んで,
毎日毎日ノートに沢山の文字を綴って過ごしていました。
神田理沙さんの言葉はそんな私の心の友でした。
とても大きな存在でした。
大人になって,最後にこの本を読んだ日から数十年経ってからも
突然頭の中に彼女の詩の一節が浮かび上がったりすることがありました。

改めて本を開いて見てみると,
行間で高校生の私が書き込んだ文字が当時の心を訴えている。
他人にはとても見せられない本です。

死者にとって一番つらいのは,人の記憶から消え去ること。
そうですね。
この本のことを私に思い出させて下さった Olivierさんに感謝です。
心の中で言葉が枯渇していた最近。
彼女の言葉に触れて力をもらおうと思います。


冷たい北の空を流れていく雲が,私も好きです。

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2013/10/08 00:35
Junoさま、コメントありがとうございます。

お久しぶりです!Junoさん。
この本をご存知でしたか?!
それも17~18歳のリアルタイムに読まれたとは驚きました。
きっと多感な時期でしょうから、私が今読む以上に多くの思いを抱いたことでしょうね。

私はほんの偶然から『17歳の遺書』の存在を知り、
今は絶版ということでコレクター商品(古本)を購入しました。
古い本でしたが、綺麗に半透明のカバーがかけられてて、
随分大切に扱われ、長い間書庫で眠りについていた事を物語っていました。
(そうそう、購入した古本屋のご主人に「感想」を求められ、2~3回メールのやり取りをしたんです。
こんなことは初めてで興味深かったです。)

今もJunoさんの本棚にあるのですか?何度もお引越ししたのに?
神田理沙さんも、さぞ喜んでいるでしょうね。
死者にとって一番つらいのは(人の記憶から消え去ること)ですからね。

『もしも彰さんが学生運動の波に呑まれなかったら。
もしもお母さまが入院されなかったら。手紙を見つけなかったら。』
きっと違った未来になっていたような気がします。

高3の2学期、受験まであと半年という時期。
クラスの(受験に向けての)雰囲気が変わり、かすかな焦りが不安につながり、
さらに自らを奮い立たせようとしていた理沙さん。
死の一か月前、つまり9月1日の始業式では、死の影など微塵もなかったわけですからね。

張りつめた精神がいかに外的刺激に弱いか、乱されるのか、
彼女の克明な記録がその「コワサ」を十分に知らしめてくれました。

きっと私の先輩も、神田理沙さんのような心の変遷があったのでしょう。
傍から見れば「何不自由なく愛情と才能に恵まれている」そう思われる人でさえ、
不安・心の揺らぎはあり、それは極めて短期間に死に直結する危うさがある。
・・・考えさせられます。

でも個人的にはこの本で、私は奮い立ちました。
「私は神田さんほど真剣に生きていない。まだまだ」という具合に。

Junoさんはどう感じられたのでしょうか?
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2013/10/07 15:16
こんにちは。ご無沙汰しています。
『17歳の遺書』
17~18歳の頃の私が何度も何度も読んだ愛読書でした。
数えることも難しいくらいの数々の引っ越しを乗り越えて
今も私の本棚に残っている本です。
 
辛い夏もいつのまにか過ぎ去って
金木犀が香る季節になりましたね。
素敵な秋をお過ごし下さいませ。
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2013/09/30 14:11
たぬきの休息さま、コメントありがとうございます。

仰るとおりだと思います。
『経験値の低さ』ゆえなのでしょうが、
「自分は何でもでき、何にでもなれる」と未来に夢を託し邁進していた10代と、
思惑にもまれ、世の中の不条理さに涙し挫折を存分に味わった大人の精神力とでは大差があります。
「世の中なんてこんなもんさ」と一度悟りの境地に至れは、
滅多なことでは自殺(自死)を選ばなくなりますからね。
それ故、揺れ動く10代後半は、最大の試練の時でもあるのでしょう。

昨今の10代の自殺原因は、いじめが主因。
いじめられた経験のある1/3が、自殺を考えたと報道にもありました。
ただ、幼少~大学に至る私の環境下で、いじめは皆無。
自殺原因は、「自己実現への絶望」「衝動的うつ」だったのです。
当時も大人たちは「人生は長い。長いスパンで考えたら今の苦しみなど苦しみに入らない」
などと言っていましたが、やはり当人にとっては『人生最大の危機』なのでしょう。

