大河ドラマで飯盛山。
- カテゴリ:テレビ
- 2013/07/01 21:12:57
どうも、昨日の大河ドラマで、とうとう飯盛山の一件が出てきましたね。
会津に少々(ヘビーという訳ではないが)はまって、リピしてるんですが、
飯盛山にも行った事があったりします。
ボランティアガイドさんに付いて、説明を聞きながら周ってきたんですが、
白虎隊集団自刃について、お城が燃えていると勘違いして、
落ちたから帰るところが無いから自刃した・・・・、
っていうのが通説だったんですが、ボランティアガイドさんの話によると、
最近になって、関係者(詳しくは忘れたw)が告白したところによると、
実は、お城が落ちたと誤解して自刃したのではなくて、
お城が燃えているんじゃない事はわかってたんだけど、
ここで敵に捕まったら恥だということで、集団で自刃したとの事でした。
さて、大河ドラマではどちらの話が採用されるかな???と思ってみていたところ、
通説ではなくて、お城が燃えているんじゃないと分かってたけど自刃した。
という事になってました! 最新の説が採用されたわけですが、
「お城が燃えていると勘違いして自刃したんじゃないの?」って思った人も居るかもしれないですね。
飯盛山に行ってなければ、自分もそう思ったと思います(^^;
でもって、今では有名な白虎隊の最期の話ですが、
当時は、それが当たり前!という空気だったために特に世間から注目も浴びず、
悲劇として有名になったのは、随分後になってからだとの事でした。
#以上、殆どがガイドさんからの受け売りw
飯盛山は今は個人の所有物で、一般の方のお墓が沢山建ってましたよ。
白虎隊と同じ場所から鶴ヶ城を眺めて、お墓に手を合わせて、
ドラマにも出てきた、抜け道として使われた水路も見学して・・・・、
資料館も見て(遺品が並べてあって、とても生々しい(((( ;゚Д゚)))
飯盛山は、本当に白虎隊三昧でした。
共に戦って亡くなった女性達の慰霊碑みたいのもありました。
この間の3月にまた会津に行く予定たったのが、熱が出て中止(^^;
次回は、8月と10月に行く予定です~~。
大河ドラマ見たあとで、また飯盛山に登ってみたら、また感じ方も違ってくると思う!
陶器は会津本郷焼(特に酔月窯、流紋焼、樹ノ音工房、陶雅 陶楽)、漆器は会津塗りを愛用(^^;
部屋には赤べこや、起き上がりこぼうし3点セット、会津グッズ色々ですw
何日も持ちこたえたとはいえ、落城直後の写真を見ると、
もうぼろぼろですよね、よく頑張って耐えたものです。
現代の鶴ヶ城、とても綺麗です(当たりまえ)。
この間まで黒い瓦だったんですが、当時と同じ赤茶色の瓦に
葺き替えたそうなんですが、地元の人からすると、
黒いほうがよかった、らしいです。
見栄えか、当時に忠実にか、これもまた悩みですね。
>チキ(サブ)さん
お城が燃えてると勘違いしたんじゃなくて、お城が燃えてないことは
わかってたんだけど、敵に捕まったら恥だから自刃したそうですが、
そういう空気だったのもまた切ないですね。
「命あってのモノダネ」っていう言葉もあるのに、っていつも思ってしまうのです。
会津は面白いですよ~。一度行ったら面白くて嵌りました。
会津だから白虎隊&幕末、って限ったことではなく、
風景もいいし、野口英世関連の名所が色々あるし、ご当地B級グルメも美味しいです。
※ソースカツ丼とか、カレー焼きそばとか、ラーメンとか。
会津本郷焼は、ほとんどが実用使いで素朴な雰囲気の物が多いです。
>たむなすさん
会津、なにも白虎隊や幕末に限ったことではなく、景色もレトロな町並みもB級グルメも、
焼き物も、漆器も、みんなひっくるめて面白いです。
10月には、袴姿で観光して、写真に撮られたり、「はいからさんもカレー焼きそばを食べに来ました!」
ってカレー焼きそばの元祖のお店のツイッターに買い求めている後姿が掲載されたりしました(^^;
普通の着物もいいけど、袴が似合う感じの町並みです。
大河ドラマをきっかけに明らかになった事実もあったんですね。
はるか昔でもないのに、謎が多いものです。
白虎隊の、お城が燃えてると勘違いしたのではなかった新説のように、世間体を気にして
関係者が口をつぐんでいたこともあったかも知れません。
生き残った子、いましたよね。具体的な名前は覚えてないですけど。
それだから、あのエピソードが後世に伝わったわけで。
私は吾妻高原のほうへは行ったのですが、会津はパスしてしまって、今ちょっと後悔してます。
今回の大河ドラマを契機に研究が進んで新たにわかったこともあったと、先日新聞で読みました。
そんなに遠い昔でもないのに、知られていないことも意外にあるものなんですね。
八重さんの言葉を思い出した子が思いとどまるかと思ったのに結局自刃してしまって「えーっ」という感じでした。
生き残る子はいなかったのでしたっけ?
大河的にはやはり、覚悟の上の自刃・・だったのですね。。
白虎隊って、のちに有名になった事実だったのですか!
当時は当たり前・・そんな悲しいお話がいっぱいな世相だったのですね。。
次は8月ですか^^ 夏草や・・ 会津の夏って趣がありそうですね^^
結局集団心理に負けて、何とも無念でしたねえ。
しかし、天守閣と惣構って張り子の虎というわけでもなかったんですね。
あれだけ大砲ボンボン食らって、何日も持ちこたえるんやから。
昔の人の知恵と根性に感心です、しかも戦乱しばらくなかった時代なのに。