Nicotto Town



君にありがとう(小説)

君と初めて会った時のこと、きっと一生忘れないだろう。

小さな手に触れて、私は自然と笑みがこぼれた。

君と出会ったのは運命で、君を守るのは私の使命なんだ。

私はこの瞬間、初めて自分の存在意義を理解した。


「ちょっと!書類直せって言ったのに全然直ってない!やる気あるの!?」

そう後輩に言ってから、自分もキツい性格になったもんだと自覚する。

子を授かり、離婚したあたりから、その責務の重さを改めて認識し、だんだん変わっていったんだろうなと思った。

私はシングルマザーであり、同時に刑事だった。

特に痴情のもつれからなる事件の捜査を任されており、それなりに責任もあった。

男女の関係はこじれると傷害事件に発展することもあるため厄介だ。

しかしながら、容疑者の傷害に至る経緯に心理的要素が大きいため、捜査一課内でも動機の洗い出しには苦労していた。

そこで抜擢されたのが私だった。

理由としては学生時代、犯罪心理学を専攻していたことが一つ。また、女性は脳の構造的に男性より感受性が高く、相手の気持ちを理解できるというのが二つ目の理由だった。

現場でそういった理論がどこまで通用するか未知数ではあったが、周りの協力を得ながら、それなりの成果は出ていた。


「いってきまーす!」

「あ、ユウタ!待って!」

「何?」

「お母さん、今日も遅くなるから夕ご飯は冷蔵庫のチャーハンをレンジでチンして食べて」

「わかった!」

子供を学校へ送り出し、自分も出勤準備をする。今日は容疑者の取り調べの予定が入っているため、気合いを入れていこう。


「彼のスマホをこっそり見たんです…。そしたら私の知らない女の人とやりとりしてて…。問い詰めたらケンカになってしまったんです」

「それで刃物を持ち出したの?」

「はい。許せなかったんです…」

よくある浮気からの傷害事件だった。

彼氏がケガを負って病院に担ぎ込まれてきたので、病院から事件性ありの連絡を受けてこうして容疑者の取り調べに至る。

「あの!刑事さんも女性なら分かってくれますよね!?私は悪くない!」

「気持ちだけは分かるわ。でも冷静になって。現実に被害を被ったのは彼の方なの。」

「そんな…」

「あなたに必要なのは冷静になる時間よ。逮捕まで少し猶予をあげる。よく考えてみて」


女性を家に返し、席に戻ると、同僚の刑事たちに声をかけらる。

「さすがですね、係長!我々がいくら聞いてもなもしゃべらなかったのに」

「きっと同性だから安心したのよ」

コーヒーをすすりながらパソコンを起ちあげる。
結局その日は例の事件の報告書作成で終わってしまった。


なんのことはない、と思っていた事件が急展開を迎えたのはその日の夜だった。

自宅で遅い夕食をとっていた私は、緊急招集の連絡を聞き、愕然としながら現場に向かった。

そこで待っていたのは、例の女性の亡骸だった。連絡がつかないことを不審に思った彼氏が彼女の自宅を訪れたところ、亡くなっているのを発見したということだった。

自殺だった。

後日私は課長からお叱りを受けた。理由としては逮捕まで猶予を与えてしまったことだった。

しかし、私はそれ以外のところに自責の念があった。

それは、もっと私が彼女に歩み寄っていればこんな結末にならなかったのではないか。ということだった。

もしかすると彼女の自殺を後押ししたのは私かも知れない。


晩酌は久々だった。
今でも彼女の信じられないという表情が脳裏に焼き付いてきえない。
それを無理やり押し込めるようにウイスキーをストレートであおる。

「お母さん…」

「ユウタ…まだ起きてたの?もう寝なさい」

「今日、学校の授業でお母さんの絵を描いたんだ。お母さんに見せたくて待ってた」

不恰好ではあったが、黒のスーツに拳銃を構える女刑事の絵だった。

「最初はエプロンのお母さんを描いたんだけど、なんか違うなって思ったんだ。やっぱりこっちの方がお母さんって感じがする」

私はそれで、ユウタが生まれた時のことを思い出した。

この子のためにも私がしっかりしなくちゃならない。

それだけで明日も頑張れる気がした。

「ユウタ、生まれてきてくれてありがとう」

おわり




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