Nicotto Town


哲学的な何か、あと心の病とか


怖かった映画、あと感動した映画や、ドラマ

怖かった映画は、貞子が出てくる、「リング」です。
お部屋アイテムがもらえるということで、「怖かった映画」のブログを書いてみました。
あと、大人向けですが、私が感動した映画や、ドラマを紹介します。
「シルヴィア」「バニラスカイ」「マクベス」「愛を読むひと」「ナンバー23」
(この映画にはある共通項がありますが、それは秘密ということで。)
海外ドラマ「ローマ」

よければ、あなたが感動した映画を、紹介して下さい。

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2017/12/23 23:06
【不可知論者の説明】

1.神はいると信じている人は有神論者。
2.神はいないと信じている人は無神論者。
3.神はいるかもしれないし、いないかもしれない、自分にはどちらも証明することは出来ないという立場の人は不可知論者。
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2017/12/23 22:53
神は人知を超えた超越的存在とされているのですから、その存在も非存在も論理的には証明され得ないとするのが妥当であると思います。

つまり、不可知論ということになる。
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2017/12/17 03:46
[Why do we kiss? ]

It seems that we feel "taste" and "smell" of others by kissing, and we gather informations such as health condition of others and compatibility with weself.

In the relationship between "smell" and compatibility of men and women, we like others with different smell, but we don't like others with similar smell.

And it seems that couples with different smell can leave strong descendants.
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2017/10/27 04:54
写像理論

意味:言語は世界を映し取ったものであるという考え方

ウィトゲンシュタインによると現実の世界は一つ一つの事実の集まり。
一方、言語は科学的な文の集まり。
科学的な文とは「鳥が木にとまっている」というように1つの事実を写し取っている文のことを言う。
科学的な文は事実と1対1で対応していて、科学的な文と事実は同じ数だけ存在している。
これを「写像理論(像の理論)」と言う。

科学的な文は現実の世界を写し取っているわけだから、科学的な文をすべて分析すれば、世界のすべてを分析できる。
そして、一つ一つの科学的な文は理論上、確かめることができなくてはならない。

反対に理論上、確かめられない文は、事実との対応からあぶれたものであり、その内容が正しいか否かではなく、言語を誤用していることになる。
たとえば、哲学の「神は死んだ」とか、「徳は知である」といった確かめられない命題(文)は正しい言語の用法ではない。

つまり、事実と対応しないことは言語化できない。
ウィトゲンシュタインにとって従来の哲学は、まさにこの言語の誤用で成り立っている学問だった。

哲学の真の役割は、言語にできることと、できないことの境界を確定することだとウィトゲンシュタインは考えた。
そして言語にできないことに対しては沈黙しなければならないと言った。
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2017/10/22 04:54
実在論と観念論の違いを簡単にわかりやすく教えてください - 実在論と観念論の対... - Yahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14173215989

【引用開始】

Q:実在論と観念論の違いを簡単にわかりやすく教えてください。

A:実在論と観念論の対立は認識論上の対立ですので、その対象が存在するかどうかは「棚上げ」にして、実在論は、何も介在せず直接的に、じかに、その物が存在することを認識できると考えるのに対し、観念論は、認識に当たって中に感覚与件とか、観念とか、その種のものが介在しないと、そのものは認識できない、と考えるもの。

昔は観念論の方が優勢だったけど、最近は実在論の方が、ことに「素朴実在論」が見直されています。

日本でいえば野矢茂樹、アメリカでいうとパットナム。
私も昔はカント哲学などが正しいと思っていましたが、今は野矢茂樹やバットナムのいうことが正しいと思うようになりました。

カントは「カテゴリー」を介して私たちは物を認識しているといいましたが、あれは真っ赤なウソ!

【引用終了】


*素朴実在論とは

『素朴実在論とは、実在論の一形態で「この世界というのは、自分の眼に見えたままに存在している」とする考え方のことである。』Wikipedia
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2017/10/20 19:48
私たちは、下記のサイトに書かれているように、唯物論が正しいのか、唯心論が正しいのか、確かめようがないのである。

現代物理学と心物問題 - 蛭川研究室
http://hirukawa.hatenablog.jp/entry/2015/10/12/212813

【引用開始】

世界を見ているのは誰か

科学の基礎となる物理学は、物質についての科学である。
物質の運動法則がわかればそれでいいし、技術的な応用もそれで事足りる。
物理学は心や意識などの精神的領域を扱う必要がなく、唯物論モデルだけで無矛盾に記述できるように思われる。
個々人が抱いている意識的な経験は、一種の錯覚だと考えればいい(消去主義的唯物論)。

しかし、それでもなお、物質世界を観測している、あるいは経験している主体は誰かという疑問は残る。
物質を観測する主体が誰も存在しなかった場合、その物質的宇宙を記述するのは誰なのかという、非常に基本的な問題は残ってしまう。
月は、誰も見ていなくても夜空に浮かんでいるのだろうか。
誰もその音を聞く者がいない森の中で木が倒れたとき、木が倒れたという現象が実際に起こったことを誰に証明できるのだろうか。

そんなことは問うても仕方がない形而上学であるとして、議論しないことにするのが実証主義の立場である。

【引用終了】
イイネ! 返信
[225] 岩崎
2017年10月20日 11:13
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>>[223] 御坊哲さん

追伸。

1.ある視点から見たら「唯物論が正しい」となるだろうし、

2.別の視点から見たら「唯心論が正しい」となるだろう。

つまり、絶対的には確かめようがなく「わからない」と言うしかない問いで、相対的(視点によって意見が異なる)でしか答えようのない問いだということである。
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2017/10/17 18:44
クオリアとは (クオリアとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2

【引用開始】

赤色に見えていますね?

