Nicotto Town


Olivier


『子ゾウのため?犠牲』 毎日新聞(朝刊)より

日曜日の朝、のんびり新聞を読んでいると、
ある写真に目が留まった。

線路に横たわる“何か”を、たくさんのヒトが取り囲んで見つめている・・・。
初めそれは“岩”にも思えた。
しかし、よく見ると足らしきものがある・・・
その物体を“ゾウ”と認識するまでに、さほど時間はかからなかった。
ただし仰向け。寝ているにしてはおかし。
次の瞬間、息をのんだ。
体が傷だらけだったのだ。

『それは9月22日深夜の出来事。
インド東部西ベンガル州で、貨物列車がゾウの群れをはね、
7頭が犠牲になった。
地元メディアによると、線路は野生のゾウが多数生息する森の中を
通っていたという。

2頭の子ゾウが線路上で動けなくなり、それを助けようと
群れが集まっていたという証言もある。

ゾウは、人間が聞き取れない音や振動を感じ取る能力があるという・・・。』

確かにそれはわたしも聞いたことがある。
ゾウは、ヒトには聞こえない低周波(20Hz~)で会話しているという。
また、足を通して低周波をとらえることも可能だという。
雌を中心とした群れで生活し、高度な社会をつくっているそうだ。

近年ではゾウの高い認知能力も実証され、
人間の姿形を見分けることが出来るだけでなく、言語(言葉)の違いまで
聞き分ける能力があるという。

例えば、仲間のゾウが死んだ時などは“葬式”ともとれる行動
(鼻で死んだゾウの体をなでるetc)が見受けられるという。

危険が迫ると、群れの成獣が幼獣のまわりを取り囲み、
自らを盾にして守るという。それが我が子でなくても全力で・・・・。

新聞には、こうも書かれていた。
『事故当時、暗闇の向こうからレールを伝って迫りくるごう音と振動の恐怖は
いかほどだっただろう。
死んだ7頭のうち4頭が大人だった。
写真のゾウは400メートルほど引きずられたらしい。
子ゾウを守るため、列車の前に身をていしたのだろう。』  【朴鐘珠】

刻々と近づいてくる列車の振動は、それは大きかったに違いない。
“子ゾウを守る”が使命であっても、自らの命の危険を感じたはずだ。
それでも、文字通り“からだ一つ”で、巨大な物体の前に身を投げ出したのだ・・・。

しばらく犠牲となったゾウの写真から、目を離すことが出来なかった。

そして思い出した。10年ほど前、これと似た事故があったことを。

それは2001年の1月26日。
JR新大久保駅で、ホームに転落した泥酔した日本人男性を助けようと飛び降り、
列車事故で韓国人留学生が亡くなった。
その方の名前は李秀賢(イ・スヒョン)さん。

今まさにホームに列車が入ってくる・・・それでも目の前で転落した泥酔男性を
見殺しにはできずにホームに飛び降りたのだ。
その時もう一人、日本人でカメラマンの故・関根史郎さんも飛び降りた。
二人なら何とかなると思ったのだろう。
しかし、泥酔した男性の体は重く、ほとんど動かすことが出来なかったという。
そこに列車が・・・・。

李秀賢(イ・スヒョン)さんは、その瞬間、
両手を大きく広げ、列車の正面に立ちはだかったという。
そして“何か”を叫んだそうだ。しかしそれは列車の轟音にかき消されたそうだ。

後日、スヒョンさんのご両親が来日し、
JR新大久保駅のその場所で献花されていた。
母親がホームに崩れ落ち、泣き崩れていた・・・。

危険を承知の上で身をていす・・・・。
胸が締め付けられるようだ。

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2010/09/27 18:25
nagataさま、コメントありがとうございます。

本当に仰るとおりです!
JRの古い体質(責任逃れ、先送り、事なかれ・・)には、
怒り以上の感情を覚えます。
いつまでたっても、これっぽっちも改善されない!
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2010/09/27 18:19
サモワールさま、コメントありがとうございます。

2001年のこの事故は、わたしにとって多くのことを考えるきっかけになりました。
『冬のソナタ』のあと、巻き起こる韓流ブームの数年前です。
まだまだ根強い韓国人に対する偏見が、国内のあちらこちらで見受けられました。
そんな中でのこの事故です。

マスコミの連中は、(表立っては決して言いませんが内内では)
「招かれざる客の韓国人が、よくぞ日本人を助けたものだ」と興味本位で話題にしたものです。
だからあれほど、李秀賢さんにこだわったのではないかと思います。

疎まれる存在と分かっているのに、ナゼ日本に学びに来たのか。
嫌な思いも随分しただろうに、それでもナゼ日本人を助けようと思ったのか・・・。
悲しいかなマスコミの興味なんてものは、そのようなエグイところで成り立っているのです。

『冬のソナタ』以降、日本人の韓国(人)に対する意識は激変しました。
そして2007年(1月)、この映画が完成しました。

わたしも劇場に足を運んだ一人です。
知人たちを誘ったのですが、「あ~、そんな事故あったね~。今さら何を知らしめたいのやら」と
みな醒めた反応でした。それが、無性に悲しかったのを覚えています。