たぬきの休息さんの『死に対する周囲の反応』は、実に的を射た指摘です。
特に「2」。
これは神田理沙さんの『17歳の遺書』の流れからも読み取れます。
彼女は、死のほんの一か月前までは、死など微塵も考えていませんでした。
それどころか(自殺についての授業の後)
「(略)みんな苦しいのだ。しかし、この苦しみに負けてはならない。負けるのは落伍者だし、
ましてや自殺なんて弱虫のすることだもの・・・」と記しています。

両親の愛情に恵まれ、2歳上の恋人もいて、清楚な美人で東大確実と皆から一目置かれ慕われていた。
そんな『完璧な環境』の下、ほんの小さな出来事が重なり、
それが大きな波紋になり彼女の精神を破綻させたのでした。

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(村上春樹)に登場する
精神を破綻したシロ(白根)も、実は同じ経緯で精神を破綻させています。
完璧な環境は、村上作品の中では『(名古屋的)楽園』と描写しています。
これについて書き始めると長くなるので止めますが、
このような流れで私も、たぬきの休息さんの「2」の指摘に強く共感しました。

先輩の通夜には、先生方とクラスメートしか出席しなかったようです。

ドラマ等の定番、当人を知らない学生も皆一様に涙する。
その光景が何を意味するのか、遅ればせながらようやく分かった気がしました。
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2013/09/30 07:24
若いころの気持ちの動きって書かれているように大人になってからとは違うように感じます。
適切な表現かはわかりませんが、若いころのは時に死が薄い板一枚を隔てた隣にあるような感じ。
対して今ごろのはいつの話はわからないけどその内行く先としての死の漠然とした認識というか納得。
私の場合、20代後半くらいが死を一番怖がっていたかも。

小学校の時、下級生が夏休み中にプールの事故で亡くなるということがありました。
自殺と違って本人の意図しないことですが、急遽開かれた全校集会では校長先生の話をみんな黙って聞いてました。
私を含めて、亡くなった子と一面識もない人も多かったでしょうけど。

無論、昔の小学生と高校生では心のありようが違うでしょうから単純比較はできませんが、沈黙で答えるというのは死者に対する礼儀であるように思えます。
(今の小学生は違う意味で静かにできない人もいそうで、それはそれで困ったことなのですが・・・)
ただ、お話であった先輩の死に対する周囲の反応についてはいくつか考えられそうではあります。
1 本当に人の死に対する感覚が薄かった。
2 本当は各人衝撃を受けていたが「影響のない自分」を演じていた。
3 死に対する悟りを開いて突き抜けた対応をしていた。
私は2の可能性が高いと思うのですが。
県下一の進学校の生徒さんが揃いもそろって「この場で黙っていることがふさわしい反応」ということを全く知らなかったという可能性も皆無ではありませんが、彼らなりの動揺が私語だった可能性の方が高いと。

しかし、結果としてOlivierさんが人の死に対する周囲の反応に期待を持たれなくなったのはよかったのかもしれません。
いじめ問題で書いたこともあるのですが、いじめによる自殺を肯定的に報道することや、それによるかたき討ちを肯定することは他の自殺を助長する恐れがあるように思われます。
いじめた奴らを死んでどうにかしてやろうといじめられた側が短絡的に考える根拠になっていると。
本当に見返すつもりなら「自分の信じる価値観」を突き詰めて人生を送る方がふさわしいと思うのですけど。

自殺報道で耳にするたびに漱石の「夢十夜」が浮かんできます。
船から足が離れた瞬間に悟ってもどうにもならないというのにね。
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2013/09/30 01:09
としさま、コメントありがとうございます。

うふふふ。削除なんてしませんよ。
戦国武将の気質をお持ちのとしさん。
としさんなら、このようなコメントをされると、容易に推測できましたからね。
そう言えばいつぞやも、
「ワシはいつ死んでもいい(悔いがない)!」といった類のコメントをいただきましたね。