クオリアとは、あなたが感じたこの「赤さの感じ」のことである。
あなたの周りに人がいれば、その人にも尋ねてみよう。
当然、赤色に見えていると答えるはずである。
ではこの「赤さ」、あなたとその人とで同じものを感じているであろうか。
確かめることは出来ないことに気づいただろう。

赤色の光をキャッチした眼は脳にそのような信号を送り、脳はそれを分析して赤色であると判断している。
しかし、脳が受け取ったのは「赤色の光である」という信号であり、「赤さ」そのものではない。
クオリアはこの意味であなたの心や意識の中にだけ現れる知覚現象であり、他人がそれを観察することが不可能な何かである。
あなたに赤く見えているものが、私に「あなたにとっての青色」に見えているとしても気が付かない。

色や形、音、匂い、味、触った感触、痛み、動画が始まる前のワクワク、あの人を見ているドキドキ。
このようなあらゆる「感じ」がクオリアである。
ひいては「生きている」という実感全てとも言えるかもしれない。

クオリアが科学的に説明がつくものなのかどうかは未だにはっきりしていない上、そもそも科学で取り扱うべきかどうかにさえ争いがある。
クオリアを広めた哲学者デイヴィッド・チャーマーズは、この問題を哲学と科学を横断する「意識のハードプロブレム」と呼んだ。

【引用終了】
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2017/10/13 04:12
北朝鮮からミサイルが飛んでくるかもしれない。
それがどうした。

やっぱり私はそう思ってしまう。
ミサイルが飛んでくるからと言って、これまでの生き方や考え方が変わるわけでもない。
生きても死んでも大差ない。
歴史は戦争の繰り返しである。
人はそんなものに負けてもよいし、勝ったものだってありはしない。
自分の人生を全うするという以外に、人生の意味などあるだろうか。

地球人類が滅びたとしても、そんなのは誰のせいでもない。
この一蓮托生感というのは、なかなかイイものである。
自分は別だと思うのをやめるだけのことである。

池田晶子
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2017/10/12 19:56
私たちは、下記のように、功利的判断をするものと、功利的判断をしないものがあるようだ。

人間の倫理は非理性的か:「トロッコ問題」が示すパラドックス
https://wired.jp/2008/11/11/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E3%81%AF%E9%9D%9E%E7%90%86%E6%80%A7%E7%9A%84%E3%81%8B%EF%BC%9A%E3%80%8C%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%8D%E3%81%8C%E7%A4%BA

【引用開始】

Time誌の記事などによると、fMRI(脳スキャン)を使ったトロッコ問題研究がある。

「トロッコを側線に導く形で1人を犠牲にして5人を救う」という場合は、前頭前野背外側部(客観的な功利的判断をする場所)の活動が活発になるが、

「5人を救うために1人を落とす」ことを考える場合は、前頭皮質中央(感情に関係がある)が活発になる。

これらの脳の2つの部位のバランスのもとに最終判断が下されるという。

【引用終了】
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2017/10/07 02:57
学校の授業や毎日の決まりきった仕事など、誰でも気が進まないことは、目を背けたくなります。
出典
明日から会社や学校が楽しくなるコツ | nanapi [ナナピ]
幸せの尺度というのは人それぞれですが、やっぱり幸せであれば毎日が楽しくなりますね。
出典
幸せなひとがやっている、9つの人生を楽しむ方法 - ザ・チェンジ
現実問題として人生に変化を起こしたいのなら
GettyImages
現実問題として人生に変化を起こしたいのなら
楽しくいきたいと思っていても何かを変えなければ、つまらない人生が、楽しい人生に変わる事はないという事です。
出典
人生を楽しくする方法 偉人達の哲学がつまらない人生を変える
新しいことを始め、習慣になるまでそれを繰り返すことがベストであると研究によって証明されています。
出典
科学的に証明された、人生に変化を起こす12カ条 | ライフハッカー[日本版]
お気に入り詳細を見る
そもそも楽しくない原因…どこにあるの?
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2017/10/07 02:57
ヒトの本質は未来志向性をもつことにあり,未来での「報酬」(お金などのモノのみならず,喜びや幸福を含む)を志向すること,つまり,「希望をもつこと」を本質としている。そして,希望をもつが故に絶望するのである。希望も絶望もきわめて人間的な思いであり,決して「虚妄」でない。
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2017/10/07 01:38
種の保存の目的とは?

人の生きる意味とはなにかと問うた場合そのほとんどは、文学的、哲学的な答えになると思います。
そこで、個人という見地から離れて、人間の生きる意味は何かと問えば、それは生物学的な種の保存になりますよね?
それは、生物全てに当て嵌まり、全ての遺伝子が求めることだと思うのですが、それでは何故、遺伝子は種を保存しようとするのでしょう?
種の保存は生物の最大の目的だとしても、その目的は何が原動力となっているのでしょう?
私達人間には理性があるから(他の生物にそれがあるかはわかりませんが)、種の保存が二義的な要因になりがちですが、生物全てを考えると、遺伝子の目的が「存在」するためだけであり、しかも目的とう見地からみると遺伝子を使役する者が、個体内の遺伝子というよくわからない状況になります。
つまり、遺伝子それぞれに遺伝子を使役する神のような絶対者がいるのでは?と思ってしまいます。

話しが長くなりましたが、何故生物は種を保存するのでしょう?
生きるためが目的だとするならば、何故生きようとするのでしょうか?

ご意見、お待ちしております。

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ベストアンサーに選ばれた回答
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bob_arikuiさん 2011/3/1919:48:13
質問者さんは種の保存を哲学的な視点で考え、生物学的な答えを求めておられるように見受けられます。

子孫を残そうとしない生物は必ずすぐに絶滅してしまいます。
生物として存在するからには必ず子孫を残さなくてはならないのです。
そのため遺伝子には必ず子孫を残そうとするプログラミングが存在します

ここには目的も意思も存在しません。

子孫を残そうとしない遺伝子を持つ生物はすぐに淘汰され、
「生き残った生物」=「子孫を残そうとする遺伝子を持つ生物」となります。

つまり、子孫を残そうとするから生物が存在するのであって、
存在するため子孫を残そうとする意思が生物にあるわけではありません。
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2017/10/07 01:11
神津氏は両会談の後、記者団に「理不尽な(衆院)解散なので、国民の怒りの受け皿として『1対1』の図式でしっかり戦うことが基本だ」と述べた。連合は民進党の最大の支持団体だが、民進が希望や立憲民主、無所属での出馬を目指すグループに分かれたことを受け、特定政党の支援を見送り、民進出身者を個別に支援する方針を決めている。
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2017/10/07 00:26
連合の神津里季生会長は執行委終了後の記者会見で「働く者の政策、思いを共有できる人を引き続きしっかり応援したい」と説明。民進党の前原誠司代表の希望への合流方針については「かなりの国民が安倍1強ではない、もう一方の受け皿を求めていたのは事実だ」と語った。

