Nicotto Town


お気楽夏子の部屋


被災地ボランティアのご報告です


留守中にもかかわりませずお訪ねいただき、
「再び、被災地に行ってきます!」のブログのほうに、
励ましやら、いたわりやら、ふだんに変わりない親しさやら、
いろいろなメッセージをいただきました皆さま、そのせつは
どうもありがとうございました。

被災地ボランティアから帰ってまいりまして、しばらくは
いろんなことどもに追われておりましたが、疲労も回復し、
昨日は、撮ってまいりました写真の整理などもついて、
同行の方々にも、オンラインアルバムの様式にて送れましたので、
帰宅しましてからようやっとのこと、このニコの皆さまににも、
そのご報告をしたいと思います。

前回は、五月に七人で二台のクルマに分乗して行きましたが、
今回はさらに人数が増えて、十一人です。
メンバーの顔ぶれとしては、山梨からの農業家に、会社員、宮大工、
元新聞記者、フランス語教師、学校職員、料理人、大学院生、
旅行ライター、それから編集者のワタシ、といった、混成部隊です。
クルマ三台で、東北自動車道に乗ります。
前回同様、災害派遣等従事車両の申請をしているので、
往復の高速料金代はかかりません。

途中、前回にも訪れることをした、福島の海辺のまちを見に行ったので、
到着が遅れ、目指す役場の宿泊テントに着いたのは、
日も暮れかかっている頃でした。
今回は、仮設に入ることのできた方々の空きテントを
貸していただいての、宿泊です。
前回来た時には、近くの小学校のグラウンドに設営されていた、
小学校が復するにともない、この役場内に移ってきている
自衛隊のお風呂をいただいて、その日は就寝。

訪れた福島の海辺の小さいまちは、入り江に転覆したままの船舶や
水の中に沈んでいるバスや乗用車もそのままで、港の瓦礫がいくぶん
撤去され、そのあとに死者を弔う卒塔婆が立てられている、といった佇まい。
漁協の建物が、看板だけを残したまま、撤去されていました。
そんな光景を、胸のうちに反芻しながら眠ります。

翌朝からは、炊きだしたご飯で、昼食用のおにぎりも握り、
役場敷地内のボランティアセンターに、8時から行って受付を済ませて、
自分たちの装備を確認しながら、その日の派遣先を待ちます。
長靴に、軍手とマスク、ヘルメットや日よけの帽子を被り、ゼッケンと
腕章を貰って、日射しを避けるための、長袖のシャツに巻きつけます。

今回は、連続して個人のお宅に伺い、そのお庭と田畑のヘドロ出し。
震災の後、生い茂るままに手つかずにされているところの雑草を抜き、
スコップで土を掘り返してみると、ゴロゴロと堆積したヘドロの層が出てきます。
それらを掬って、ネコという現場仕事の手押しの一輪車に載せて運び、
家の前まで捨てに行く、後日、まちの廃棄物処理のトラックが
それら小山のヘドロを、引き取りにきてくれるということです。

9時過ぎから作業を始め、15時くらいに、ボラセンのスタッフの方が、
行き同様、作業道具を積み込みがてら、迎えに来てくださいます。
最初は、45分ごとに小休止をとり、水を飲みますが、陽がいよいよ
高くなると、30分間隔くらいで、休むことにします。
熱中症の予防もあって、ひとり2リットルから3リットルくらいの水を
飲んだかな。遮蔽物のないところでの、炎天下での肉体労働は、
数時間も続けていると、かなりこたえます。
最初着ていた長袖も途中投げ捨て、塗っていた日焼け止めも
効果がないと思われる、全身ダラダラに汗まみれです。

そんなふうに一日の労働を終えたあとの、自衛隊のお風呂はうれしいです。
今回同行の料理人が、イタリア料理のひとなので、途中買い出した
土地の材料で、パスタを茹で、アンティパストなんかも作ってくれます。
ボランティアのボランティアはありがたしー。

肉体が疲れているのと、いくらか落日が早いので、まもなく就寝です。
日中、そうして眠りにつく前まで、あれほどの暑さであったにもかかわらず、
初日、夜中に、寒さに震えながら眼が覚めました。
テント、ということもあったのでしょうが、今年の東北の初夏は、
こんな気候なのですね。
今も避難所生活を続けられていらっしゃる方々は、毎晩、どのように眠られ、
そうして毎朝、起き出されるのでしょうか。