実は私も同じ考えです。
と言うか、「生きながらえるくらいなら死んだ方がマシ」と本気で思っています。
だから「今」を大切にしますし、『一期一会』を胸に刻んで生きています。

学生時代よく「ピンピンに張った糸みたい。ハラハラして面白いけど、いつか切れそうで不安になる」
と言われていました。
いつも‘いっぱいいっぱい’だったのでしょうね。

でも、上述の『17歳の遺書』を読んで恥ずかしくなりました。
私など、まだまだ十分すぎる余力を残していたことが、客観的に分かったからです。
神田理沙さんくらい一分一秒大切に生きていない者が、
『死にたい』などと口にするのは‘おこがまし’いと痛切に思いました。

としさんの激務は、ブログ内容やコメントから十分承知しています。
何事にも手を抜かず、全力で臨み、走り抜けるとしさん。
としさんが「まもり」に入るなどということは想像に難いですが、
だからこそ100歳まで走り続ける体力・気力の充実を、私はとしさんに願います。
 
追記、
『散ぬべき、時知りてこそ世の中の・・・』(ガラシャ)、私はこの句をいつも胸に秘めています。
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2013/09/30 00:31
湖さま、コメントありがとうございます。

湖さんは、季節の移ろいや人の機微を敏感に察知される方です。
湖さんが生み出す繊細な詩は、湖さんの感性そのもの。
文学青年かと思いきや、機械相手のお仕事に携わっているとは、
そのギャップに驚かされたものです。
でも、無機質な物相手に仕事をされているからこそ、
人の温かさ、優しさにより敏感になるのではとも思います。

言葉はなくとも、空気感から察する。
察しすぎるがゆえに、自らの精神の健康を損ねることもあるでしょうが、
それも日本人の良さ。特性であり個性なのでしょう。
しかしそんな日本人の誇るべき特性も、年々廃れつつあるようです。
『想像力の欠如』、それが昨今の「いじめ」の根幹の一つになっているからです。

湖さんにも、悩まれた時代がおありだったのですね。
一度悩み深淵にはまりこむと、周りの声が聞こえなくなり、景色が見えなくなってしまいます。
それが「うつろいやすい思春期の心」なのでしょうが、
ほんの小学生のころから自己防衛本能が発達していた湖さん。さすがです。
アバター
2013/09/29 23:47
こんばんわあ^^

失礼を承知のうえで・・・気を悪くしたら削除してくださいね。

私は『死』についてなんとも思わないのです。悲しみもあまり感じないかも~(^_^;)
死に関して暗いイメージを持ってないのです。生と死は等価値というか・・・
死は生の延長線上というか、、なんというか。。。
"死"とは物質的な消滅で、魂は残るものだと思っています。
死は現世の人に意味があって死人には関係がないような・・・
う~ん、なんと表現したらいいか・・・

死を選ぶ道もあってもいいような気もします。
その人にとっては生きる方がツラいってこともあるような気がします。


今日たまたま美容室で「健康に気を付けてますか?」と聞かれ
「全く気にしてないですっ^^いつ死んでもいいので~」って言ったら爆笑されました^^
そんな感じなのでワシの生死感は淡泊なようですなぁ(^_^;)


同級生たちはなんまり関心がなかったんでしょうな。
自分には関係ないモノって感じじゃないかな。直接コミュニケーションが無かったらそんなモノなのでしょうね。
Olivierさんのような感受性豊かな方以外は無関心なのでしょう。


「死は好むべきにも非(あら)ず、亦(また)悪(にく)むべきにも非ず、
道尽き心安んずる、便(すなわ)ち是(こ)れ死所。
死して不朽(ふきゅう)の見込みあらばいつでも死ぬべし。
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。」

↑吉田松陰の言葉です。ご参考までに~^^
アバター
2013/09/29 21:39
合掌
  生きる事はツラいことだよ。  小学校の時に覚えた現実逃避の一つ。
  現実世界は全部、夢。   ホントは ボクはベッドの上。たくさんのチューブが繋がれてて
   意識はない。もう、目覚めない。  両親は、ずっと見てくれてて愛されてることも伝わる。

現実世界の嫌なとこは全部、夢。って思うとなんとなく楽になれた。そんな小学校。
 上手か下手か現実逃避ができてよかった~^^
                                                        



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