理不尽な解散
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2017/10/05 18:48
宇宙はいつか崩壊する? すべてを飲み込む「真空崩壊」とは
https://www.gizmodo.jp/2016/11/earth-could-disappear-because-of-what-might-be-happening-in-space.html
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2017/10/05 11:29
銃社会アメリカ 数字で見る被害と支持 - BBCニュース
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-41494344

------引用開始------

2015年には、銃による自殺件数は銃による殺人件数の2倍近くで、その割合は増加を続けている。
米疾病対策センター(CDC)と米自殺防止基金によると、銃による自殺は米国内の自殺件数の半数近くを占める。
2016年の米公衆衛生学会機関誌に掲載された研究によると、市民の銃所有率が高い州では、男女を問わず自殺率も高いという、強い正の相関が確認された。

------引用終了------

上記の引用によると、銃と自殺の数にも正の相関関係があるようだ。

自殺を減らすためにも、アメリカは銃のない社会にすべきだと思う。
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2017/09/28 08:31
自己成就予言

個人が、意識的あるいは無意識的に、自己の予言や主観的期待に沿うような結果を生じさせる行動をとったために、自己の予言や期待通りの結果が出現する現象。
または、そのような予言。

例えば、「血液型占いは正しい」という期待を持った時、A型で神経質な人とそうでない人の両方を見たにも関わらず、無意識的にA型で神経質な人のことだけを選択的に記憶していくことにより、「やはり、身近な人にもよく当てはまっているから、血液型占いは正しい」という期待通りの結果を自分で生み出してしまうという現象などがそれに当たる。

他にも、他者または自己自身に対するレッテル貼りの効果、実験場面における実験者効果、教師の期待のピグマリオン効果、役割の内面化、などが知られている。
いずれの場合にも、本人には、自己の予言や仮説が客観的に確証されたようにみえる。
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2017/09/25 01:38
「日本の曖昧力」呉善花(オ・ソンファ) 著

この本は「曖昧」を日本文化だといって、その利点を書いている。

『「イエス」「ノー」とはっきりしないと先に進まないのは、物や機械という「科学の面」である。
しかし、人の心には分けることのできない「中間がある」ことを知っている日本の文化は、「曖昧」で「相手を認める」システムである。

「イエス」と「ノー」しか認めないと、「キリスト教」しか認めない、あるいは「イスラム教」しか認めない、と相手を消してしまわないと解決にならない。
そうした場合「和を持って尊し」とするなら、相手も認めることができ世界の紛争の半分以上、99%は解消される。

和を尊ぶ精神は「議論」した場合、相手との争いを好まないから相手をやり込める手段には弱い。
しかし、ディベートを最上の手段とする西洋の価値観は、武力を背景とし、議論がむちゃくちゃの場合が多い。

「イエス」と「ノー」しか認めない「西洋の思想」や「グローバルスタンダード」を尊重しすぎると、自分と違うものを排除する方向に行ってしまう。
それは、強者が繁栄するには都合がいいかもしれないが、弱者を認めない考え方である。

「和という精神」で負け側も勝ち側も一緒にともに生きていく聖徳太子の精神は、人間が滅びない知恵が含まれているのだろう。』
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2017/09/25 01:37
次のサイトによると、

日本人の社会人学力は世界1位(2014年の記事)
http://menzine.jp/trivia/nihonjinheikingakuryoku5235

「平均学力(読解力、数的思考力)が世界1位ということで、読解力、数的思考力の著しく低い人は稀で、代わりに突出した人もそれほどではないというのです。

だから、外国人は年収と学力が比例する圧倒的学歴社会であるのに対し、日本は貧富の差、年収に関係なく、ブルーカラーでも欧米のホワイトカラー並みの学力なのは驚きです。

その結果、社会人になっても日常で文章を書くことが日常になっています。」

ということなので、平均ではあるが、私は日本全体としての「論理的思考力」は、世界の上位、もしくは世界1位だろうと思う。
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2017/09/22 16:47
【進化】性感染症がヒトの一夫一婦制を助長した可能性
http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/10628

【引用開始】

一夫一婦制がヒトの社会で見られるようになったのは、性感染症(STI)の流行の影響を受けてのことだった、という結論を示した研究論文が掲載される。

今回の研究では、大規模なヒト集団においてSTIの伝播が拡大したことが、早期に定住した農耕民において一夫一婦制が出現した機構だと考えられることが明らかになった。

歴史上、ほとんどのヒトの社会は一夫多妻制だった。

【引用終了】

*一夫一婦制が現れ始めたのは約1万年前からと言われている。
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2017/09/20 08:14
恋愛中は恐怖や悲しみを感じにくい!

恋愛中の人に、恋人の写真を見せたら、快感をもたらす部位が活性化する(たとえば、好みの食べ物を口の中に入れたときの反応をする)ことがわかった。

その一方で、逆に活性化しない部位もあった。

その部位とは、恐怖や悲しみ、気分の落ち込み、攻撃の感情などを生じさせる出来事を記憶する部分であった。

つまり、恋愛中の人は恋人といる場合には、恐怖や落ち込みといった気持ちになりにくい状態にあると言える。
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2017/09/12 15:36
カブトムシの箱

各人に自分だけが中を見れる箱が1つ与えられているとしよう。

箱の中には「カブトムシ」が入っている。

誰もが箱の中身をカブトムシと呼んでいるが、それを他人のカブトムシと比べあわせたことはない。

各人は自分が持つ箱の中だけを見て、それがカブトムシであると考えているのだ。

他人の箱の中身がまったく別物であるということもあり得る。

実は箱には何も入っていないということもあり得る。

この実験の肝は、他人が知ることのできないものについて言及しているということだ。

どんな子供でも、ある時点で彼らの目に映る青い色が他人が見ているものと同じであるかどうか疑問に思う。

あなたが痛みを感じたとき、それが他人の感じる痛みと同じであるとどうしてわかるだろうか?
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2017/09/10 22:58
[哲学と宗教]

「自分であること、生きて死ぬこと。
(中略)
このわけのわからないこと、わかるはずのないことを、わかったと思っているのが「信仰」。
彼らには、「わからない」ということの凄さに、耐えるだけの力がなかったのだ。」池田晶子
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2017/09/10 21:54
『議題については、全ての問いは根底で合い通じていますので、特に制限はしません。』

以上はある哲学サークルの紹介文であるが、私もこの考えに賛成である。
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2017/09/10 21:18
【不完全と進化心理学】

私たちは自分たちのことを不完全なものだと感じているが、それは真理だろうか?