最終日の朝は、ボラセンと社会福祉協議会の人たちに挨拶にゆき、
教えてもらって、近くに建設されていた、また、建設中である、
仮設住宅をクルマで見に行きました。
そのまま、道路を海に沿ってずっと北上してみます。

海沿いの、危険立ち入り禁止区域では、黙々と重機群による作業が
続けられているのが、遠目に見えました。
家の建っていた後に残されていた敷石や、津波にえぐり取られたまま
佇立している家、ぐちゃぐちゃになったままの住宅やクルマ、
道路にのぼってしまっている船舶などが、土手のように寄せられた
瓦礫の山とともに、まだそのままにありました。

仙台市内まで行き、引き返すことをしました。
復興はまだまだ遠いのだなあと、そうしてひとの心の修復は、
おそらくさらに長く長くかかるのだろうなあと、ふかぶかと考えながら、
東京の自宅に戻りました。

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2011/08/01 17:28
★迷子のこねこさま
再度の書き込みをありがとうございます(#^.^#)
大きい政府の要人たちのアタマの中身というのは、
わからんもんですが、被災者や現場の生活者の意識と
いうものからは、少なくとも、かなりへただったものである、
というのは、ワタシにたえず認識としてありますー(・o・)

寒くなる前に、秋口あたりには、仮設住宅に入ることをもってして、
そこから先は、被災者の「自立」の問題として、いろんな援助を
後退させることをしてゆくのではないのかなー、とそんな見方を
ワタシはこの国の政府というものにもっています(゜-゜)

かといって、民間ボランティアが力をつけることも奨励していないし、
ほんとうに、ひとりびとりが、「忘れないで応援し続けたい気持ち」を
かりに具体的なことは、なにもできなくっても、
大事にもちながらえてゆくしかないんじゃないかなあ、とワタシは思います。
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2011/08/01 13:55
自衛隊の撤退、ボランティアセンターの閉鎖。
まだまだ、復興とは程遠い現状のようですが、
政府はひとまず一段落?と とらえているのかな?

違った形であっても、今後の復興のスピードが落ちないことを願います。

何も出来ない自分を恥ずかしいと思います。
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2011/08/01 10:03
☆迷子のこねこさま
長きにわたります報告を読んでいただき、ありがとうございますm(__)m
ワタシの、短期間の見聞からの感想にて、たいへん乏しくも申し訳ないのですが、
震災直後からは、それはそれはずいぶんと整備されてきているとは、
多くのひとの労力が費やされてきているとは思うのですが、
それでも、まだまだ、瓦礫が寄せられて山と積まれているだけの土地であったり、
場所によっては、家屋やクルマや船舶など、被害を伝えるそのままの姿に
残されていたりします。

自衛隊も撤退し、ボランティアセンターも次第に閉所が決まり、
この秋口には、ほとんどの方の仮設住宅への入居もなんとかなるような見通しで
あるということですが、ワタシには、まだまだ手つかずの問題が
広範囲にわたって横たえられているように感じられました、風景でした(゜-゜)
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2011/08/01 09:49
☆和夢さま
どもども、和夢ちゃん、いつも読んで、書き込んでくださってありがとう(^^ゞ
どんな枠組みで出かけることをしているのかと、思われるかもしれないと
考えましたので、今回はメンバーについて書いてみましたが、異業種集団であります。

テレビの画面に加えて、360度の視野と、さらにはやはり「におい」があります。
危険立ち入り禁止区域ですれ違う、廃棄物処理のトラックの運転手は、
クルマの中に、マスクをはずしていませんでしたが、窓やエアコンから、
その「におい」をかいだものです。

仮設住宅については、いくつかの建物の外観を見ましたが、やはり、
いくら仮の住まいであるとはいえ、できるだけ住みやすい、その外観も、
工事現場の詰所のようなものよりは、例えばレンガのタイル調であったり、
少しでもおしゃれなもののほうがいいのになと、抽選のシビアさもあわせながら、
ついつい、思ってしまいましたワタシであります(゜-゜)
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2011/08/01 09:30
☆フーイさま
長いブログを読んでいただき、ありがとうございますm(__)m
もちろん、出かけるひとは、熱中症について或る程度の知識も準備も
してゆくようでありますが、やはり遮蔽物のないところでの日射しの強さに、
ついついやられてしまって、ワタシたちのお世話になったボランティアセンター
でも、二人が救急車で運ばれたので、くれぐれも注意して、こまめに休憩を
とって休んでくださいといわれました(・o・)

