Nicotto Town



最強

男なら一度は夢見る「最強」

古臭いなんて今の人は笑うだろうか。

しかしながら、その野望は形を変えて
確かに存在する。

小学生のころ、
「成績では誰にも負けない」
「運動では誰にも負けない」
と考えるのが一番最初だろうか。

教育には詳しくないが、きっと重要なのは
その「1番になった能力」ではなく、
そう思った「意思」なのではないだろうか。

なぜか?
社会を経験した人ならわかるだろうが、
生き抜くためには理不尽なことすらも
受け入れなくてはならない時がある。

その時、一番必要なのが強力な「意思」
だと思う。

それはきっと一番になったことがあるという
「自信」だったり、最後までやり切ったという
「意志」だったりするのだろう。

社会ではそういった「意思」を持った
リーダーが求められているのかもしれない。

アバター
2018/08/30 03:17
意思・・なんだかとても力強くて素敵な言葉ですね^^
最強・・という言葉に憧れますね 相対的な強さじゃなくてね
そして 全て他者とのたたかいの結果ではなくて
最終的には自分とのたたかいなのかもしれないですね
偉くなればなるほど頭を垂れる稲穂の様に誇示しない生き方
我々が求める真に最強の人は・・残念ながら表には立とうとはしない。。
はがゆい気がしますけれど。。

読ませていただいて 自分なりにしか書けません
余り難しい事は考えたことがなくて・・
もし変なこと書いていたら 遠慮せずに言ってくださいね^^
アバター
2018/03/05 00:15
他者 は、大陸系哲学でも英米系哲学でも、それ以前に、日常世界でも、
様々な仕方で重要なのは言うまでもないですが、
この 「最強」や「一番」という価値もまた、他者抜きにはありえないものですね。

一つには、この価値が、他者との間での比較だ、という点。
クラスや社内や同業者や趣味サークルのメンバーの中で…他の誰よりも…という、同類他者との比較。

もう一つ、その価値判断が、他者の承認によって確保される、という点。
これは、友だちや仲間や教師や上司、あるいは観衆や一般他者…など様々ですが、
さらに、芸術や科学では、同時代の他者には理解を得られなくとも、
将来の ありうる他者が承認してくれる(だろう…、はず)といった、可能的他者の場合もある。

そもそも、価値の実現を目的とする意志は (論理的に考えれば)、
常に既に、「競合他者」と、「ありうべき他者=可能的他者」のどちらをも想定し、
その他者たちに勝ち、承認してくれる他者があることを想定する限りでしか、成り立たない。

そうした他者の中でも、最高位の他者が、神と呼ばれる他者ですね。
他方、ジャック・ラカンやスラヴォイ・ジジェクが言う
象徴界の支えとしての 「大文字の他者」とは、
以上のような意味で、私の意思や意思を、また認識や判断の妥当性を、
つまりは、真善美などの価値基準の準拠点を与え、判定してくれる、可能的他者のことでした。



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