不完全が完全なもので、完全なものが不完全であるという視点から見れば、私たちは完全なものであろうし、

完全が完全なもので、不完全なものが不完全であるという視点から見れば、私たちは不完全なものであろうし、

それが哲学であるが、では、なぜ私たちは不完全な生き物だと感じるのだろうか?

その問いに対して進化心理学は、 「その感情をもっていることは、進化の過程において適応的(生存や繁殖に有利)であるため」 と答える。
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2017/09/10 12:55
【功利の怪物】

功利主義とは、最大多数の最大幸福を旨とする規範だ。

いかにも完璧に聞こえる教条の限界を示すのが、この思考実験である。

ある科学者が普通の人よりも物事から功利を引き出せる存在を作り出したとしよう。

私たちはケーキを食べれば、一定の幸せを感じるだろう。

しかし、功利の怪物はその1,000倍の幸せを感じることができる。

もしケーキが1つしかなかったとしたら、最大の幸福を得るためにそれを功利の怪物に与えるべきだ。

ケーキが2つであっても、2つとも与えるべきだ。

功利の怪物が一般人よりも多くの幸福を得ている限り、功利主義では大多数の人々を不幸にすることになる。

それでも世界全体で見た場合の幸せの総量は最大のものなのだ。
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2017/09/10 12:54
【水槽の脳】

実はあなたは自分の目でこの投稿を読んでいるのではないとしたらどうだろうか?

本当のあなたは水槽の中に沈められた脳なのだ。

あなたは様々な状況を認識していると思い込んでいるが、それは剥き出しの脳に感覚データが与えられている結果だ。

あなたが見聞きし、触れるものすべては灰白質に流れる電気信号でしかない。

このシミュレーションシステムが完璧なものであれば、あなたの存在の性質を反証することはできない。
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2017/09/10 00:47
【ブレーンストーミング】日本「将来どのような国になって欲しいか?」
という問いに関することを、ご遠慮なく、投稿してほしい。

*将来:現在~約50年後までで、「未来」ではない。

【ブレーンストーミングの説明】

次の方法で、議論を進めていきたいと思う。

「ブレーンストーミング」

アイデアを創造する技法の1つ。
集団(グループ)で行うもので、あるテーマに対し、各人が思いつくままにアイデアを出し合っていき、あとでアイデアを整理しまとめあげるというもの。
実施にあたっては、次の4つのルールがある。

1)他人のアイデアを批判しない。
2)自由奔放なアイデアを歓迎する。
3)質より量、アイデアは多いほどよい。
4)他人のアイデアを活用し、発展させる。

【ブレーンストーミングの後】

アイデアを整理しまとめあげ、新たにトピックを作って、各アイディアについて議論しあう。

ブレインストーミング - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0

政治哲学 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%93%B2%E5%AD%A6
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2017/09/07 06:12
【洞窟の比喩】

プラトンが考案した洞窟の比喩は、彼の現実に対する考え方を説明する。

プラトンにとって現実とはより高次の現実の影に過ぎなかった。

すなわちこうだ。

あなたは洞窟の中で鎖につながれていたとしよう。
見えるのは目の前の壁だけだ。
そばに同じく鎖につながれた人々がいるようであるが、姿を見ることまではできない。
背後には炎があるらしく、壁を照らしている。
炎と壁の間を人が通るたびに、壁に影が映り、音がこだまする。
あなたが知ることができるのは、そこにある影だけである。

あるとき自由になり、後ろを振り向いた。
するとそこには炎とそれに照らされ影を伸ばす物があった。
また洞窟からも抜け出すことができた。
太陽の光で目がくらむが、現実をついに知ることになる。

だが、鎖につながれている他の人々に現実の真の姿を伝えても頭がおかしいと思われるだけだ。
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2017/09/06 18:28
利己遺伝子論が正しい理論で、AIが進歩した末の世界はどうなっているのだろうと、思いめぐらす時がある。

その世界とはこうだ。

それは、1.あらゆる生命を作り出すことができるロボットと、2.遺伝子のもととなる原子、だけが存在する世界である。
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2017/09/04 16:59
モデリング (心理学)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0_(%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6)

幼児に大人が人形を殴ったり蹴ったりしているビデオを見せると、その子も同じような攻撃的な行動をするらしい。

それを専門用語でモデリングといい、子供がそのシーンを学習してしまうのだが、テレビの影響には注意が必要だとのことである。

ただし、この学習による長期的な影響は不明らしい。
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2017/09/04 13:59
【マスメディアの影響】

テレビ、新聞、雑誌などのマスメディアやインターネットなど、私たちは膨大な情報に囲まれている。

そして、マスメディアの影響については、

1.強力効果

マスメディアの報道内容に大きく影響を受けている

2.限定効果

家族や友人など身近の人々によって承認された情報を信じるため、マスメディアの影響は限定的なものである

という2つの考え方もある。
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2017/09/02 14:56
【民主主義と進化心理学】

なぜ民主主義は良いのか?という問いに対して進化心理学は、

「民主主義は良いという感情をもっていることは、進化の過程において適応的(生存や繁殖に有利)であるため」

と答える。
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2017/09/02 14:41
【TVと民主主義】

曽野綾子はTVが普及していないところには本当の意味での民主主義は育たないと言っているが、理想を言えばきりがないが、私は現実的にはそうだと思っている。

つまり、民主主義にとっての最低限の条件はTVの普及ということである。
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2017/08/08 10:25
「頑固オヤジ」の原因は脳にあった
http://diamond.jp/articles/-/2710?page=2

【引用開始】

脳が若くて柔軟であれば、そのエネルギーも苦にはなりません。
相手の脳が発信する情報をきちんと受け止めるし、それを理解しようと努力します。
それとともに、自身の情報をあらゆる回路を通して発信し、理解してもらおうとします。

しかし、年齢を重ねるごとに、脳内のエネルギーが不足し、コミュニケーションのための努力が煩わしくなってきます。
ときには、相手が発する情報によってみずからの脳の世界が崩されるような脅えさえ感じてしまう人もいます。

