Nicotto Town



3年ぶりにブログ書きます!


色んな事があって、月日がいつの間にか3年も経ってしまっていることに驚いています。

「光陰矢の如し!」と世間では言いますが本当に月日の経つのは早い物で、私もニコットに随分INしていなかったようで、久々にINした証拠にブログを書いてみました。
 タウンも随分と様変わりしていてびっくりしました。中央イベント広場など、最初の頃とは、似ても似つかぬ全く別の広場になっていて、びっくりしました。

ニコ友さんもそのがどうされているのか、気になります。
私は以前勤めていたMスーパーを65歳で定年退職し今は介護施設で「まかない」の
仕事をさせて頂いています。
 私も色々大病をしているので無理は出来ませんが、今の私に出来ることを一生懸命して働ける間は何歳になっても働きたいと思っています。
 少しずつタウンの活動も復活していこうと思っていますので、皆さんまたかわいがってやって下さい、そして仲良くお付き合いして下さるようお願いいたします!

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2019/05/21 20:55
2017/07/28に紅さんにコメント頂いていたのに、私が仕事や、GK活動で忙しかったことや、色々体のあちらこちらが故障して、それでもパート(私の介護施設で賄いの仕事をしています)で働かせて頂いていますが、PCを触る機会が全然無かったので、INしていませんでした。済みません、今年の7/28は、奥様の9回忌ですね!
でも私たちには、祈る対象が明確で、そして、絶え間ない戦いの中で今年も、前哨戦の統一地方選kyが終わり、7月には、参議院選挙、そして9月には東大阪の市会議員選挙と、選挙の3連発です。しかし、体の不調は祈ることで、絶対に乗り越えて見せます。私の夫の光源氏蛍は、コトズの8/19で万69歳になろうとしているのに、何と私に相談することもなく、2017/11/1に合同会社MERESという、PCのメンテナンス、レスキュー(修理)、セッティング(この3つの作業の頭文字をアルファベットでいうとこの社名になるそうです、こじつけも甚だしいけど、さすが我が夫という感じです。そういう法人を法務省に登記為設立していました。当初は、目算違いでどうにもならなかったらしく、最近まで1年半休眠していたのですが、粘り強い彼は、準備をし続け、今月末に、とうとう会社を実動させる目標だと言っています。我が夫を私は信じるしかありません。人生の壁にぶつかっても、宿命に翻弄され続けても、彼は決して、ギブアップしない、まさに不死鳥のような男です。紅さんもどうか、彼を見習って、どんなに苛つかず、鬱にもならず、あくまでポジティブに前向きに生きて参りましょう、さー勝利は目の前です、今こそ命がけの戦いを一緒に為ましょう!生意気なこと言ってごめんなさい!
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2017/07/28 19:40
今日は妻の七回忌でした
7回忌といっても、特別なことはしていません
ただ、祈るだけです

この時期は、どうしてのあの当時のことを思い出してしまいます
最後の一ヶ月は、自宅療養になり、約一ヶ月仕事を休み、妻の介護をしていました。
日に日に衰弱していく妻を見つつ、題目を上げていましたが、(今思えば、あきらめの題目だったのでしょう)日に日にタバコが増え、気が付くと、一日に5箱以上吸っていました。

妻を助けられなかったのは悔やんでも悔やみきれません。

この時期は、どうしても欝になってしまいます
題目が足らないんでしょうね

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2017/07/21 10:08
コメントありがとうございます、光源氏蛍から紅さん、我々の同志だと聞きました、もう日本でも1000万人以上の会員さんがおられ、社会の隅々まで活躍されているという凄い時代になりましたから、私も年やなどとのんきなことを居てはおられません。

紅さんも、自治会で苦労されておられるとのことですが、私も、息子、娘が小中学校の時代に、小学校でも中学校でも、PTAの医院を指せて頂きました、そのおかげで地元でのたくさんの人脈を作ることが出来て、いまの活動に大変やくにたっております。
子供が社会人否って方ら、子供の関係のルートでの人脈を作ると言うことはとても難しくなります、ですから、見方で「やくざ」みたいに足抜け出来ない世界(-_-;)(>_<)(*_*)という感じかもしれませんが、人生で人脈を作る絶好の機会です、そう捉えることで、見方が随分変わると思います。
 奥様を亡くされ、子供さんで大変なご苦労をされレ多とのことで、あなたの心境わいかばかりのことでしょう、随分苦労されているのですね。
私も昭和51年に入会して39年の歳月が流れました、今の住まいに(平成15年に、新築の家を光源氏蛍が購入してくれました)済むようになってすぐぐらいに、水頭症(脳内ドレナージ、VPシャントという、頭蓋孤島に穴を開けて、前者は管を入れ脳の中の排出されなくなった、水の出口を作る処置、後者はまた頭がい骨に穴を開けて、管を入れバルブを体内に埋め込んで管をのどに通し、腹腔に水を排出する手術)になりました、暮れにした1回目のその手術が、結局失敗していて、年明け、意識不明、動向肥大の状態(死の寸前の状態)になり、再度脳内ドレナージ、VPシャント手術を受けました。
同志の暖かい、必死の祈り、なかんずく夫の光源氏蛍の、ものすごい祈りのおかげで、この世に凱旋してきました。
「奇跡は2度起こった」:
 http://www.nicotto.jp/blog/detail?user_id=420641&aid=24550361

「不運を、奇跡と言う幸運で!我が家に凱旋です!」
http://www.nicotto.jp/blog/top?user_id=420641&page=4

この2つの私のブログに詳しく書いてありますので、読んで下さいね!

お互い、何時も前を向いて元気に、爽やかに生きてゆきましょう!


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2017/07/12 21:06
香峯子抄の中に
『二男が幼いころ、ひどい風邪をひきました。そのとき主人から、どう祈っているのか、と聞かれたんです。「軽くすむように」って答えたら、「絶対にひかないようにと祈るんだよ」と言われました。
 祈りの姿勢をおしえられました。主人の題目は、一つも無駄がない。
 いざというときに「勝つつもりです」というと、「つもりはいけない」「”必ず”勝つのだ」と言われる。それほど信心に対しては厳格なんです。』

香峯子抄は、妻の遺品の一つです、さっき何気なく見ていると、本に折り目がついていました。
そこに書いてあった一説です^^

何事も”必ず勝つ”の信心でいかなければと誓いも新たにしています。



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