『哲学とは』開高健
- カテゴリ:日記
- 2014/01/08 20:44:59
哲学は、理性で書かれた詩である。
あれは詩なんだ。
論理と思ってはいけない。
詩なんだよ。
もう一歩つっこんでいうと、詩の文体で書かれた心の数学である。
もちろん、その理性の詩は感性で裏付けられている。
したがって、一度その詩から君が外れてしまうと、いっさいは屁理屈のかたまりにすぎなくなる。
その哲学者の感性および理性の周波数と、君の周波数とが一致したとき、それはみごとなボキャブラリーの殿堂になり、宮殿になり、大伽藍になることもある―――というこっちゃ。
by 開高健
私は、哲学は理性と感情で書かれた論理だと思っているが、開高健氏はそうは思っていなかったらしい。
彼の小説を読めば、そのことがよくわかる。
じつは、彼の小説の所々に、彼の哲学が散りばめられていたのだ。
それも、詩のような表現で。
詩は往々にして、読み手によって解釈が異なる。
曖昧な表現だからだ。
『様々な問題について、一切の思い込みを抜きに感じたことを考えて、本当のことはわからないとわかった上で感じたことを考える。』
を私は信条にし、曖昧な表現にならないよう努めている。
しかし、開高健氏の言うような哲学も、試みてみたい気がする。
何か新たなことが、見えてくるかもしれないからだ。
【閲覧者のみなさんへ】
忌憚(きたん)のないご質問やご批判も、大歓迎です。
お気づかいのなきよう、コメントして下さい。
バニラスカイ?トムクルーズと共演のかしら。。それだけ見てない(;・∀・)
いろいろな言葉を並べて描いてみる。
そう、いわゆる詩のようなエッセンスも散りばめられていますよね。
言葉の意味の捉え方の違いによって、ニュアンスや伝わり方や微妙にズレて、
感動や感情が作者や哲学者の意図するようには伝わらず?
興味の無い方には、理屈ぽく聞こえたりするかもしれません。
私は、もともと見えない世界を垣間見るのが好きだったので、
初めて大学で哲学に触れたとき、とても新鮮でしたし、感動すら覚えました。
しかし、興味の無い人にとっては・・・。
馬の耳に念仏、猫に小判のように、まったく意味がありません。
意味があるどこか、哲学?それ理屈じゃない?だから何?みたいに扱われます。
自分を改めて客観視してみたところ、人に何かを伝えるときに、
伝わって欲しいと思う自分が傲慢なのか?とも思った時期もありました。
(スピリチュアルを勉強した時もそうでしたが)
哲学に触れたときに新鮮さや感動は、その人本人が感じないと、
わかり合うのは難しいのだと痛感しています。
いつも、そこに行き着くため見えない世界をやり取りする分野は、
下火になってしまうような気がしています。残念ではりますが。^^;
私はそれほど哲学にそれほど精通していませんが、
大学で勉強した哲学はどれもそれなりに面白かったですし、
最初に衝撃を受けました。私の師である教科書の”カント”の銅像を見るため、
20代の時に、ルーブル美術館に2回も飛びました。(*^^)v
?さんの活動を陰ながら応援しています。頑張ってください。
自分と違った解釈で読まれたり。
イラストを描いて、そのイラストに詩をつけて頂くと全然違った表現で
自分なりの世界を作っているようで、それはそれで嬉しかったりします。^^
哲学はどうなんだろ・・・〇〇と思います等の言い方は有りますが、曖昧にしては
納得がいかなくなると言うか・・・また、その言葉に反応して自分の経験も含め話を豊かなものにし
その言葉から、違う観点でまた話を豊かにする。
そこら辺は、もしかしたら詩にも似てるのかなと思ったり・・・
難しいですけど。^^
彼の話題は釣りが趣味?と実益もかねていた様な印象があって、記念館は寝不足で閲覧
ほとんど記憶に無くて・・・楽しそうに釣りしてる写真も無かったかなぁ^^
哲学って勉強したら楽しそうですね!