復興は、瓦礫の撤去がひと通り済んでも、まだまだこれから、長い長い道のりです。
関心を持ち続け、見守って、支援し続けていきたいものですね(^o^)丿
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2011/08/01 09:19
☆ラトさま
読んでいただき、文章をお寄せいただき、ありがとうございます(^-^)
やはり、360度、いまだ津波と震災の被害を生々しく伝える
光景の中に佇んでみますと、文章が重くなります。

寒かったり暑かったり、そうして現状と先行きに対する不安と、
被災者の方々の生活は、推するだに、たいへんきびしいものに拝されます。

神戸でボランティアをしていたときに親しくなった、自らも被災しながら
ボランティアに参加していた、当時、中学生や高校生であった女の子たちと、
その後も、東京に遊びに来てもらったり、神戸に、入居できたお家に
お邪魔したりしているワタシでありますが、彼女たちのメンタルの問題などに
その後付き合うことをしておりますと、そんな部分をも含め、
「復興」というものは、世の中の多くのにんげんがそれについて忘れてしまっても、
長く、長くかかるものだということを、痛感せざるを得ません(・o・)
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2011/08/01 09:06
☆れいれいちゃさま
長いブログにもかかわりませず、読んでいただき
どうもありがとうございますm(__)m
テレビの情報をたよりに、この先もなお現地への想像力を
はたらかせ保ち続けてゆくのは、それはそれでたいへんなもので
ありますが、忘れないようにしたいとワタシは思っています(゜-゜)
復興は長く長くかかると思いますが、見守りたいです。
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2011/08/01 00:40
かなり大変な作業をこなしてきたのですね。
本当にお疲れさまでした。

しかし、まだまだ復興に時間がかかりそうなのですね。
正直、もう少し良くなっているのかと思っていましたが・・・・・・
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2011/07/31 17:24
まずは、夏子さん、お疲れ様でした!

何か、色々な職業の方の集まりで、驚ろいちゃいました。

暑い中の作業、ニオイとかもあると思うし、大変だったと思います。

仮設住宅も、住みやすいところもあれば、住みにくいところもあるとか・・・
瓦礫撤去がまったくされない場所もあるとか・・・
高速道路の無料化を悪用しているトラックもあるとか・・・

ニュースでは色々聞きますが、経験者の生の声は貴重です。
ありがとうございます^^
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2011/07/31 07:15
ボランティアの報告を読み、深々と考えさせられました。
テレビでも熱中症に気を付けていてもなる人が出ていると言っていましたが、
やはり遮蔽物が無いのが大きいんですね。
そんな中でのボランティア本当にお疲れさまでした。
夏子さん同様、ボランティアに同行された方々も熱中症は無かったようで良かったです*
復興は遠い道のりですが、支援し続ける事が大事ですね。
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2011/07/30 21:51
読了しました。
抑えた夏子さんの文体。
それでよりリアルな現地の様子が脳裏に浮かびます。
炎天下での作業、さぞやきつかったでしょうね。
それ以上に、生活されている被災者の方は…。
関西も節電であれこれ不自由してますが、文句なんていえません。

夏子さん、ほんとうにお疲れさまでした。
そして、ありがとうございます。
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2011/07/30 19:24
読ませていただきました。
テレビでしか見てない現地のことを書いていただくと
ほんとに想像ですが、いろんなことで大変だなあと思います。
これから何年もかかるんでしょうね。
ほんとに頑張って欲しいです!
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2011/07/29 23:30
★EKOさま
いやー、栃木は昔、シゴトの関係で行ったり来たり、
たいへんに懐かしいというか、馴染みのある場所なのですよ(*^^)v

でもって、最近では、U字工事の漫才ありーの、で、
都内でレモン牛乳を見つけて飲んだり、今回のお土産には、
レモン牛乳ミルクケーキを発見!! して、ついつい買うてしもうたり
してたのですよ~(^^ゞ ←ナニシニイッテルンダカ
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2011/07/29 20:48
レモン牛乳アイス食べていただいたのですね~^^
ありがとうデス^^
なんか嬉しくなっちゃった^^
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2011/07/29 04:51
☆EKOさま
どもども(^-^)たいへんに長いブログを
読んでいただき、書き込みをありがとうございます❤
往復の高速のICで、レモン牛乳アイスを食べておりました、
栃木好きのワタシでありました(*^^)v
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2011/07/28 21:14
被災地までお疲れ様でした^^
今回は人数も増えたということで
さらにパワーアップしたことでしょう^^

頭が本当に下がりますm(_)m



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