ですから、エネルギーを使い、煩わしさを感じるよりは、みずからの主観的な脳にこだわって“閉じた世界”にいたほうが楽で、心地がいいのです。
自身が正しいと感じていればなおさら。
そうなると、すべての努力を放棄してしまうのです。

その結果、自身の脳から情報を発信することや情報を受け取ることが極端に少なくなっていきます。
脳内の言語機能が低下し、相手の言葉に対しても耳をふさいでしまいます。

第三者がそれを見たとき、その人間を「頑固者」と呼ぶのです。
ただし、頑固者になるのは老人だけには限りません。
若い脳の持ち主も努力を惜しめば、「頑固者」と呼ばれたりすることもあるのです。

【引用終了】
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2017/08/06 18:06
【人はロボットとなる!】

ロボット工学の教授 石黒浩さんは、有機物でできている私たちは太陽の放射線などによって絶滅する恐れがあるので、無機物でできているロボットとして生き続けるだろうと考えている。

つまり、彼も「人は種の保存のために生きている」と考えているのである。
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2017/08/06 17:28
池田晶子さんは次のようなことを言っている。

『普通、人が「死ぬ」という言葉で表象するものは、他人の死と自分の死をごっちゃにしたものです。
他人の死、あるいは他人の死体を見て、あれが死だとは思いますが、自分が死ぬことは、どう考えても考えられません。
なぜならば、自分は現に生きているからです。
自分の死というものは、よく考えると考えられない。
なぜならそれは、どこにも「ない」からです。

これは、本当に気がついてみると、「あっ」と驚くことなんですよ。
「えっ」と本当に思います。
「何だこれは」と。
つまり、「生きる」に対して「死ぬ」と、普通無自覚に使っていますが、よく考えると、生き
ると死ぬと対にはならないことに気がつくわけです。
生に対して死があるわけではない。
言い換えれば、生きている、生存している、つまり存在しているということしか、われわれは知らない。
なぜならば、無としての死は、存在しないからです。
無が存在したら、無ではないですからね。

これが端的に存在の謎です。
なぜ在ることしかないのか。
それはいったい何なのだ。
存在とは何だ。
とんでもないことです。』


『死は人生のできごとではない
https://ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-12298821427.html

御坊哲さんのブログ』

そして、上記の投稿を拝見して、池田晶子さんはウィトゲンシュタインと同じ感覚を抱いていたのではなないだろうかと感じたが、

彼女はウィトゲンシュタインとほぼ同じ意見だったのかもしれないと思うのは私だけだろうか?
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2017/08/06 16:55
「自分が自分の意志で生きていると近代人は思い込んでいますけれど、そんなの嘘っぱちですよ。
だって、命は自分が作ったのではないのだから。
そうすると、今ここに命をもって生きているということは、いったい誰の意志なんだろう・・・。」池田晶子

上記の文章で、彼女が言おうとしていることは何なのか、わかる人はどれだけいるだろうか?
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2017/07/07 11:01
【日本の投票率と日本の社会の関係】

下記のグラフを見ると、戦後の投票率の推移は年々低くなっている。

がしかし、日本の景気や治安や生活の質など、社会への不満は年々低くなっているのではないだろうか?

つまり、私が言いたいことは、単純に投票率が高いからと言って日本の社会が良くなるとは言えないということである。

それに、下記のグラフを見ると、かえって社会に不満が多い時こそ投票率が高いように思える。
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2017/06/25 13:44
使う言語が「世界の見え方」を決めている (2/2)

では、バイリンガルな人々の場合はどのようなことが起こるだろうか。
また、こうした違いは、言葉を使って物事を表現するときだけでなく、物事の捉え方などの非言語的な場面でも現れるのだろうか。
こうした疑問に答えるためにアサナソプロスのチームは、英語とドイツ語を母国語とする人たちに、「歩く」「自転車に乗る」「走る」「車を運転する」といった行為をしようとしている人の動画を見せた。
動画は、目的が曖昧なもの(ある女性が自動車に向かって道を歩く)、目的が明らかなもの(建物に入る女性)、記録された行為が厳密な目標を欠くもの(歩いている女性)の3つ1組で提示される。

次に研究者たちは、目的が曖昧な動画が、明らかな目的を伴う行為を見せる動画と目的の欠如を示す動画のどちらにより近いかを、参加者たちに尋ねた。

回答が言語的側面だけでなく、行為の非言語的分類にも関わっているこの場合も、英語を母国語とする人とドイツを母国語とする人の間では違いが出た。
英語を使う人は、曖昧な行動と目的を欠く行為を結びつけることがより多かったが、ドイツ語を使う人はその逆だったのだ。

では、バイリンガルの場合はどうだろうか。
英語もドイツ語も流暢に話す人々に実験を受けてもらったところ、答えは被験者がその瞬間に使っていた言語によって変わることが明らかになった。

バイリンガルの人々がドイツ語を使っているとき、彼らの回答はドイツ語を母国語とする人のものに近かった。
逆も然りである。
さらに、実験の途中で使う言語を変えてもらうと、答えもまた変わったという。

アサナソプロスが説明しているように、使う言語によって自分の人格が変わっているように感じる人は多い。
そして実験の結果は、この感覚が正しいということを裏付けているようだ。

【引用終了】
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2017/06/25 13:42
使う言語が「世界の見え方」を決めている (1/2)
http://wired.jp/2015/05/18/language-changes-your-view-of-the-world

【引用開始】

オーウェルは、言語と思考は互いに結びついていて、世界を知覚する際に、わたしたちは自分が使う言語の影響を受けているのだと考えていた。

『Psycological Science』誌で発表された新しい研究は、このオーウェルの考えを裏付けるものである。
バイリンガルの行動と周りの世界の捉え方は、その瞬間に話している言語に依存する。
そして彼らは、使用する言語を変えると、同時に行動や物事の捉え方も変化させるというのだ。

研究では、ふたりの人物がまったく同じ出来事を目撃しても、その捉え方は各々が使う言語によって異なるということも明らかになった。

研究を行ったランカスター大学の言語学者、パノス・アサナソプロスは、被験者に、自動車の方向へと歩いている人物の動画を見せた。
その様子を言葉で描写させたところ、英語を母国語とする人の多くは「人が歩いている」動画だと答えたのに対し、ドイツ語を母国語とする人の多くは「自動車に向かって歩いている人」の動画だと答えたのである。

つまり、ドイツ語を母国語とする人は、人物の行為だけでなくその目的も一緒に描写する傾向があるのだ。
なぜなら彼らの言語は、出来事を全体において考察する、全体論的観点をもつ言語だからである。
これに対して、英語を話す人は、行為そのものだけに注意を集中させる傾向を持っているようだ。

(中略)
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2017/06/24 02:44
[種の保存のために生きているのは、結果ともいえるが目的ともいえる]

現在から過去を眺めれば「種の保存」は「結果」といっても良いかもしれない。

しかし、現在から未来を眺めれば「種の保存」は「目的」といえるのではないだろうか?