映画は、かなりフィクションが多いとは聞いていました。
それでも見終わって、あの時代、日本で数多くの偏見に心痛めた李秀賢さんが
なりふり構わずホームに飛び降りたその勇気(白州次郎風にいうなら“プリンシプル”)には
涙が込み上げてきました。




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2010/09/27 17:35
たぬきの休息さま、コメントありがとうございます。

この事故は6年後の2007年1月、
『あなたを忘れない』と言うタイトルで映画化されました。

たぬきの休息さんがおっしゃるように、
事故当初、李秀賢さんお一人の名前ばかりが報道されていたのを
わたしも記憶しています。
ただそれは、同じく事故に遭われた関根史郎さんのご家族が、
頑なに実名報道を拒否されたからだと聞いています。
確か、お母さまと二人で住んでいらっしゃったと記憶しています。
一人息子に先立たれたお母さまの悲しみは深く、
映画化の際も、「お願いだからそっとしておいてほしい」とおっしゃっていたそうです。

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2010/09/27 15:19
そのときの JR側の「ホームの下の空間は退避スペースではない」という発言覚えてる。
まず最初に責任逃れの発言なんて 無神経な

ちょうど その下が道路で その部分は橋の状態なので そういう空間がなかったことに対する 言い逃れ
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2010/09/27 04:12
たぬきの休息様も書かれている韓国の方の件。

ご遺族が日本に慰霊に訪れた際、東京観光も兼ねて皇居を訪れると、
たまたま皇后陛下のお車が通りかかり、皇后陛下にご遺族の事を告げた方がいたそうで、
わざわざお車を降りて、ご遺族に御言葉をかけられたそうです。
それが縁で、かの事件が映画化された折に、天皇陛下と共に試写会を訪れておられます。

儒教の影響の強い韓国では、仏教観が根付いている日本と違い、
生まれ変わりという概念が無い為、葬式では精一杯号泣して、
亡くなった方を弔うのが普通です。
日本では、亡くなった方の為に泣き叫び過ぎるのは、
亡くなった方のこれからの道を妨げ、どちらの為にもならない
という概念があるのと対照的です。
ちなみに、韓国は儒教もさることながら、キリスト教徒も非常に多いのですが。

この件を取り上げた映画『あなたを忘れない』で主演した韓国人俳優は、
日本では非常に重大な関心が寄せられ、毎年追悼慰霊祭が催されているというのに、
韓国に於いてはすぐにこの事件が忘れ去られて行った事態を憂慮して、
ブログ上で異例の呼びかけを行っています。
映画の宣伝の意味もあったのかもしれませんが、
これには韓国内でも随分反響があったようで、
すぐに忘れやすい韓国民の習性を慨嘆するコメントも多かったそうです。
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2010/09/27 00:19
連続コメントですいません。
ひとつ書き忘れていたので・・・

成人男性でしかも泥酔して自分で起き上がることもままならない人を、前方から抱えて動かそうとか肩を貸して経たせようと思っても難しいです。
線路の状態や列車が到着するまでの時間にもよりますが、もしこの事件のケースが「成人男性が救助に入る時間的余裕とスペースがあると判断して飛び降りたケースである」と仮定するならば、後方から手を回して泥酔者の胸の前で手を組み自分の体に引き付けて、後方に引きずるように移動させたら隣のレールもしくはホーム下の空きスペースに移動できたかもしれません。
実際はおっしゃるようにそんなに時間的余裕はなかったという報道だったと思うので、あくまでも机上の論理に過ぎませんが・・・

もうひとつ言うなら泥酔者をホームに入れるべきではありませんね。
乗車を断る理由はないのでしょうか。
今年も泥酔者がバランスを崩して列車待ちしている人に当たり、その人が入ってくる列車に当たって・・・という事故があったはずです。
泥酔者は飲ませた人が責任を持って自宅まで送るほうが本人も周囲も身の為です。
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2010/09/26 23:57
象はキロ単位で音を聞き分けるとか聞いたこともありますので、列車の接近は早くから察していたでしょうね。
列車がどのようなものかも日常通路にしていたのであれば当然知っていたでしょうし。
それでも仔象の前にかばうように立ちはだかろうとしたというのは群れの絆の強さを感じさせます。

日本の件の事故は韓国人犠牲者のことをあれこれ言うつもりはありませんが、マスコミが救助しようとした人が1名であったかのように彼のことばかり報道するのに毎回違和感を感じています。
日本人であれ韓国人であれ人の命の重さに違いはなかろうに、とね。

ただ、韓国は儒教的価値観が日本よりも強いため、親より先に亡くなった人は両親に対して不敬とされ、その人を普通に亡くなった人と同様に一族で祭祀するということは通常ありえないそうです。
それが人命救助という尊い行いの結果であったとしてもです。
スヒョンさんの母親が泣き崩れていたというのは、親として当然の悲しみや、不幸に対して人前で泣くことが普通の民族性というのもあるでしょうが、当たり前に弔ってやれない悲しみというのもあったのかもしれませんね。



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