退院直後に、素敵な出来事がありました!その1
- カテゴリ:日記
- 2011/04/07 23:21:21
2/20の恐ろしい出来事と、我が旦那様のス-パ-マンのような大活躍で私は、お医者様が「こんな状態で、生きていること自体不思議!」という絶望的な肺炎から4つもの奇蹟が重なって(というか正に、旦那様の「希望を、断じて死なせてなるものか!」という、執念と呼んだらいいのでしょうか、底知れない愛の深さといえばいいのでしょうか、正直に言って私は、どう表現したらよいのか解らないのですが、彼の底知れない深い思いのおかげで、死の淵からこの世へ戻れてどんなにか幸せなことか!
ニコットでもリアでも沢山のお友達に心配をお掛けし、また回復を祈っていただき、適当なお礼の言葉が見つかりません!アリガトウ!
素敵な出来事は、旦那様が怒鳴り込むという、珍しい出来事から始まります。我が家は7年前に旦那様が、お友達のビルダ-さんから家を買わないかと言われ、当時53歳になろうとしていた彼が、「銀行がこんな年齢で、住宅ロ-ンのOKなど出すもんか!」と、高をくくって「いいよ!、住宅ロ-ン、都市銀行がOKしてくれたら買うね!」と言って、お友達にOK出したら、その友達はどんな強引な交渉をしたのか知りませんがなんと、UFJ銀行の住宅ロ-ンのOK出させてしまい、この年になって家を買ってしまいまったのです。
我が家の東は、生駒山がもうすぐそこにある、R170号(外環状線)のすぐ外側(外環から50mぐらいしか離れていないけど、丁度我が家のすぐ西に4階建てのマンションが防音壁になっています)で、南側はこの辺りでも珍しい田圃(丁度50m四方ぐらい)、明るくて気持ちの良い最高の立地条件の場所に建っています(玄関は西向きで、玄関を出ると左[南側]に、1.5m×0.5mの小さな花壇があります。そこに7年前、私が「水痘症」になって、1度は手術が失敗、命をなくし掛けましたが、この時も旦那様のすさまじい愛情のおかげで、辛うじてこの世に戻れましたが、退院後、彼が私の元気が育つようにと、植えてくれた八重桜と、真っ赤な大輪の「宴」という薔薇が寒さの中でしっかり蕾を付けています。
私が旦那様のス-パ-マンのような活躍のおかげで、退院が決まった3/3の私が、旦那様に送ったメ-ルです、
題名:朗報です!(^O^)/採血
レントゲン
の結果がでました。 点滴もな
内服薬ですみます
2、3日で退院出来そうです 。
Fドクター水曜の夜でしたら遅く成っても逢えます
今夜は居ないそうです。
有り難うございました。 心から感謝しています ヽ(´―`)ノこの後、F.Drから、これ程重篤な肺炎の患者が、かくも短期間に危機的状況から、退院出来るところまで回復した例は無いので、是非点滴終了後1週間程度して、血液及びレントゲン検査をして、記録に残したいとの意向があり、旦那様がそれを承諾したので、退院は3/5(土)病院で私がお昼ご飯を食べてからと言うことに決まりました。そして、懐かしい(ほんの半月余りしか時は経っていないのに、とても久しぶりに我が家へ帰れるのだと、嬉しくて、嬉しくて堪りませんでした!
そして退院後4日目の3/8(火)すてきなことがありました。
それは、このブログの最初の方で、旦那様が今の家を7年前に買った事を書きましたが、3年前に(我が家の南側はこのあたりで珍しい田圃で、その向こうに空き地があったのですが、3年前にそこに私どもの娘も、息子も卒業したNW中学校のテニス部のコ-トが出来ており、毎週月・木・金はテニスクラブの男子・女子がそれぞれ二時間程度練習をするようになりました。私の体調がかなり悪くなった2月14日(バレンタインデ―)に、子供達の練習の時の掛け声等は、健康ならば左程気にならないのですが、激しく咳き込み、眠れない状態の私には、かなりこたえるというか、子供達の声は、甲高くて耳の異常に鋭い私には、凄く響くのです。 そして、シャッタ-を閉めても、甲高い声で私が眠れぬ事を、大変心配した旦那様が、3年間1度もしたことの無い、練習中のテニス部(彼が、出かける前は男子が、彼がお願いに行くときは女子が練習していたようです)の所まで歩いて行って、
「申し訳ないけれど、今妻の具合が悪いので、練習を自粛しては頂けませんか、ダメならせめて、声だけでも小さくしてもらえませんか!」と、コ-トないに居たI先生にお願いに彼が行ったところ、ケンモホロロに「出来ません!」と言われて、そういう活動には(本人が37歳から5年間子供会の女子ソフトボ-ルの監督をした人なのですから)子供を育てることについて、常人以上に理解している彼が、キレたそうです。
続きが気になります(●^o^●)