たとえば、

1.「過去」の5度目の巨大な隕石によって恐竜が絶滅した「結果」人類は誕生したといわれているが、

2.「未来」の6度目の巨大な隕石などによって地球上の人類が絶滅する可能性があるので、

3.「現在」人類が地球外でも生き続けることができるなど人類が絶滅から逃れる、その「目的」のための研究が盛んに行われている。
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2017/06/24 00:39
ハンナ・アーレントは、数百万人と言われるユダヤ人を収容所へ移送したナチス戦犯、アドルフ・アイヒマンの歴史的裁判に立ち会うこととなった。
アーレントは、戦犯アイヒマンの話を聴き、観察していくうちに「アイヒマンはヒトラーに命令されて任務を遂行しただけの、どこにでもいる平凡な人間ではないか」と考えるようになる。
ここからアーレントは、「私たち人間の誰しもがアイヒマンのような残虐な行為を行いうるのではないか」と考え始める。
そして、「人間は自分自身の頭で考えることを放棄した場合、社会の状況によっては、悪に手を染めうるのではないか」「人間が思考するのをやめるということは悪に結び付くのでは」という考えに至る。
(悪の凡庸さ。)

この考えを含め、「ユダヤ人指導者がナチスに協力していた」というホロコーストの新事実を記した衝撃的なレポートを、ザ・ニューヨーカー誌で発表したことによって、世界中で大批判が巻き起こる。
親しかった友人からも、激しい非難を浴びせられることとなった。

しかしアーレントは思い悩みながらも自身の考えを信じ、「考えることで人間は強くなる」という信念の下、自身の考えを主張し続けた。
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2017/06/22 16:52
人生に勝ち負けはない

「人は何のために生きているのか?」の問いに、究極的には誰も答えることができない。

もし、生きている目的があったとしたら、その目的を達成した人は勝ち組になるだろうし、その目的を達成できなかった人は負け組にだろうが、それがわからないのだから、どのような生き方をしたとしても勝ち組だとか負け組だとかはない。

つまり、どのような人生であっても良い人生だったとは言えないが、どのような人生であっても悪い人生だったとも言えないということである。

私は、そう思っている。

人生における自己評価で、卑下(ひげ)することなかれ、されど、驕(おご)るなかれということである。
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2017/06/22 11:27
「私たちが感動するのは何のためか?」という問いに対して、「全ては種の保存のため」と答えた人がいるが、実は私もそう思っている。

「全ての、なぜ?」、「全ての、何のため?」という問いに対して、「種の保存のため、種の繁栄に有利なため」という答えだと、そのなぜ?、その何のため?を理解することができるし、その答えに納得することができる。

例えば、私たちが過去、現在、未来という時間の感覚を持っているのは、「種の保存のため、種の繁栄に有利なため」だと解釈すると私は大いに納得できるのである。

【参考サイト】

人間の行動と種の保存
http://www.tek.co.jp/president/article.html
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2017/06/17 20:28
*「糧ゴリー」に「投票に行こう」というトピックがあるようだが、そのテーマについて約5年前に書いた私の記事を投稿する。

前回の参議院選挙で投票日の一週間前にある政治評論家が、「棄権をしないで投票へかならず行ってください」というようなことを言っていた。

その政治評論家は投票率が低いことを嘆(なげ)いていたが、なぜ投票に行かなければならないのか?その根拠は言わなかった。
ただ投票しないことは悪いことだと、盲信しているように見えた。
私は納得できる根拠のない意見には、絶対に賛同しない。
たとえ根拠があったにしても、自分の頭で考えて納得できない意見は受け入れない。

私は投票に行かないことは、決して悪いことだとは思わない。
投票率が100%の場合と10%の場合で、当選者が同じであれば結果は同じではないか。

ではなぜ、投票しにいかない人がいるのだろうか?
その主な理由は「誰に投票しても自分の生活が変わらない」とか「投票したい人がいないから」ではないかと思うが、このことは市民が棄権という行為で自分の意志を示していると思う。

私は投票率が低い原因は、市民がわにあるのではなくて政治家がわにあると思っている。
本来、政治家や立候補者がわにある責任を、市民がわに押しつけている。

政治家は投票したくなるような政治を行うべきであり、投票へ行こうと思う立候補者をたてればいいのだ。
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2017/06/17 18:11
私の哲学とは、

「本当のことはわからないとわかった上で、ここ迄はわかると言えるところ迄、そして納得できる迄、論理的に考え抜くこと」

だと思っている。

しかし、ほぼ全員と言っていいほど「本当のことはわからないということが、わかっていない」ことに呆れている。
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2017/06/17 16:37
量子論における最小の時間であるプランク時間の視点からの「時間とは」

量子論における最小の時間であるプランク時間は5.391×10の-44乗秒であるが、過去を-プランク時間とし、今を0(ゼロ)秒とし、未来を+プランク時間としよう。

そうすると、物理学としてではなく人として哲学として、プランク時間の差は同時と言っても良いように思える。
つまり、過去と今と未来のプランク時間の差は0(ゼロ)とみなして良いのではないかと思える。

ということは、物理学としてではなく人として哲学として、時間とは「過去のみ」とも言えるし、「今のみ」とも言えるし、「未来のみ」とも言えるのではないかということである。
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2017/06/17 11:39
科学でいえば基礎科学にあたる基礎哲学から卒業して、その基礎哲学をもとに、科学でいえば応用科学にあたる応用哲学を語るのがレベルの高い哲学だと思うのだが、いつまでも基礎哲学にこだわっている人がいることに呆れている、辟易している。

たとえば、基礎哲学をもとに、日本の将来の社会はどのような方向に進むのが良いのだろうか?、などを語ってみたらいかがだろうか?

