Nicotto Town


哲学的な何か、あと心の病とか


池田晶子「子供を産もうとしたことがない」

私は、子供を産もうとしたことがない。
ところがこれが、世に言う「ノー・キッズ」の思想とは根本的に違うものらしいということにも次第に気づいた。
私には、産む産まないについての選択肢というものが、はじめから、ない。
念頭をかすめたことさえも、ない。
つまり、あれとこれとをハカリにかけて勘案したうえに手にした決意ではなくて、私の思考のストックには、「自分の子供」という観念がそもそも存在していなかったのだ。

産んで産んで、また産んで、と続いてゆく人類の生の連鎖の無自覚さを、どこかで厭わしく思っているのだろう。
産む産まないは自ら意思したつもりでも、自らが存在したことは自ら意思したわけではない。
自ら意思して存在したわけではない生命に「価値」などない。
創生の意図を知ることができるのでなければ!

by 池田晶子「無自覚のまま生きられない私」


子供を産むということに対しては、実は私も池田晶子さんと同じ感覚を持っている。

但し、彼女が言っている『自ら意思して存在したわけではない生命に「価値」などない。創生の意図を知ることができるのでなければ!』には、私は同意できないし、そう言い切っている彼女に怒りさえも感じる。

が、その一方で、彼女がときおり行っている「問題提起」なのかもしれないと私は思っているが、その真意は私にはわからない。


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2013/12/18 20:53
彼女の言いたい事がよく理解できませんねぇ・・・

ただ、ここで言う「命」の話題になら私自身考えている事が有るので、その事をコメさせてもらおうかな。と思います。
少々長くなるのですが、お付き合いください。

私自身は子供を作る予定も、子供が欲しいとも思っていません。
まぁ、相手もいませんし(笑)
それに私は今生きている時代、私が過ごしてきた時。
そういう諸々を振り返った時、自分の来た朝と死んでいく夜自分の人生(ロマン)を肯定できません。
人間幸せな事と辛い事は半分ずつ、その人の心の持ちようで辛いことも最大の不幸にはなることもなければ
恵まれているはずなのに、自分が不幸であるかのように感じる事が有る・・・
多くの辛い日々の中に、小さな花をめでる幸せを知っているけれど、余りにも多く訪れてくる不幸に今生きている世界が良いものだとは言えません。
これからの時代、「生命(ヒト)」が廻り続けて行くには辛い時代であると思います
そんな時代を、そんな時を廻る命を守ることなど私には出来ない。
私は私が今生きるだけで精一杯で、この小さな両手の中に新しい命を抱える事は出来ないから。
自分が生きてきた「世界」を肯定できない。
自分と同じ想いを新しい命にさせたくは無い。
廻り続ける朝と夜に素晴らしいと思える「何か」を見つけることが出来なければまだ見ぬ者へ物語を続ける事は出来ない・・・

「君が来た朝を後悔するなら さらなる痛みを生むべきではない
 君が行く夜を肯定するなら その子もまた 人生(せい)を愛すだろう」

そう思っています。

そこにロマンはあるのかしら?(SoundHorizon Romanより)
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2013/11/11 19:39
子供が欲しかったけれど、持つ機会がなかったので、子供を、見ると、嬉しくてうれしくて、笑ってしまいますが、別になんでもいいんじゃないですか?自分の存在に対して肯定できれば、、、他者を認めることができれば、、、、
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2013/11/11 08:42
自分の本能のままに行動。結果として子どもが生まれた。
出産という未知なるものに接した瞬間に、今まで自分の中にある疑問等が理解できたことも・・・ある。
出産自体が私にとっての最大の・・・←当てはまる言葉が浮かばない。

で、ここまでの自分の性格とか感情的な部分を理解していたつもりだったが、
それが全てではないことに気づかされた。
ほほ~う♪^^このような感情、感覚が自分の奥底の潜んでいたのかと嬉しくなった記憶がある。
慣れと共に、その新鮮さは失われれていったが・・。

昨日、研修の帰りに同僚と話していたこと。
今、ここで二人で話が出来ていることも、実はすごいことだと・・・ご先祖さんがいなければ、
私たちの存在はない。

生きる・・・生かされる意味 わかろうとしなくてもいいこともあるもんね♪
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2013/11/10 15:27
池田さんについては、まったくの無知です。
この記事に書かれていることしかわかりません。
なので、同意です。と言い切れないし、異議も浮かびません。

「自分の子供という概念が無い」については
ノアの感覚と似ています。
ノアは、子供を持たない人生を選択しました。

以前から感じていたことは
存在の理由や価値は、自分視点にあるのではなく
他者にある。と

それは、簡単に言うと
生まれた自分じゃなくて
生んだ親にとっての自分
だったり
関わっている周りの人にとって
自分の存在がどんな影響を与えているか
だったり

みなが持っている
「何のために生きる」という感覚を
ノアや、池田さんが必要としない理由
(池田さんは、無価値とまで言い切っているようですが)
『自分視点では、他者の存在理由しか知りえないから』
に通じているのかもしれない。
と、感じました。

ノアが知っていることは
居てくれて有り難いと感じる人が確実に存在すること
(=その人の存在する意義)

自分の存在理由は、他者ありき。。。

気付きを、ありがとうございました。
アバター
2013/11/10 11:25
う~ん。色んな考えの方がみえますので、何とも言えないですが・・・
私の妹は半世紀も過ぎても、未だに独身ですので、全く意見も合わず
未だに、親と一緒に住んでますので、行動も子供の頃と同じです。
独身貴族で、あちこち世界旅行を楽しんでます。
私はと言うと、外国に一度も行った事が無く・・・それは、子供が居たからでも無いです。
子供は独立しましたので、今は子を一人の紳士として見ています。(どんな仕事をしていても)

この方は、素晴らしい感覚を持ってみえますが、経験してみると考えも変わって来るような気がします。
自ら意思して存在したいたわけではない生命に「価値」などない。
果たして、価値など無いのでしょうか。
産まれて来た意味は、自分がこの世を強く生きた時に分かる事なのかも知れませんね。
子供を欲しくても産めない方もみえるのにね。
家の妹は、私を見てて、子供を育てると言うのが大変だと分かって、自ら独身をつらぬいて
今や、彼氏も居ないんですけど、友人と旅行を楽しんでるみたいで、それはそれでいいのかと
私は私で、子が居て良かったと。
これは、自身の問題なので、結構、難しい思想ですね。



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