マイケル・サンデルみたいに。
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2017/05/12 15:18
生物学者リチャード・ドーキンスのいう「利己的な遺伝子」という考え方

遺伝子が「利己的」に自分のコピーを再生産することしか「考えて」いないがゆえに、それにあやつられている生物は、個体レベルではときには利己的に、ときには利他的に振る舞わざるを得ない。
これが、生物学者リチャード・ドーキンスのいう「利己的な遺伝子」という考え方である。

この「利己的な遺伝子」というキャッチフレーズとともに、生物は利己的な遺伝子に操られているから、その本性は結局利己的なのだ、人間だっていろいろ綺麗ごとを言っても、やっぱり例外じゃない、というような間違った解釈が広く流布するようになった。

こうした解釈は、人間の本性は「良い」もの、つまり利他的なものであってほしい、たとえ本性が利己的であっても学習によってそれが克服可能だ、と考える人たちを立腹させることになったのだが、これは、遺伝子レベルの利己性と個体レベルでの利己性の混同にもとづく誤解だ。
遺伝子が利己的であればこそ、個体はときには利他的に振る舞わざるをえないのだ。

しかも、生物学でいう利己的とか利他的とかいうのは、あくまでも自分の遺伝子のコピーをたくさん残せるかどうかという視点から定義されているだけである。

*余談ではあるが、自然選択は、つねに最大の繁殖成功をもたらすような行為に最大の快楽を感じるような神経系を優先的に繁栄させる。
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2017/05/12 13:45
戦争と科学

戦争があることによって科学技術は進歩するというのは、恐らく正しいことなのだろう。

過去の歴史を見れば戦争の敵の存在が科学技術の発展を急速に早めたのは確かだし、原爆は原子力発電を、ミサイルの弾道計算がコンピュータを、レーダー開発が電子レンジを、軍用衛星測位システムがGPSを、などなど実例にはいとまもない。

もともとは違う目的だったのに、戦争目的で急速に技術開発が進む事もある。
たとえばインターネットはアメリカの大学間の論文検索の利便性を向上させる目的だったが、軍用に転用した事で急速に技術が発展し今に至っている。

目的が異なるならば研究の進展も異なるだろうが、戦争の敵に勝つという目的であれば研究者のモチベーションは否が応にも高まるのに決まっている。
なにせ国や家族の生命がかかっているのだから。
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2017/05/04 17:47
>9条の2項
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と書いておきながら
日本や世界から「国際貢献や集団的自衛権」を求められる「自衛隊」
この現実は
「改憲反対=条文を一文字たりとも変えさせない」という精神とは矛盾はしないと思われますか?

『 いまさら聞けない「憲法9条と自衛隊」~本当に「憲法改正」は必要なのか?(木村 草太)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49041 』のサイトも見て頂ければ幸いです。

「日本国憲法 第13条
すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

日本国憲法の第9条がいかなる条項であっても、上記の第13条の「生命~最大の尊重」によって「自衛隊」を合憲にしてきたのは「自民党」であり、私もその解釈で良いと思っています。

そして、上記の第13条により基本的には「自衛隊」はあくまでも自国である日本の正当防衛のみに発動されるものであると思っています。

しかし、「国際貢献」に関しては、武装した警察官が行える範囲内で「国際貢献」をし、それも「自衛隊」で良いんじゃないかなぁ~と思っています、個人的には。
なら、警察でも良いじゃないかと言われるかもしれませんが、「自衛隊」は衣食住も自らできたり、医療や土建業も自らできたりで、色々と警察より利点が多いので、「自衛隊」で良いんじゃないかなぁ~と思っています、個人的には。

「集団的自衛権」に関しては個人的には賛成なのですが、それでもあくまでも『上記の第13条により「自衛隊」はあくまでも自国である日本の正当防衛のみ」』に貢献する範囲内なら良いと思っています。

【最後に】

では、なぜ私は第9条の改憲に反対するのか?の理由ですが、

1.「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という条項の方が、軍隊が暴走する可能性が低くなると強く思っているからです。
2.その条項の方が、戦争や紛争で外交問題を解決しにくくし、できるだけ話し合いで解決するよう努力するだろうと強く思っているからです。
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2017/05/04 11:03
なぜ自殺してはいけないのか?

進化心理学の根幹は次の通り。
「その感情や特徴をもっていることは、進化の過程において適応的(生存や繁殖に有利)であるため」。

なぜ人を殺してはいけなのか?という問いに対して進化心理学は、
「人を殺してはいけないという感情をもっていることは、進化の過程において適応的(生存や繁殖に有利)であるため」
と答えるが、私はその答えに納得する。

しかし、「自殺してはいけないという感情をもっていることは、進化の過程において適応的(生存や繁殖に有利)であるため」
という進化心理学の答えには、私は納得できない。

私はなぜ納得できなのか考えてみたら、ある答えがでた。

うつ病や自殺がなかったと思われる狩猟採集の生活を数百万年つづけそれに適応している私たちは、「自殺してはいけないという強い感情をもっている」ようにはできていないのではないか、ということである。
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2017/05/01 17:27
池田晶子

存在が存在するということは、これ自体が驚くべき奇跡なんだ。存在するということには意味も理由もない、だからこそ、それは奇跡なんだ。自分が、存在する。これは奇跡だ。人生が、存在する。これも奇跡だ。なぜだかわからないけれども存在する自分がこの人生を生きているなんて、なんて不思議でとんでもないことだろう。
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2017/04/21 10:07


「情動」というから、それは人間と動物に限られるように聞こえますが、どうもそれだけではなさそうだ。
「好みのオス」「好みのメス」という原始的なレベルをさらに遡ると、原子レベルにすらこの「情動」は働いているのではないか。

ある原子とある原子の間で作用している引力と斥力、これ自体、そもそも何なのか。
「引き寄せる」「斥ける」とは好き嫌い以外の何ものでもないと、私には見えます。

「どういうわけか」好きなものはどうしても好きで、嫌いなものは、どうしても嫌いだ。

この「好き嫌い」の説明不能性を、物理的初期条件に似たものと解します。
すなわち、この宇宙が存在した刹那、このようでなくてもよかったのに、このようであったという、まさにそれが嗜好です。
どうしてそうなのか、宇宙自身にも説明不可能でしょう。だってどっちでもよかったんだから。

好みは個人的にして主観的なものだという理解が如何に浅いか、おわかりでしょう。
好みは個人のものではない。個人なんてものをはるかに超えて、宇宙へ通じる深い謎です。
宇宙生成の動因ともいうべき、不可知の力なのですよ。

これ以上は遡れないという自分の嗜好、つまり原点に気づいた時こそ、人は、自分の魂の求めに従い、自ずからの人生を送ることができるようになるのでしょう。』
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2017/04/21 10:05
考えるということは、疑うということです。
自分の、他人の、あらゆる言動や心の動きを、これは何か、本当か、真実はどこにあるのかと、徹底的に疑うことで、真実は初めて見出されるのです。
信じるために、徹底的に疑いなさい。

考えることは、悩むことではない。
人が悩むのは、きちんと考えていないからに他ならず、きちんと考えることが出来るなら、人が悩むということなど、じつはありえないのである。
…悩むのではなく考えるということが、いかほど人を自由に、強くするものか。

よりよい生活が人生の目的だとは思いません。何のために生きるのかを考えることこそが大事なことです。

モノによって満たされるココロもあれば、モノによらずに満たされるココロもある。
いずれにせよ、満たされて幸せだったり、満たされなくて不幸だったりすることが出来るのは、モノのほうではなくて、いつでもココロなのだ。
そしてこういったモノに対するココロの絶対優位を自覚しているココロこそが、この世のあらゆる物事を、本当に楽しむことが出来るのだろう。

覚悟はあるなら、人生のたいていのことは、なんとかなるのではないでしょうか。
「なんとかなる」というのは、決断を誤らない、失敗をしないということでは決してない。
決断が決断である以上、それが誤る可能性、失敗する可能性は必ずあるわけですが、それらのリスクをも引き受ける覚悟で決断する、
そういう心の構えがあるなら、結果は実は二の次ではないかということです。

悲観も楽観もせずにいるのがいいのです。
「いい」というのは「望みがかなう」ということではなくて、そういう望みをもたないことが結局一番「いい」ということ。
なぜなら、わかりっこない先のことを、あれこれ思い煩うから、人間は不幸になっている。
でも、いま幸福にならずに、いつ幸福になるつもりなんですか。

死ぬとか病むとか老いるとか、当たり前のことを否定として捉えるから人は苦しむことになるのでしょう。
やはり、当たり前を当たり前として捉え、なおそれを楽しむという構えが、ひょっとしたら人生の極意なのかもしれません。


『人間は常に客観的中立的に判断し、生きるべきだと言う人はいるかもしれません。
しかし、そのように客観性を求め主観性を排すという態度自体が、その人の好み以外ではありえない。
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2017/04/21 10:03
人生の状況は一瞬として同じではない。
だからこそ我々は状況に応じてその善悪を、自由に判断すべきなのであって、規則に判断を委ねるべきではないのである。
規則に判断を委ねてしまうと、人生は本来危険なものだという常識を、人は忘れる。

私は法律を守ろうと思ったことなどない、結果として守ることになっているだけだと書いた。
今回は逆である。私は規則を尊重しようと思う、結果として破ることになっているだけだ。
守っても破っても同じである。私にとって規則とは、しょせんはそんなものである。
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2017/04/21 10:02
キリギリスよりもアリのほうが賢い人生を送ったというのは、絶対にウソだ。
人生の不思議と哀しみを、心に深く知っていたのは、うわの空で生きていたキリギリスの方だった、と私は思う。
行き倒れて雪の降り積む彼の顔の上には、すべてこれでよしという至福の笑みが、広がっていたのではなかったか。
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2017/04/21 10:01
どんなに頑張って、どの角度から考えてみても、無なんてものは絶対に無いのだ。
…無は無いから無なのだった、我々には在ることしか出来ないのだった。
生きようが死のうが、存在することしか我々には出来ないのだ。
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2017/04/21 09:48
『14歳からの哲学』

「誰にも迷惑かけないのに何が悪いの」というのも、売春する子の屁理屈だ。他人に迷惑をかけることが悪いことなのではないということは、「規則」の章で考えた。その通り、その子が売春したところで、誰も迷惑は受けないし、悪くなることも何もない。だけど、この世の中でたった一人だけ、大変な迷惑を受け、大変悪いことになる人がいる。売春しているまさにその子だ。心も体も大事にしないで、それが悪くならないはずがないじゃないか。自分が悪くなることをすることが、どうしてしたいことをしていることになるだろう。
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2017/04/20 10:16
「言葉の上の議論をやめ、現実に目覚めよ!」

などと、野暮な人間は口走る。

逆である。

言葉を愛することのできない人間に、現実という意味はわからない。

すべての議論が言葉により為されているという現実について、考えたことがありますか?
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2013/09/15 05:58
〉なつみさんへ

コメントありがとうございます。

私も十数年前に、映画「レ・ミゼラブル」を観たことがありますが、おそらく、なつみさんが観たのとは違う古いものだと思います。
そして、当時は私も、感動したことを今でも覚えています。

あと、それ以降にもテレビで、海外ドラマにしたものを観ましたが、ドラマだと映画と違って、次週はどのような展開になるのか早く知りたくて、翌週の放送が待ちどうしかったことも今でも覚えています。
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2013/09/14 20:56
初めてコメントさせていただきます<m(__)m>
感動した映画はレ・ミゼラブルです。
人の悲しさ・生きることの苦しみをみごとに描いた作品だと思います。
あんなに泣いた映画は初めてでした。
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2012/08/04 21:37
私が一番怖かったのは「パラノーマル・アクティビティ1・2・3」と

「インシディアス」です ((o(。+ +。)o)) ブルブル...

邦画では哲学さんと同じ「リング」です。
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2012/07/23 18:29
「貞子」おもしろいっていうか怖いですよね!
テレビからゆらりゆらりと出てくる・・・見の逃がせませんね^^
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2012/07/22 14:29
感動したドラマは、、、前にTVでやってた
「南極大陸」です!
タロジロは、すばらしい犬です。
レンタルDVDショップにて、レンタル中ですので、いかかでしょうか?

「南極物語」というものもありますよ。。
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2012/07/22 08:34
わたしは、「パラノーマル・アクティビティ」シリーズ かな。
おすすめです!



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